居ないことが明らかになる

自我が消えるのではない

自我が突如消えるのではなく、、、自我とは実は居ないことが明らかになります。空から現れでる自我は存在しません。空から現れでた思考の中に「自我」は存在します。ところがその思考の内容は「自我は100%存在する」ということでありこれは真実ではありません。真実では自我は存在せず思考の内容としては「自我は存在する」が起こります。このギャップこの誤差こそが「苦しみ」です。

つまり

自我という現象が消え去ることが悟りなのではなく「自我があるという思考」が実は間違っていることが明らかになることが悟りです。「この世界には私が体として存在する」という思考が実は間違っていることが明らかになる、、、これが悟りです。私とは実は思考が作り出したものであり、、この世界には実在しないことが明らかになる、、これが悟りです。

思考が時間を作り時間が私を作る

時間があるのだから私も居る???

私っていますよ、、だってこの時間の中をしっかりとしっかりと生き抜いているじゃないですか!!!!!違うんです、、その時間は思考が作り出したのです。思考が作り出した「時間」が絶対的にあるのだからこの時間軸の中を生き抜く「私=この体」は存在する、、という二次思考が起こります。思考で「時間」を作り出しておいて「時間」があるのだから「この体=私」は絶対に存在します、、というのは詐欺です。

「変化があるから時間がある」という思考

この世界の唯一のルールそれが変化です。現れ出る現象は「変化」します。この変化を利用した「概念」が思考です。変化し続けるこの現象界、、、変化するということは「時間」は絶対にあるはずだ!!!!!という概念が生まれたのです。時間は100%存在する、、とすればこの体はこの時間の中をサバイブしているのだ、、つまり「私=体」は絶対にこの時間軸の中に存在する!!!!という概念が生まれました。これがマイストーリー、私物語という概念です。

時間も私も思考として存在する

空から「時間」「私」が現象化されることは絶対に絶対にありません。そういう意味では時間も私も存在しません。ですが空から思考は現れます、、その思考の中身として「時間」「私」が誕生するのです。ですがこれは思考の中身ですからあくまでもイメージに過ぎず、、よって私が幸せになる、、というのは不可能です。「幸せになった私」というイメージを起こすことは可能ですが、、、それと至福とは何も関係がありません。

どうしても悟りたいんです!!!

大丈夫

その思い気持ち情熱の全てが「根源」から湧き出ています。「あなた」からその気持ち思い情熱が出ているならばそれは「あなたの衝動」です。ですが出ていないのです。根源から「悟りたい!!!!!」が出ている。。。だから「この悟りたい!!!」は根源の叫びです、神の叫びです、空からの叫びです。その認識その気持ちの認識は誰がやっているのか?????根源、神、空です。つまりつまりこれは完全な自作自演です。

じゃあなぜ?????

悟りたい!!!!!という衝動がなぜ?????根源から飛び出るのでしょうか??????根源は最初から根源なのだから「悟りたい!!!!」という衝動が出るって意味不明ですよね?????「悟りたい!!!」という衝動はその前の「苦しい!!!」から湧くのです。そしてこの「苦しい!!!!!」は「私が居る」という思考から湧きます。。。。つまりただの反応だということです。反応が起こり続けています。自動反射が根源から起こり続けているのです。

根源だから

だからって意味不明ですよ、、理由があろうとなかろうと根源から「悟りを開きたい!!!」という衝動がなぜ出るんですか?????根源だから出るんです、根源からはなんでも出るのです、、、全欲望、全感情、全思考が湧くから根源なのです。「完全完璧な思考」しか湧かないから「根源」なのではなく「全思考」「全感情」「全衝動」が湧くから根源です。そして根源は「意図」してそれを湧かすのではなく「ただただ自然現象」としてそれが湧くのです。「悟りを開きたい!!!!」も自然現象です。

失われた30年?????

残念!!!!!

失われた三十年間、日本のことをこのように表現する経済学者は多いですが、、残念!!!!その前の失われていない50年間、、、と何も何も変わりません。どういうことか???????経済を発展させる、経済を順調に動かすような「自由意思」が人間には備わっていないからです。最優秀な総理大臣が現れ天下無双の大活躍で日本を経済大国NO1に!!!、、、それを行える自由意思が存在しないのです。

これからも何もかもが分からないし、、、

評価の対象になどまるでなりません。なぜならば、、誰一人自由意思なく、、個々の活動が行われているのです。にも関わらずどうやって一致団結するのか??????昔の日本人は勤勉で努力家で汗水たらし国家天下のために働いていた???????嘘嘘嘘です、、、、誰一人自由意志なく勝手にたまたまそれが行われた要素があっただけです。

