プログラム言語

私が起動すると前に向かう

PCは私に解決させようとする

この世界に私という概念がプログラム起動されますと同時に憤り、違和感が生じます。それはこの自分というプログラムがPCをこの体の中の存在であるという錯覚を起こさせる動きだからです。するとこの私を使ってこの違和感憤りを解消させようとする動きが起こります。「私はこれを達成する」「私はこの夢を叶える」「私はこういう生活をする」です。ですがこの主語である私というプログラムこそが憤り、違和感の根源ですからこれで解決することはありません。

天才子役の末路

幼少期にこの自我を形成する動きが起こりますが天才子役などは、、自我形成を通り越して自我がさらにスターになるというところまで自我が肥大化します。これほど大きな自我は同時に大きな憤り、違和感を発生させるのです。本当は存在しないからです。多くの場合天才子役は人間関係につまづき不幸な人生を歩みます、自我がかえあ生じる憤りが全てを打ち壊すのです。

大スターはいつも機嫌が悪い

大スタートは、、どこでも「この体この思考が自分」というプログラムが起動しやすい状況です。それはそのはず道を歩けばエンドレスに周囲から指を指されるのです。この憤り、違和感は相当なものです。ゆえに彼らはいつもピリピリしています。しかもその理由が分からないのです。「この体この思考が自分」というプログラムの過剰起動がこのピリピリを生み出すのです。

ノンデュアリティ とはPCのこと

二元とはPC内のイメージのこと

悟りとか覚醒、解放のことをノンデュアリティといつしか呼ばれるようになりました。ノンデュアリティ とは非二元、、なぜこのような分かりにくい表現を使うのか????非二元だったら一元でいいではないか???という話です。ですがこの非二元という表現は的を得ていて、、、このドラマが二元の世界、主語述語の世界ですから、、そうではない、、という意味なのです。二元に見えているけど本当はそうじゃないですよ!!です。

この二元の世界は、、、

この二元の世界とはPC内の画像なのです、、PCというたった一つのマシーン機械の中に二元に見える世界を作り出したのです。プログラム言語と呼ばれる、、我々の思考言語でもって、、このPC(全体)に二元に見える世界を作り出すことに成功したのです。マリオがいてクッパがいる、山があり川がある、、私がいてあなたがいる、、私がコーヒを飲む、、、

このイメージの世界での覚者

二元の世界では様々なことが起きていますが視点を変えてPCを外から見ると何も起きていなんです。PCの形状は一ミリも変わらないんです、、、、PCからしたら時間も空間もないんです。時間も空間もPC内でそれがあるように感じることができるだけです。PCには何も起きていないのです。イメージの世界の覚者はこう言います「何も起きていないんです」「これしかないんです」「私が居てというのは錯覚ですよ」「時間も空間もないんです」これをイメージの世界の中でイメージとして言われちゃうから困っちゃうんです。

体というアプリケーション

体という初期設定アプリケーション

体は我々が自我が芽生える前からありました。つまりこれはPCでいう初期設定のアプリです。このアプリは進化アップデートを続けある仕掛けを作ることに成功しました。それがPCを立ち上げた時点であるプログラムが作動しPCがアプリ(身体)を自分自身であるという思い込みが起こるようにしたのです。アプリのことをPCが自分だと思ってくれたら、、このアプリ(体)の生存確率が一気にあがるわけです。

PCが立ち上がった時点でそのプログラムが起動する

朝、目が覚めます、、、その時点でプログラム「この体この思考感情が自分だ」が起きるんです。これによってPCの中にそのイメージが立ち上がるのです。ただし本当はPC全体はPC全体であってこのプログラムは無理があるのです、そのため同時に違和感、憤りが起き上がり、、それを解消するためにPCは自身でさらにプログラム(思考)を立ち上げてこれを解消するように動き続けるのです。結果言語が起き続けイメージが連鎖していきます。

PCは、、、、

PCはなぜこの違和感、憤りが生まれるか分からないので、、ただプログラム(思考)を起こし続けて解消に努めるのですが全く解決の糸具とが見えないのです。「この体この思考この感情が自分」というプログラム、、実はここに原因があるんですがそれに気づかないのです。この自分が解決する、、、という思考にはしっかりと「自分」プログラムが埋め込まれているのです。

悟りとはPCの勝利

悟りとはPCがこの自動プログラムの仕組みに気づいてそのプログラムが起きないように対策を起こすことです。全体がこの体の立ち上がりとともに起こるプログラム「この体この思考この感情が自分」の存在に気づきそこからの自動連鎖を起こさないように阻止します。解放とは、、もうこの自動プログラムが起きないことです。

エゴ(自我)の研究とは???

