思考との同一化から脱却した意識

気が抜けたような感覚

「思考こそが私」これが99.999999パーセントの人々の認識の仕方です。ですから会議の場所で何も発言をしていないと心配になります。飲み会で発言は少ないと心配になります。ボールに一切触れていないサッカー選手のような気持ちになります。だからこそなんとか思考し発言したい、、私はここに居るよと。ですが「この思考は自分ではない」この気づきを得た意識はもう思考との同一化に興味がありません、なぜならばそれは苦しい世界への入り口だからです。何も正解がない世界、話せば話すほど、思考すれば思考するほどに苦しくんる世界です。そんな人生御免被りたいという話です。

思考を使えとひたすらに沸き続ける

思考との同一化をしている意識にとって思考ほど当てにならない存在はありません、なぜならば常に不安定極まりないからです。毎日瞬間瞬間全く違う思考が湧いてくるわけでこれを自分とする不安定さたるや半端ないという話です。感情も然りです、不安定極まりないという話です。不安定であるからこそ思考も感情も泉のように湧き続け同盟関係を維持します。ですがこの同盟関係のしんどいところは湧けば湧くほど「同一化した自分」が肥え太り苦しみも増大するのです。

今日の機嫌はどうですか?

大御所タレントになるとどのスタジオでもこの機嫌というのを周囲は気にします。結局にところ機嫌が良ければ変な発言はしてこない、ですが機嫌が悪ければどんな発言すらしてくる、当然粗探しのような発言を。つまり思考などは感情の処理でしかないのです、どんなに正論をかざしても結局は思考とは感情の処理です。負の感情が湧き続ければ思考もその処理に使われているだけです。自分でも分かっている、機嫌さえ良ければそれでいいのに。。ですがその機嫌をとることが一番難しい、、、、

思考も感情も自分じゃない

残念ながらこの事実を発見しない限り思考と感情の二人三脚に一生を費やすことになります。思考と感情を自分のモノ、自分と定義して生きている限り常時このパターンです。思考と感情は自分ではない、、、この境地をいかに身に付けるか、、思考が湧いても感情が湧いてもそれは「本当の自分」とは全く関係がない、、この感覚をいかに掴めるかにあります。この感覚をしっかりと掴めるように不思議なことに思考も感情も湧いてこなくなります。

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