これから

これから日本がさらに失われた50年間が続くのか続かないのか全くわかりませんし、分かったところで何もかもどうでもいい、、なぜならばそれが自然現象だからです。日本経済も完全な自然現象です、、自然現象に優劣ってありますか??????ないですよね。自然現象はどう転がっても偉大なんです、、そこで評価を低くされるような柔な存在ではないわけです。自然現象は全て偉大です。

挟まれる

人間関係

上司Aを立てれば上司Bを立てれず、上司Bを立てれば上司Aが立たない、、、こういう時どうしたらいいのでしょうか??????全くわかりません。正解を教えてください!!!!!それでもあなたは結果的にはどちらかを選ぶことになります、、結果的には中途半端な対応で両方から叱られるか、、、上司Aを立ててBに嫌われるか、、Bを立ててAに嫌われるかもしれない、、、、どのような行動を取ってどのような結果を得ても「あなた」がやっていないという「結果」だけが事実です。だから上手く乗り越えようと失敗して沈没しようとそれが自動的に起こったのです。だから気にしないようししなさい!!!!!ということではありません、、事実はそうなっている、、、ここに収まる以外にない!!!ということです。

上司全員から今私は嫌われています

上司全員から今私は嫌われています、、もう会社を辞めた方が良いですか????それとも頑張って修行だと思ってやり抜きますか??????「どちらでもいい」のです、ここであなたがどのような決断を取ってもどちらも「大正解である」これだけが事実です。今日辞表を出して散々会社と揉めようと、、忍耐で耐え抜いて絶大な評価を受けようと、、、、それが勝手に勝手に自動で起こったという事実だけが真実なのです、、ここが最重要なのです。全部大正解であるということです。

社会的評価を受けようと、全く受けまいと

全部大正解なんです、、、そこには一切の選択肢はなく、、そのようになったという流れを真実を把握することが最重要であって、、社会的評価、全くの不評、、、年収3000万円、年収100万円、、人気者、不人気者、、、そこは何も問題はあにのです。だって全責任は「根源」ですから。全部全部大正解なのです。。そこの理解が起こった時「人間ゲーム卒業」です。「人間判断し合うゲーム卒業」です。「人間他人相互ジャッジゲーム」卒業です。

見た目

気にする

人間活動にどっぷり浸かっている人々は「見た目」を気にします。「見た目」とは結果のことです、そうです「結果」を最重要視しているのです。だから見た目見た目見た目です、、、そこで人を判断するのです。人間もいい、性格もいい、家柄もいい、、、で????結局のところ見た目はどうなの?????です。なぜ見た目を重視するのか?????それは自分が人を見た目で判断しているから周囲からも見た目で判断されると勘違いしているのです。

偏差値偏差値偏差値

なぜ偏差値を気にするの?????それはあなた自身が人を偏差値で判断しているから「周囲も」私を偏差値で判断すると思い込んでいるのです。つまり「結果」なんです、、、結果結果結果、、、そこで人を判断すれば周囲も私を結果で判断するはずだ!!!!!という思考が起こります。ゆえに常に結果が優先されます。

でも

一番重要なこと、「今私が結果至上主義」になっていたとしてもそれも根源の活動です。そういう意味では何も問題は今起こっていません。私が見た目気にしいで偏差値気にしいで収入気にしいでも、、、それも根源の活動です。そのことが分かってきますと、、氷が解けます、氷河が解けます、、、重い重い何かが解けます。その時に本当の意味で「全部」を受け入れる器みたいなものができます。

問題が片付いて本当に良かったね

本当に????

本当に本当に本当にそう思っていますか??????大学受験三年間浪人し、、やっと受かったんです!!!!!入学式当日最も晴れやかな顔しているはずですよ!!!!!「写真」を見てビックリ、、、、、全然晴れやかな顔でもない。。。。「嘘、嘘、嘘、嘘」三年間の大問題が解消したにも関わらず「晴れやか」でないのならば何十年間の問題が解決したら「晴れやか」になりますか?????ならないんです。嘘です、錯覚です。

知ってる

実は実は実は全員が知っているのです。大問題が解決しても問題が消えないことを、、、だから晴れやかにならないのです。大きな大問題が片付いても「幼少期の無邪気さ」が戻ってはいないことを知っていますよね?????そうです、、そこです、そこなんです。「究極のお気楽さ」が戻っていない、、でもそんなものはもう無理だろ????だから僕たちは「重い」中で大きな問題小さい問題をコツコツこなしていくしかないんです、だから幼少期のような無邪気さなんて何も知らない人間の特権ですよ!!!!と勘違いが続きます。

諦める

幼少期のような無邪気さなんてさっさと諦めてしまい「人間活動」やっていくしかないんですよ!!!!違います、、違います、、、「人間活動」と呼ばれるその活動こそが「思考活動」でしかないのです。思考の住人、思考の住人、思考の住人、、、これが大きな大きな重さの原因なのです。だから思考活動思考の住人の中で問題が解決しても意味がないんです。

危険????

