エージェントスミス

外部環境のエージェントスミスは大したことはない

映画マトリックスとの相違

この世界の住人、登場人物は全てエージェントスミスです。彼らは思考の世界にどっぷり浸かっているなど全く気づいていないですから、、、当然こちらにも同じ感覚で話しかけてきます。この感覚を共有しようよ!!!です。ですがこれがまさにマトリックスの世界に入れ込む罠なのです。自分が居ないとか何言っちゃってんの???のノリでマトリックスの世界に誘います。

答えが分かれば

答えさえ分かってしまえば、真実さえ分かってしまえば、、、周囲の人間は全く怖くありません。外部のエージェントスミスはなんてことないんです、、だって手の内が完全にバレてますから。。ただマトリックスの住人として当然の行動をとる、、、ただそれだけです。こちらはただマトリックスの住人として冷静に扱う、、これだけなんです。

怖いのは心の声

エージェントスミスの恐ろしさは外部環境ではありません、、心の声です。この心の声が半端なく最強です、、心の声は、、さも重要な内容のようかのように湧いてきます。この体にとって超重要な内容ですよ!!という切り口で湧いてきますから思わず、、、え?????となるんです。これで引き摺り込まれるんです。いつの間にか思考を観察する神ではなく思考そのものになってしまうんです。この状態が「苦しい」です。

心の声を観察する

心の声であるエージェントスミスは、、、観察されるだけで勢いを減らします。観察されるだけで、、、急に威勢が無くなるのです。観察とは、、、もはや思考そのものになっていない状態、、大いなる存在は大いなる存在そのものになっている状態ですから、、、その瞬間から思考は勢いを減らすのです。だからただ観察するだけでいい、、、何もしなくていいんです。何かをしようとする動きも罠です。

正しく教えれば

中学一年生で悟りを開ける

悟りを理解する知識とは中学一年生ぐらいで十分でしょう、中一ぐらいの脳力があれば悟りは理論的に理解できます。悟りにおいて問題になるのは「難しい」という概念でありこの概念が悟りを恐ろしく遠いものにするのです。ですがそれこそが思考の策略、自我が作り出した自我の延命措置です。だからこそ中一で十分悟れるというこの意見を思考は大いに嫌います。というよりも嫌悪感が湧き出すでしょう、そして馬鹿な事を言ってるな!!!という思考が湧くでしょう。

分かっちゃえば簡単過ぎる

はっきり言って、、、悟りのメカニズムって超簡単です。超簡単にも関わらず難しいと多くの方が思っているというこの事実がいかに悟りが思考の敵かが分かります。簡単過ぎるがゆえに悟りを遠い遠い存在にしておかないとまずいのです。遠くに悟りを置いておけば、、学び始めても10年スパンで取り組むという自我にとっては有難い状況を作れます。

大真面目に取り組む

この社会において悟りを大真面目に学ぶというのは勇気がいるものです、なぜならば世間からは精神病、サイコパス、大馬鹿もの、、のように扱われるためそこに関心を持つこと自体がタブーとされているからです。ですがその事実こそが私から言わせると自我の防衛です。その辺りが分かってきますともう恐ることは何もない、大真面目に取り組んだ者勝ちです。

呼吸法

呼吸法の凄いところは理屈は全く分かっていなくても悟りを体現できてしまうことです。実は理屈から入ろうとするのは自我にとってはラッキーなことで思考の世界マトリックスの世界に留めておきやすいのです。何度でも思考で悟りを邪魔し横道に反らせることができるのです。エージェントスミスは思考として悟りを邪魔しますから思考で悟るのは最も難しい道でもあります。その点呼吸法は強制的に自動思考を壊せるので思考からしたら厄介なテクニックなのです。私はセッションにおいて理屈のみで悟りを体現できるとは思っていません、理屈で悟りとは何かを明確にし呼吸法で体現すると思っています。

悟りの勝利

全人類が敵???