これはウイルス対策

ウイルス対策ソフトは、、ウイルスのプリグラムパターンを予測し、、それに反応するようになっています。予めウイルスのパターンをPCにインストールしておいてそのパターンが起動した時その時点でそれに反応します。PCがウイルスに対し自動反応を起こさないように予め予測したソフトこそがウイルス対策ソフトなのです。悟りとはエゴのパターン、自我のパターンを予め学びこれを自動増殖させないためのことです。

エックハルトトールは自我(ウイルス)の動きを見破った

エックハルトトールは書籍の中で再三に渡ってエゴの動きを解説します、、、なぜか????PC(全体)にエゴの動きを学習させエゴの自動増殖を防ぐことを覚えさせているのです。ウイルス(エゴ)は動きを予測されてしまうと自動活動がやりにくわけです。水面下(無意識)に動きを強化し気づいたら染まっていたという状態が安定状態です。一方エックハルトトールはその動きを再三に渡って詳しく説明し要所要所でPC(全体)にこれを気づかせる仕組みを作ったのです。

全てが繋がる

悟りとは覚醒とは解放とは、、この仕組みを完全に理解してしまうことです。プログラム(思考)の異常増殖阻止、PCと言語の関係、ウイルス対策とは????完全に完全にこの仕組みを理解できますと、、、勝手に思考(プログラム)が立ち上がり、、イメージの世界から出れない、、、なんてことはないですよね????とはいえこれを理解してしまったら、、もう思考の世界、偽りの自我(洗脳プログラム)が幅を利かせることができなくなりますから、、そう簡単ではないのです。

プログラムが起きない???

「偽りの自分」の起動阻止

なぜ毎日「この体この思考この感情が自分」という思考(プログラム)が自動で起き上がっていたのか???それはこの真実を知らなかったからです。勝手に起き上がるように設定され(洗脳)まるでウイルスのようのPC起動とともに起き上がりそれに連鎖してまたプログラム言語が起きるという仕掛けになっていたのです。ですがこの事実が理解できますと、、プログラムの起動を止めることができます。なぜならば「この体この思考この感情が自分」というプログラムが立ち上がった時点でそれに気づき(PC本体)に戻れるからです。自身(PC本体)が朝の自動プログラム起動によって最初からイメージの世界に引き込まれ、、それが連鎖され日中イメージの世界から出れない状態になっていたのです。イメージがイメージを連鎖していました。ウイルスに感染したPCを思い出してみてください。

ウイルスバスター

私はPCの専門家ではないのでウイルス阻止ソフトの仕組みを知りません、ですがあえて推測して説明したいと思います。恐らくウイルスというソフトはPC内に侵入すると、、、その中でプログラムを起こしそれによってPCがそれに反応、、その反応がエンドレスに止まらないように設定し最終的には壊れるものだと思います。ようは以プログラムの異常増殖です。一方ウイルス防止ソフトとは、、そのウイルスが侵入した際に勝手にPCが読み込まないよう、ウイルスに対しての自動停止が立ち上がるソフトではないでしょうか????つまりウイルスソフトとPCの自動連鎖が起きないように設定されているのではないでしょうか???

