心の作用
犬、猫という名前を知らずに「あ、犬だ」「あ、猫だ」という経験は絶対に絶対に起こりません。この経験を生み出したの言葉です。言葉が記憶から湧き出てその経験が生まれました。この経験はあなたが作ったのでしょうか???間違いなく違います。その経験は確実に起こされたのです。言葉によって。にも関わらず我々は個人を経験の主体だと信じ込んでいます。これは100パーセントの勘違いです。
ここから渋谷駅まで
ここから渋谷駅に向かうまでの経験の全てを我々は一切選べません。あ、猫だ。あ、看板だ。あ、スタバだ。あ、満員電車だ。これ選べません。全く選べずにこの経験が次々に起こるのです。にも関わらず我々は我々を経験の主体だと思っています。つかりこれは完全な勘違いです。経験の主体という存在を勝手に作り出し勘違いの思考を生み出しているのです。これは罠です。
にも関わらず自由でしかない
にも関わらず我々は同時に半端なく自由です。何をやってもいいのですから。ところがそれをやる経験の主体が存在しないのです。自由にも関わらず経験が次々に強制的に起こるのです。ですから目覚めとは諦めとも言います。サレンダーです。究極の諦めとは全経験は勝手に起こされていることに気づくことです。夢の中には主体が存在できないのです。主体が存在できないにも関わらずなぜ自由意志が成立するでしょうか??不可能です。