いまここ

偽りの自分は将来に夢を描く

本来は存在しないからこそイメージに固執する

将来はこんな風になって活躍した、将来はこんな家庭を作って幸せになりたい、、、偽りの自己は本当は存在しないからこそイメージに固執するのです、もしくは過去という中で偽りの自己は実在していたことを強く主張します。過去に未来にイメージを強化することで自己存続にかけるのです。全ての行動原理は自身が偽りゆえの延命行動なのです。

本当は過去にも未来にも存在できない

セルフイメージが今に存在できるわけがなくゆえに未来にセルフイメージを作ることで意識をそこに向かわせます。もしくは過去にセルフイメージを作り自身の存在を保持しようとします。ですが「この体この思考は自分」というのはイメージですから、、、どこに意識を向けようと存在はしていないのです。

意識が将来に向いている間

本当の自分とは今この瞬間そのもの、今この瞬間を作り出す全てです。今この瞬間において「この体この思考が自分」という思考は真実ではなくフェイクですから、、今ここに意識を向けることを嫌うのです。偽りの自分を肥大化するためにはここに意識を向け続ける必要がありゆえに未来にそのイメージを意織し過去にそのイメージを意織することでこれを保持しようとします。今この瞬間に意識を向ける(大いなる存在)ことと偽りの自分を保持することは相容れないということです。

本当の私はどこに居る????

ここ以外にいるのか????

「この体この思考が自分」じゃないとすると、、、、、本当の自分はどこに居るんでしょうか????どこか遠い場所に居るのか????どこか離れた場所?????であるはずがないんです。。本当の自分がどこか遠くにいるならば、、、ここはどこだ?????ここは偽物の場所なのか????です。もしも本当の自分がどこかに居るとしたら、、、ここしかないのです。そうです、、、ここにいるんです、間違いなく。

いまここに居るとして

いまここに本当の自分が居るのは分かった、、、、ではどこん居るんでしょうか????どこに隠れているのか????どこかに隠れれるとしたら、、隠れることができる残りの場所は何????となってしまいます。そうです本当の私はかくれちゃだめなんです。隠れた瞬間に、、隠す場所が本当の私以外になってしまうのです。つまり本当の私は、、、、どこにも隠れず、、、、ここに存在しています。目の前のコーヒッカップ、テーブル、あらゆる人々、、、この視界の全て、ここで聞こえる音の全て、香りの全てです。

この経験が本当の私の経験ではないとしたら

「この体、この思考である私」が感じる経験は誰の経験でしょうか????それが本当の私の経験ではないとしたら、、本当の私の経験とそれ以外の経験が存在してしまうことになってしまいます。そんなはずはない、、すると今ここで起こる経験の全ては本当の私の経験です。では本当の私と、、経験は別なのか?????本当の私と、、経験が別であったとしたら、、、経験は偽物になってしまします。違うんです、、経験もそのまま本当の私です。

スポーツしたあと気分が良い理由

体は今(至福)にしか存在できない

スポーツ選手って爽やかなイメージがありますよね?????なぜでしょうか???簡単です、体を動かすって今(至福)でしかできないんです、思考は昨日に戻ったり、一年後のことを考えたりと、、時間という概念の中で行ったり来たりするんですが体は今(至福)ここしか居られないんです。だからそれだけで大満足なんです。だから思考で捏ねくり回して、、、こうなったら将来幸せみたいな技を使わなくていいんです。

思考は未来に向かってこうなったら(条件)幸せになれる気がする、、を使う

思考は、、こういう条件の人と結婚したら、、こういう家に住めたら、、こういう旦那さんだったら、、、って未来に未来に幸福を目標設定しそのために何をしなきゃ、こうしなきゃって宿題を出してくるんです。幸福というのを将来に設定するんですね!!!ところがそれは思考が考え出したイメージですから、、そこにたどり着いてもイメージしかないんです。イメージがその人を幸せにしてくれるってないんです。

スポーツは今しかできない

体を動かすって今しかできません、、、物理学上、、ここでしか体って持ち運べないのです。そうすると今(至福)に感覚を作ることになります、今という場所にチューニングをします。その時に雑念って邪魔なんで思考が湧かないようになります。意識が過去や未来ではなく今に集中するんです。すると今は至福なんで、、至福に触れるのです。体を動かす時に、、思考を使って先ずは左、次は右ってやらないんです、、、全部自動反応ですよね!!!