私がウイルスバスターになる

悟りを学ぶとは、、思考の自動起動を見抜くことです、、思考感情の自動連鎖に対してウイルスバスターのようにそれを俯瞰し、、、今思考が上がった、感情が上がったと、、そこからの思考感情の連鎖を阻止することです。重要なことは自動連鎖であり、、自動連鎖はそれに対し無自覚であることが原因なのです。この仕組みを理解するということがPC内にウイルスバスターをインストールするようなものです。

映画「マトリックス」のプログラムコード

あれが思考

映画間トリックスのポスター、主演のキアヌリーブスの周りに緑色のプログラムコードが描かれています。あれが言語、思考です。我々の本質はPC本体です、その中にプログラムコードが流れますとPCがそれを読み取りイメージ化します。我々の思考も湧き上がりそれを全体が読み込みイメージ化するのです。朝起きると「この体この思考この感情が私」というプログラムが起動し偽りの自分がイメージ化されます。と同時に体に反応し「憤り」を感じます。苦しい、、「だけど会社行かなきゃ!!!」が思考として湧くのです。そして「生きていくには働かないとダメなんだ、私が」という思考(プログラム)が湧き上がりそれがイメージ化されます。そして同時に憤りが湧きます。

プログラム(思考)の連鎖

「今から仕事行かなきゃ!」というプログラム(思考)が湧き上がりますと、、同時にそれは体に反応し(面倒くさい!)プログラムが湧き上がります。すると「それでも行かないと生きていけない」という思考(プログラム)が湧き出しそれと同時に「憤り」というプログラム(感情)が湧く。会社辞めちゃおうかな????という思考(プログラム)が湧き出しまた「憤り」(感情)が湧き出す、、、これをエンドレスにやるのです。プログラムがエンドレスに起こり続けている状態です。

起こっていること

起こっていることは実は超シンプルでPC内で湧き上がるプログラムに対しさらなるプログラムが起こり続けているだけ。PCがプログラムを読み込むことでイメージ化されそれを読み込んだ時点で反応(プログラム)が起きそれがイメージ化されてまたプログラムが起きます。これしか起きていません。これが今ここで起きています、それえがこの世界です。

重要なこと

PCとプログラムがあり、、、、いまここと思考があります。ここに時間は存在しますか???空間は存在しますか???ないですね。そうです「私」という存在も登場しません。PCとプログラム、いまここと思考しかないのです。覚者は言います「何もない」と。「私は悟りこれだけがあった」「ストリーが突然落ち平安だけが残った」なんとなく分かりました????プログラム(思考)が全く起きなくなった時PC(平安)だけがあったのです。

人間GOからの脱出

人間は人間GOから脱出できるのか???

ポケモンGOの良いところは飽きたら一瞬で辞めることができます、ですが人間GOは同じように辞めることができません。人間GOは飽きても、苦しくても、辛くても終わらせてくれません。これこそがこの人間GOの本当の恐ろしさです。人間は人間GOがしんど過ぎても、、死ぬのが怖いのです。これぞ八方塞がり、これぞ七転八倒、、、人間GOは本当に恐ろしいゲームです。

だが人間GOは見破ることができる

人間が人間GOを辞めることができないのは、、このゲームの仕組みを知らないからです。知らないから死ぬのが怖い、老後が怖い、人生が怖い、、、この順です。ですがこの人間GOの仕組みを理解してしまうと、、、我々は死ぬことができないことが理解できます。この体が死んでもこの意識、「私が在る」という絶対的意識は消えないことが腹落ちできます。人間GOを楽しくやるコツは人間GOのカラクリに気づいていくことです。カラクリの気づき方は百万通りあります。このブログもその一つです。

他人を見て人間GOを理解する

この人間GOの面白いところは、、、ゲームの中に同じような境遇の人間がたくさんいます、みんなこの人間GOをプレイしています。どんな人がこのゲームを楽しみ、苦しんでいるかが一目瞭然で見えます。ここはポケモンGOとは全く違うのです、ポケモンGOは敵しか出現しませんが人間GOは敵が実はいないのです。敵を作り出しているのは自分の価値観です。そう思えば人間GOは平和なゲームです。

人間GOの問題点

問題を解決しても満たされない

ポケモンGOにおいて最初のモンスターを倒したらもう満足、あとは何も倒したくない、、、こうなってしまったらゲームが成立しません。人間がポケモンGOを楽しむわけですが人間とは目の前のモンスターを倒してもお腹いっぱいにならない生物なのです。目の前のモンスターを倒したら次々に他を倒したい、、倒した快感は一瞬で過ぎ去ります。これが人間の面白さでありかつ大変さです。