ノンデュアリティかぶれ

ノンデュアリティとか悟りとか、非二元とか、、、そんなことばかり学んでいると危険ですよ!!!何にもしなくていいとか、勝手に全部起こっているとか、、人間活動じゃなくなってしまいますよ!!!大丈夫ですか?????「大丈夫です!!!」その人間活動じゃないような活動も全て全て根源からの活動です。何一つ自分で決めていないのですから人間じゃないような行動が起こってもそれも今までと何も変わらない原理で動くのです。

そのことに気づかない活動

何もかもが全て根源からの活動であったにも関わらずそれに気づいていない活動をしておきながら「我々は生きてこれた」のです。完全な勘違いの中でも完全に生きてこれたのですから、、勘違いがなくなった状態が危険ってあるわけがないのです。勿論その勘違いも勝手に起こったのであってそれも根源の活動です。根源の活動を根源の活動と自覚(自ら覚る)して生きることが危険な生き方ならば何が一体安全な生き方なんでしょうか????

周囲から見れば

周囲から見れば危険でしょう、、何も求めず何も不安に思わず何も欲しがらないように「見える」かもしれませんから。ですがそれこそが完全な勘違いであり理解しあえたらおかしのです。勘違いとは「真実」をありのままに見えない状態であり、、真実に則った「生き方」があるがままに認識されることは決してありません。だから周囲から勘違いされることこそが「あるがまま」であるという証拠でもあります。

馴染んでくると

子供の無邪気な姿を見て「危険」と思いますか????子供たちの屈託のない顔を見て「危険」と感じるでしょうか?????本当に非二元が馴染んできますと「危険」と感じさせる要素が消えます。無邪気、奔放、元気、あるがまま、、、、子供のような溌剌とした姿が現れてきますから、、「危険」というイメージとは真逆です。

この世界は結果が全てでしょ!!!

異論はありますか?????

どんな綺麗事を言ったって所詮は結果です、、結果がでなければ綺麗事、、、、この世界は現実なんです。そうでしょう、、そうでしょう、、確かにお金を一円も稼げなければ、、、全て綺麗事です。夢では食えない、、そうそうそれ!!!!でもその結果っていうやつを生み出すプロセスに我々は何一つ関わっていなかったという事実が分かってしまっても「結果至上主義」貫けますか????????

私は日本一努力して東大に入学しました

それは本当かもしれない、、紛れもない事実かもしれない、、、、ですがその日本一の努力が、、、勝手に起こっていたとしたら、、、全部自動運転、自動反射で勝手に勝手に起こっていたとしたら?????その結果はあなたのものですか????努力しようという思考も、、、それに伴う情熱も勝手に勝手に起こっていたのならば、、、それはあなたが成し遂げた功績と言えるのでしょうか??????

自分の因数分解

消えていく

では自分の因数分解をします。因数分解とは100=10✖️2✖️5、、といった具合に、、構成因子をバラしていくことです。自分=「この体✖️気づき✖️思考✖️感情」です。これが人間業界の一般常識です。ところが、、ところが、、、これ間違いです。自分=この体✖️気づき✖️思考✖️感情ではありません。先ず「思考」これは勝手に勝手に実は起こっています。全くコントロールできずに勝手に起こるのです。自然現象です。この自然現象を自分と呼ぶのは人間の傲慢です。思考は勝手に勝手に起こるのです。

感情

思考が湧くと感情も勝手に起こります。そして思考も勝手に湧きます。つまり思考感情は全部勝手に現れ勝手に消えるのです。何一つコントロールできずに現れてが消える現象でしかありません。次に「気づき」「五感」、、、これは「空から色(現象)」が立ち現れた時、、勝手に起こります。気づきは実は勝手に起こっています。「音に気づく」というのは音がこの世界に立ち現れた瞬間に起こるのです。「自分が聞いた????」とんでもない、、気づきは空から立ち現れる現象です。

この体

この体は手放さないですよ!!!!この体は絶対に自分です。。この体だけは!!!!!残念ながらこの体も現れては消える現象です、、、あなたが外を見る時、、この体は消えています。あなたが熟睡状態に入る時この体は消えています。あなたが映画に夢中の時、、体は存在していません。この体は視界に入ったその時現れます。我々はこの現れては消えるこの体という現象を「自分」と呼んでいたのです。つまり自分とは「体と呼ばれる現象✖️気づきと呼ばれる現象✖️思考と呼ばれる現象✖️感情と呼ばれる現象」、、、、自分=現象✖️現象✖️現象✖️現象、、、、、自分=自然現象✖️自然現象✖️自然現象✖️自然現象、、、、自分=現象、、、自分=現れては消える「色」「幻」「空の投影」です。