悟りに関して言えば、、完全なる孤立無縁状態、、、この状態で戦うことを楽しめないと難しいでしょう。なぜならばマトリックスの世界で苦しむ人々は、、、、ここから出られることを嫌います。一人だけ何楽な世界に行こうとしてるんだ!!!です。そして悟りを開いた?????嘘に決まっている、気持ち悪い、、、という反応を示すでしょう。スクリーンの中に閉じ込められた人々にとってここから出るというアイデアはパニック以外にないのです。

静かに静かに

だから悟りは声だかに宣言しては駄目です。。。静かに静かに水面下で開きます。エージェントスミスの手口を完全マスターし、、、今どのような手口を戦っているかを理解していきます。スーパーマリオの100倍面白い戦いが始まります。だって周囲は完全に盲目、無知、勘違いですから、、、その中で悟りを開くって最高に面白いのです。

手当たり次第に

煩悩がまだ残っていればその煩悩は全部現象化して「私」の前に現れるでしょう、、、それらから逃げるのでなく体験していきます。。。なるほどこんな感じね!!!です。つまりこのゲーム、幻想は悟りがゲームクリアですがだからといってワープが素晴らしいのではないのです。何も体験しないではい悟り!!、じゃないんです。経験したいことは根こそぎ経験でいいんです、、、ですが重要なこと、、その経験が苦しみから救ってくれることはないということです。苦しみの解放は悟り以外にありません。

エージェントスミスの最後の逆襲

幻想ではない

エージェントスミスは、、、多くの場合現象としてあなたをマトリックスの世界に閉じ込めようとします。試しに悟りを真剣に開こうと思うと友人家族会社で言ってみてください。。。99%が怪しい目で見てくるか、バカにしてくるか、、嫌悪感を出してくるはずです。つまり応援者はゼロだということです。応援者ゼロの中で悟りを開こうとうする勇者は少ないです。つまりこの戦いは先ずは孤独に耐えないと不可能なのです。

孤独に戦えばエージェントスミスは消える

悟りについて誰にも話さなければ、、エージェントスミスは一切現れません。話をして初めてエージェントスミスは登場します。孤独に耐えながらこの戦いを進めていきますとかなり深く理解できるようになります。ところで多くの場合、、、、思考を使った悟りの理解は進めでしょう、、、覚者の本を読む、YOUTUBEを見る、ブログを読む、、、これらはスムーズに行くものです。ですがエクササイズになると途端に止まります、、なぜかやらしてくれない、、、。

もっと簡単な方法あるかもよ????

エクササイズになった瞬間、、、、思考がざわめき出して、、、やめた方がいい、、、もっと簡単な方法あるかも、、、面倒じゃん、、、、となります。心の中で途端に面倒臭いの大合唱が起こるのです。これぞエージェントスミスの最後の攻撃、自我の存続維持戦略、、エゴの最終兵器です。。。。思考を使わない本当のエクササイズだけはやらせるわけにはいかない。悟りを思考の中で概念の中で理解するのは構わない、、、だが思考なしは絶対にダメだ!!!!です。なぜならば悟りとは思考の世界からの脱却だからです。

思考が全部邪魔します

悟りが開こうとすると

急な気づきが起こり、、自我の解放に向かいそうになりますと、、、思考が邪魔します、それは辞めとこう、それだけは辞めとこうよ!、、、他にもっと良いやり方あるかもよ、お手軽なやつ。です。全部こんな感じです、、分かってはいるんです、、でもダメんですよ。。。。。思考が何かに入れ替わってまんまと騙されます。エージェントスミスは最後はこの頭の中に入ってくるんです。

この声を信用しないんてできない

やめときなよ!!!この声を聞かないなんてできません、、、だってこの声を聞かなかったらいったい誰の声を聞くんだ????になります。だからこの声しか聞いちゃダメなんです、、、でもいつもこの声を聞いて結局苦しくなっていくんです最後は。

最初から声消しちゃえば

つまりつまり、、、最初から声が消えちゃえばそれで済むんです、、、声さえ出てこなければ、、もう大丈夫なんです、他に邪魔する奴はいないから。ではそのためにはどうすればいいの????呼吸法は役に立ちます。呼吸に意識が向く時、、思考が湧いてこなくなります。これを徹底的にやります、思考が湧いたら呼吸法、思考が湧いたら呼吸法です。思考の湧き上がりは呼吸法の合図、、さあ始めましょう!!

自我ゲームに引き摺り込もうとする動き

実際には

映画マトリックスでは、、、目覚めようとする主人公NEOに対し、、エージェントスミスがまるで悪意があるかのように徹底抗戦するわけですが実際のこの世界(夢)では、、、誰一人この見かけ上の「私」を悪意を持って目覚めさせない、、、という動きは起きません。そこには何の悪意もなく、、、ただ反応としてひたすらにこの「私」に話しかける(この中に私が居るという前提)が起こります。

関心は夢化し

「まっちゃんマジで????」がYahooニュースの記事になれば、、、松本人志のニュースがガンガン夢化し、、、見かけ上の「私」を誘惑します。異性に興味があれば「可愛い!!」と思う子が、、、私の前に現れては誘惑します。「あれ俺のことあの子見てなかった????」が起こるんです。地震が怖ければそれが連発し経済不況が怖ければそれが連発する、、、恐れていことは次々に夢化し、、その影響を受けるかもの「私」を意織させるのです。