毎日運動して今にチューニングする癖を作る

運動をルーティン化しますと、、、今にチューニングする習慣ができます。今(至福)に触れる癖がつくんです。本当の自分は「この体、この思考」ではないんですが、、、その思考が抜け落ちるんです。そして至福に浸れます。毎日毎日至福に浸る癖が付きますと、、、、思考でこねくり回すて幸福になるという作戦が起きにくいんです。だって今ここで至福に浸れるんですから。

夢(思考)からの脱出

夢は思考が作るのだから

この世界はたった一つのエネルギーでありあるがままです、そこは至福、平和、歓喜の場所です。そこに思考が立ち現れることでその思考があるがままに読み込まれ、、イメージが湧き出てきます、思考通りのイメージです。そのイメージの連続こそが夢です、この夢の中では時間(思考)があり空間(思考)がありと続くのです。この世界(夢)に居るのは苦しく居心地が悪いのです。その中で常に今ここ(あるがまま)に住まう方法があります、それはしっかりとこの体と繋がることです、この体は思考ではないのでいまここにしか存在できないのです。つまりドラマ、ファンタジーに住うことができません。この体は常にあるがままに席を置くのです。

この体を感じる

エックハルトはこれをインナーボディーと呼びました。常に体を感じる感覚を得ることです、体を通じて今にある感覚を構築するのです。そうすると思考に支配されずに夢に引きずられないということです。思考は夢に意識を導き夢を維持しようとしますが体がそれを阻止します。今という場所の至福を忘れないでいられるのです。今は至福しかありません、思考の世界(過去未来)は分離の世界、ネガティブな感情の世界です。

虚(空想)の世界は空気が薄い

居の世界ドラマの世界夢の世界は、、たった一つのエネルギー(至福)が作り出した世界ではありますがここはネガティブ(分離)の世界ですから苦しいのです、、ここに居住し続けると苦しくなります。ですからいまここに居たい、、、そのためには今ここに絶対に存在するこの体に意識を向けるのです、この体を感じるのです。この体を感じているのは誰でしょうか???本当の私、あるがまま、真我です。思考ではなく体に気づくことでいまここに住うことができます。ここは至福、平和、歓喜の場所です。

ビッグバン

ビッグバンは起きていない

この宇宙はビッグバンが弾け、、、そのまま拡大し今に至る。これが宇宙の誕生ストーリーです。ですが残念ながらそれは空想、妄想、ドラマです。実際にはこれは夢ですから決まった宇宙の誕生などありえません。こういう経緯で、なんてドラマはないのです。本当はいまここに夢が広がっているだけです。コレは夢ですからビッグバンもブラックホールも全部夢の中のドラマです。

ビッグバンが弾ける前は???

ビッグバンが弾けてこの宇宙が誕生したのならばでは弾ける前はどうなのか????何もない、、となります。ですが本当は時間など存在しないので弾けるも弾けないもないのです。今ここ以外何も起きていない、以上です。コレは夢ですから起きていないことは起きていないのです。今起きることが全て、夢とはそのようなものです。

夢の中の時間

夢の中って時間はあります、あるように感じることができるのが夢です。A地点からB地点にまで歩けばその間に時間が進んだように感じますね、夢の中で。ですがこれは感じているだけであって時間という確実な何かがあるんではなく時間を感じているだけです。そして時間が進むテンポは変幻自在に動くので決まった何かはないのです。それがこの夢の中の時間です。

時間が早く過ぎた、時間を長く感じる

時間というのが早く感じたり遅く感じたりするのはそもそも時間というのがないからです、、あくまでも時間があるように感じるものであって、、本当はこの夢はその瞬間瞬間に移り変わっているだけです。それ以上も以下もないのです。毎晩見る夢も時間はあるようなないような、、変幻自在なようにこの夢も全く同じです。ビッグバンが起きたかどうかという議論が無毛なのはこの夢で過去に遡って本当に起きたかどうかという理論自体が破綻しているからです。私が昨日みた夢で始まりはビッグバンは起きたのだろうか????という話です。

あの事件ってこういう裏事情があったみたいだよ

裏事情が今出現した

ジャニーズ問題って実は裏で大物政治家が動いたみたいだよ!!!そんな話を友人から聞いた時に多くの方は、、へーそうなんだ!知らなかった!!!となるでしょう。先ず大前提でそのような事情があったにも関わらず表には出ていなかったんだね!!!です。ですが夢ですから、、そのような裏事情なんてものは起きていなかったのです、、今友人の話でそういうドラマ(話のみ)が出現したのです。大物政治家が直に動いて、、、なんてドラマは実在しないんです。なぜならばあなたが見ている夢でしか現象は起きえないからです。

そんなことはない、今その政治家が記者会見している

違います、、その話が登場し、、あなたがYOUTUBEを開くという動きを見せたから、、そのドラマが現象化し、、画面内でそのような現象が今立ち上がったのです。実像ドラマが現象化したんです。これは夢ですから今ここ以外では何も起きえないのです。本当に本当にシンプルなんです、シンプルすぎてみんな頭に入らない話です。

急に成績が上がった友人

あの友達、、急に成績が上がったけど、、あの塾に行っていたみたいだよ!!!!違うんです、、今その話だけが立ち上がったのです、この夢です。そしてその友人と話をすると「実はあの塾に半年前から通ってたんだよね!!」という話だけが今立ち上がるのです。その友人が塾に毎日通っていたという映像はないのです、だってあなたの夢でそれが起きなかったから。

夢の中で、、いまこの瞬間以外は何も起きていない

就寝中の夢の中、、今見ている現象以外は存在しない

就寝中の夢の中で、、、大親友が出てきて二人で居酒屋に行った、、、そして食事会話を楽しみました。。その時、、もう一人の大親友が出てこなかったけれどあいつはあの時何をしていたんだろうか???と疑問に思うだろうか????思うわけがないんです、、なぜか???夢とはその瞬間瞬間の現象以外ありえないからです。両親も奥さんも、子供も、会社も、、夢の中に出てこなければ、、、存在しなかったのです。あの時奥さんは??あの時子供は??あの時会社は?????は疑問自体がおかしい。