人間GOでもこれは同じ

ポケモンGOをやる人間は次々にモンスターを倒したいという衝動があって成り立っています、このことに人間は気づきません。一体何匹のモンスターを倒せば気が済むのか???答えは何匹倒しても気が済まない、、倒すのに飽きるまでこれが続きます。お腹いっぱいになるからゲームを辞めるのではなくゲーム自体に飽きるから次に行くのです。これを人間G Oでもやります。人間GOも次々に目の前の問題を解決していきます。ですが一切お腹いっぱいにならないのです。

しょうがないから問題を無理くり作る

人間GOにおいてモンスターは出現しませんが、、お腹が一切満たされない人間は問題を無理くり作り出し、これを解決して生きていきます。友人グループによくある出来事ですが、、誰かを必ずヒールにします。あいつのあの行動は問題だ、、そしてそれをみんなで話題にして解決を図って遊んで行くのです。何人か人間が集まれば必ず誰かが問題児扱いされそれを話題にして解決を図ります。こんなことを職場でも家族でも芸能界でもやっています。モンスターの代わりに問題を創造するのです。その土台になっているのが価値観というプログラムです。

価値観(プログラムの集積)越しに世界を眺めるから問題(モンスター)が出現する

そろそろクライマックスになってきました。ポケモンGOではモンスターが分かりやすく出現することでそれを倒して人間はゲームに興じます。人間GOでは価値観というプログラムの集積が本質の世界を独自の世界に変化させ問題に映るように作り出すのです。そうです、価値観というフィルター(プログラム)が問題(モンスター)を創造するのです。何もないたった一つのエネルギーが人間の価値観(プログラム)にかかれば独自の世界、独自のモンスターを創造しそれを解決して一瞬お腹を満たしているのです。これが人間GOのネタバラシです。

ポケモンGO、人間GO

ポケモンGOは絶賛ネタバラシ

ポケモンGO、5年ぐらい前に大ヒットした任天堂のゲームです。スマホ越しにこのアプリを起動しますと、、、一般道、一般通路、私道、部屋の中、建物の中、、、リアルな現実の世界の中に、、モンスターが出現します。そしてそのモンスターをアプリの中で倒すのです。ゲーム業界の革命です。リアルな世界をゲーム化してしました。このリアルな世界のゲーム化、、、これこそが人間様が今絶賛やっていることです。このゲームは人間様が脳内でやっていることをまさかゲームとしてやってしまったのです。

人間GO

人間GOはゲーム内に出てくるキャラ(両親)が、、、あらゆる言語を、、、子供の脳に呼びかけることでインストールさせていきます。これはコップ、これはスプーン、これはおもちゃ、これは犬、これは猫、これは鳥、、、これを延々と行っていきます。これによって脳内に言葉がインストールされていき、、この言葉が、、、見える世界の中にその物体を作り出すのです。全体からそれを切り抜きます。日本語というプログラム言語です。ポケモンGOもエンジニアがモンスターを言語で作り出していきます。人間がやっていることと全く同じことをエンジニアはPC内で行っているのです。

人間GOその2

両親からあらゆる言語をインストールされた子供は生きる世界に名前がついた生物、植物、物体が出現していきます。川を眺めればそこにフナやコイ、金魚が現れ出すのです、それまではただ動く何かがあっただけです。名前を記憶することでそれが子供の世界に現れたのです。クワガタという名前を覚えることでクワガタが世界から切り抜かれ存在を認識します。カブトムシという名前を覚えることでカブトムシが子供の世界に切り抜かれ出現します。あらゆる登場キャラが揃ったところで、、小学校に入学しそこからはプロの先生がこれを引き継ぎます。

人間GOその3

名前を覚えることで子供が生きる世界にあらゆるキャラクターが登場し始めます。そして次にはそのキャラに対する解釈をインストールしていきます。背が高い、低い、太っている、痩せている、性別、年齢、暑い、寒い、、、これが陰陽・二元の世界です。言葉を覚えることでこの世界を解釈の世界にしていきます。そしてその解釈がまたこの見える世界を変化させていくのです。化させていきます。