「私」に関心がある限り

実は実はこの「私」という架空の存在に関心が集まる限り、、「私」を取り巻くドラマが終わることはありません。そうです「私」に関心があるからこの「私」ドラマが続くのです。「私」に関心がなくなりますと「私」ドラマが起きないんです。この夢では関心が広がるようになっています。真実に関心が集中しますと真実が広がっていき「私」ドラマが終焉に向かいます。「私」に本当に関心があるのかないのか????です。

全ては練習問題

練習問題としてのエージェントスミス

心を揺さぶる問題が起こるといましょう、、この心を揺さぶる問題はなぜ起こるのでしょうか????簡単です。自我の延命です、、心が揺さぶる問題が起きれば自我をこれを解決するか逃げるかするでしょう、つまりこの自我ストーリーの中でアクションを起こすのです。その際に心を揺さぶる問題はどうあがいてもこのストーリー上に自身が居ることを強く強く意織させられます。これが映画マトリックスのエージェントスミスです。今お前はこのドラマの中で解決を図らないと大変な目に遭うぞ、、という戦略です。

関心ごとの全て

例えば見た目に全く興味がない男性が、、、ファッションを揶揄されても全く問題にはならないでしょう。問題とはその方が関心を持っている分野なのです、、例えばその男性がキャリアに意識が高ければ、、、そこで問題が起きる可能性が高くなります。会社の倒産、左遷、低評価などです。これによって彼は心を揺さぶられこのストーリー、この自分に強く強く関心を寄せます。自我はエネルギーが注がれ益々このストーリーにのめり込むのです。

問題が起きても

関心が高い分野は問題化(エージェントスミス化)し襲ってきますが、、そこに関心を向けてしまっては自我システムの思う壺です。そこに関心を寄せるのではなく、、練習問題がきた、、私はどうもキャリアに執着しているようだ。。本当に重要なことはこの私は大いなる存在であってこも見かけ上の私ではない、、だからキャリアの問題はそれを示すために起きたのだ、、と真実に戻ります。つまり執着が形になって執着を教えてくれているのです。

キャリアの問題は重要なことではない

キャリアの問題は、、自身が大いなる存在であるという気づきに比べれば全く問題がありません。自身が偽りの自分ではなく大いなる存在であるという気づきが起きればその問題は真の安らぎの中で解決されるからです。そして仮に解決されなくても執着に気付くことで、、自我の柵がまた一つ無くなり自我はパワーを失います。その時景色が輝いていきます。問題の背景が輝いてくるのです。

全執着が溶けていく

何か大きな問題、心が揺さぶられる問題が起きたときは、、その分野に執着があることを教えてくれています。その問題が執着を露わにしてくているわけですから非常に有難いことなのです。なぜ私はキャリアに執着があるのだろう????それは私がそこで高い評価をされたいと願っているからに違いない、なぜ評価をされたいかと言えば自分(自我)の存在をそこで証明したいからだ。だが自我は幻でありそこで存在を証明したとしても本当は証明されないのだから同じことなのだ、、となります。

雲(自我)の最後の抵抗

固執している関心ごと

本当は私はこの体(雲)ではなくて空だ、、、この体(雲)この思考(雲)この感情(雲)が私(雲)なのではなく、、空そのものなんだ!!!!この気づきがある日突然起きます。ですが、、、それと同時に、、日々の関心ごと、将来への不安、両親との確執、本当はやりたかったこと、、などがフラッシュバックのように流れ(雲)また私(雲)にしがみ付く、、、が起こります。この全ての出来事は全て雲であり、、、この私(雲)を維持するための連発雲(記憶、思考)が起こるのです。

エージェントスミス

マトリックスの映画ではこの状況をエージェントスミス(雲)を使って表現しています。友人知人、両親、、、あらゆる人がエージェントスミス化して攻撃してきます。主人公ネオは彼らと死闘を繰り広げるわけですがそこの関心が行っている時点で実は負け戦なのです。個人の関心とは個人をこの世界に留めておくための戦略なのです。お金、ギャンブル、お酒、異性、マンション、アクセサリー、SNS、、、その人の関心が実はこの世界にその人を留めておくツールなのです。

全ての関心ごと

全ての関心ごとを観察し、そこの執着しない、、そして自身は空であるという自覚で過ごすことができるようになりますと、、過剰な関心攻撃は無くなっていきます。恐らくこれは自我に関心がむかなくなる時の自我の悪あがき、反抗期なのでしょう。本当はアピールしたい、だが直接ではバレる、、そこで関心事を記憶から引き出し、、意識をそっちに向けさせます。

勝負の行方は決まっている

どれほどにエージェントスミスの攻撃が半端なく毎回毎回この自我ストーリーに引き戻されてしまったとしても、、、最終的な勝者は既に決まっています。なぜならば、、雲(自我)が空(本当の自分)になるのではなく、、いままでも空(本当の自分)だったのです。生まれてこの方、空(本当の自分)でなかったときは一度もないのです、、、ただ雲(自我)を本当の自分と勘違いする思考(雲)が漂っていただけなのです。そしてそれによって観念という分厚い雲が現れその雲を通じてこの世界を見るという自我ストーリーが生まれていたのです。ただしどれほどそのストーリー(雲)が分厚いものであっても、、空(本当の自分)は常にそこにあって全くなんの影響も受けずにいました。それらが消え去りまっさらになってもやはりそこには空(本当の自分)が残ります。

全ては手放すことのトレーニング

誰かが奪いにきても

仮に誰かが私からお金なり何かを奪いにきたとしましょう。これも手放すトレーニングになります。なぜ見かけ上のその人は私から何かを奪いたいのか???それはその人が盲目だからです、「この体、この思考、この感情こそが自分」と信じているために、、常に憤りを感じ、、それを解消するために苦しんでいるのです。これだけ私は苦しんでいるのだから奪ってもいいという思考が湧いてきます、そして奪いにきます。そして私からなにかしらを奪うことに成功したとしてもそれを享受するのは「この体この思考この感情が自分」という思考ですから、、憤りは当然消えることはなくまた人から奪うが続くのです。

この経験を活かす

人から奪われるという経験をいかに活かすか????貧しさの根本原因です。「この体この思考この感情が自分」という信念、観念を持つ限りこの貧しさを解消できないということ、、そしてこのドラマの中で誰かが私から何かを奪いにきたということは、、私の信念が投影されているという事実です、そこに気づくのです。この現象が一番教えてくれていることは自身の観念です。

人から何かを奪うなんてありえない

「この体この思考この感情が自分」という観念が緩んできますと、、人から何かを奪うなんてありえない、、、そういう観念も現れます。そうなりますともう私の周りでそのような人が登場することはないでしょう。そして仮に現れたとしても感情ではなく冷静に、、「NO」を突き付けれるはずです。なぜならばこちらは既に精神が豊かだからです。豊かな状態で感情的になるのは不可能です。

今に居るその瞬間までこのトレーニングは続く

「この体この思考この感情が自分」という観念を持っていると、、そのままドラマに入り込みます、そのドラマは自身の観念が投影された世界が広がります。このドラマの中でこの観念のトリックを見破らない限りはエージェントスミスが観念を投影した役として登場し続けるのです。好ましくない状況が起きた時こそこのトリックを見破るチャンスです。

お互いが目覚めるために存在する

幻想の意味

真実はたった一つです、この真実にたどり着くために全幻想が存在します、、苦手な相手、結婚相手、友人、子供、親、、、全ての幻想がこの真実に導くために存在しているのです。ですから人間関係は常に苦しみが伴うのです、悟りが開かれる、目覚めが起きるまでこれはエンドレスに続くのです。マトリックスの映画に出てくるエージェントスミスはまさにこの役、主人公のネオが覚醒するまで誕生し続けていきます。つまりエージェントスミスは覚醒の最大の味方でもあるのです。

悟りが開かれるまで、、

この苦しみは、、悟りが開かれるまでエンドレスに続きます、成功を治めても、大金を得ても、名声を得ても、安定を得ても、、、確実に苦しみが終わることがないのです。それは大いなる勘違いをしているがためにです。大いなる勘違いはこの幻想の世界で食べていくには有利ですが同時に苦しみを生み出すのです。ということでこの苦しみを解消するには悟る以外にないのです。

悟りに興味が出たら

悟りに興味が出始めたならばそれは大きなチャンスです、、仕事、友人関係、などの物質的、精神的満足を追いかけても一切幸福になれないことに気づけたならば、、、本気で悟りに意識が向かうことになります。ですがこれは誰しもに起こることでは絶対になくだからこそこれはチャンスなのです。そしてそうなったらこっちのもの、仕事、友人関係、地位や名声などのために頑張るなど辞めてしまってただひたすらに悟りを追い求めます。そして追い求める存在自体が実は存在していないという気づきが起こるまでこれを続けます。