人間GOその4

この世界にあらゆるキャラが登場しその解釈まで始まった人間はですが自身の言語、思考がこの世界を変えているということには気づきません。なぜならば大人すらも気づいていないからです。ということでこの延長線をひたすらに辿っていきます。マズローの欲求五段階を登っていきます、生存の欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求、、、動物から人間に進化し、人間独自の進化を繰り返し、最終的には全体に戻るというゲームです。

視点が変わるだけ

PCとしてアプリ操作するかアプリとしてアプリを操作するか

我々はPC内のアプリとしてアプリを操作しているつもりになっている存在です。アプリがいきなりPC内で自由意志を持ち勝手に動き回りあらゆる体験をする(つもり)存在です。ですが実際にはアプリはアプリ単独で動けるわけがなくPCの機能に依存しているのは間違いありません、なぜならばアプリはPCの中のプログラム言語に過ぎないからです。アプリを紐解けば全部が全部プログマム言語でできています。そしてそのアプリに「私が全動作を行っている」という勘違い機能が付加されただけです。それが自分という意思を持ったアプリであり我々「人間」の真の姿です。

アプリは言語をインストールしていく

アプリはPC内で様々な経験をしていくわけですがその度に価値観が変わり、か情報も増えていきます。アプリ内のプログラム言語が増えかつ書き換わっていきます。これによりアプリから眺める全体(PC)の姿は確実に変化していきます。なぜならばアプリが見る世界とはプログラム言語で解釈された世界だからです。アプリとはプログラム言語のことでありそれが書き換わっているにも関わらず見える世界が同じということは絶対にありません。

自我=言語

つまり自我とはプログラム言語です。我々が覚える単語は全てプログラム言語なのです。そして我々が見ている世界はその言語、プログラム言語で形成された価値観(プログラムの集合)で眺められ解釈されています。真実を見ているつもりになっていますが実は全部が全部プログラム言語の解釈が加わっています。ポケモンGOというアプリがあります、、道を歩く際に スマホ越しに見ると、、、道の中にモンスターが出現します。実際は普通の道ですがそこにモンスターが登場します。これを我々はデフォルトでやっているのです。

アプリ独自からPCからのアプリへ

当たり前の話ですがPC内のアプリがPCの機能を使わずにアプリ単独で動けるわけがなくPCのOSから全ての機能でアプリは作動します。アプリを動かしているのはPCです。人間は悟りを開くと自身が実はPCだったという気づきが起こります。なぜならばアプリを起動させているのは事実としてPCだからです、何も不思議なことではありません。自分自身が独立分離した存在だという思い込みが(プログラム言語)そうさせていたことに気づきます。

最終的にはPCの中でアプリが起動していただけという気づき

アプリを動かしているのは機能的にはPCです。それは事実です。アプリはプログラム言語でしかなく機能のほとんどをPCに依存しています。人間も全く同じで人間独自で生きていると思い込まされています、本当はあらゆる機能を全体に依存しているのです。ですがその事実を気づかないようにプログラム言語が働いています。そして本当のことを言えばPCが自主的にアプリを起動させているのではなく操作するのが人間であるように、、、この人間を動かしているのは全体ですが(機能的には)全体が意思を持ってこの人間を操作しているのではなくただその動きが全体を通じて起こっているだけです。人間ー全体ー(操作する人)がいるわけではなく、、、、人間ー全体ー空という感じです。空からビッグバンが起こり、、その起こりを通じて人間はその中で起動しています。全てはビッグバンのごとく空からの爆発で起こっています。

空からの爆発=ビッグバン

ビッグバンとは宇宙の起源、爆発です。どこからこの爆発が起きたのか??空、THE ONE、絶対、無ということになります。ここからの爆発によってこの宇宙、色の世界、現象界、全体が起こりました、、、その延長線上で生命が生まれ、植物が生まれ、動物が生まれ、人間が生まれ、、、と進化は続いていきます。そしてその延長線上で人間は言語、記憶能力を身に付け、、人間が居る世界すらも作り出したのです。ポケモンGOの世界(現象界に独自の視点を加える)、人間GOの世界です。