この現実世界もまさかの同じ

この現実と呼ばれている世界、この現象界も全く同じメカニズムでできています。今この瞬間に現れている現象以外は全く全く存在していません。地元の友人も、かつてのクラスメイトも、かつての友人も恋人も、、、、今ここに居ないのならば実在しないのです。なぜそれが言い切れるか???それはこの現実が幻想であることは間違いないからです。幻想であるということは夢と全く同じ、、そして夢と同じでノーコントロール、、

分かった、、これが夢だとして、、では誰が見ている???この夢を

それは分かった、、夢としましょう、、この現実は。。。。じゃあこの夢を見ているのは誰なんですか?????「私」はこの夢の登場人物に過ぎないわけで、、じゃあ誰だ???誰がこの夢を見ているんだ???〇〇という存在、、という名前は絶対に絶対にありません。なぜか???誰それという名前があるならば、、その存在以外の存在がいることになってしまいます。それをあえて説明するならば全部、全体、唯一無二、非二元、ワンネスがこの夢を見ています。

名探偵コナン

たった一つの事件から全てを読み解く

名探偵コナンとはたった一つの事件から全てを読み解いていく探偵アニメです。殺害された人の容態から取り巻きの発言を紐付け、矛盾を見つけ出し、、犯人を暴いていきます。人間は時にこのコナンのように立ち回りあらゆる詮索をします、そして紐付けが当たった時には「やっぱり!!」と唸るのです。真実、ノンデュアリティからこのコナンを解析すると全く異なる展開が始まります。

コナンは事件から過去に遡るが

コナンはいつもこうです、、、被害者の容態、周囲のアリバイから過去に遡り仮のストーリーを作り上げていきます。被害者は三日前ここで働いていて二日前は自宅に居た、そして当日ここで殺された、、、このように事実をストーリー化していきます。そして一番近くに居た同僚のストーリーを同じように作り上げます。奥さんのストーリー、浮気相手のストーリー、そして全員のストーリーを並べてみて矛盾点がないかを探るのです。

真実は異なる

真実のみを伝えれば、、事件が起きたその景色(被害者が倒れている)に過去は存在しません。殺人という現象すら起きていないのです、そんなはずはない殺人されなかったら、、なぜ今ここで倒れているのか????血を流して、、、、答えを言いましょう、、、あなたが居る世界ではあなたの許可なしには何も起きえないのです。つまりあなたが認識していないことは何も起きることができないのです。

もしも殺人現場を見たことがないのならば

多くの人は目の前で殺人など起きたことがないでしょう、、となると、、、この世界には殺人は一回も起きたことがないのです、、あなたの目の前以外では何も起きていないからです。殺人件数0件です。なんて平和なんでしょうか、なんて安全な世界なんでしょうか、、この世界では殺戮が多発し、、、嘘です、起きてないですから、、、残念!!

名探偵コナンは廃業

真実から説明すれば、、名探偵コナンの推測は何も起きていない、、、たった一つも起きていません、、ということでコナンは廃業に追い込まれるでしょう、、、真実を知る世界からは。でもなぜあのアニメは人気なのでしょうか???それは全員が想像の世界で生きているから、、そして想像の世界で右往左往しながら生きているから、、楽しいのです。

事件が起きた時に

なぜ???

自転車が取られてしまった!!!なぜ???なぜ私の自転車が、、、目立っていたのか???高級そうに見えたのか????昔から目を付けられていたのか???盗まれたとして個人情報はどうなるのか???どこかに売られてしまうのだろうか????事件が起きるとその原因究明、そしてその後の被害拡大、、とエンドレスに「思考」が湧き出してくるでしょう。その思考とは今ここで起きていない、、真実と結びついた空想の話です。空想って言っても盗まれたのは事実だからそれまでのプロセスを「考える」って重要ですねよ!?そして今後起こりえる「可能性」を考えるって必要ですよね???残念!!!!必要ないんです。

本当は時間がない

過去があってそこに要因があり、今その要因によって事件が起き、将来その事件によって次の何かが起きる、、、これが人間が考える普通の発想です。ですがこれって時間ないと成り立ちませんよね????時間ありきの発想ですよね???ですが時間はないんです、過去現在未来という流れがないんです、実は。そうなると過去も将来も因果がないということになります。勿論自転車が盗まれた背景を探れば、、誰がなぜどういう理由で盗んだのか???は分かるかもしれません、ですがそれはたった一つのエネルギー(いまここ)がその映像を今こしらえたのです。残念ながら過去にそのようなことがあってという真実ではありません。今事件のストーリーが湧き出たのです。そして将来どうなるか???は今こことは全く関係なくどうにでも起きえるのです。

たった一つのエネルギーが変化するのみ

変化といのも時間ありきなので表現がズレますが、、、いまここ、あるがまま、はただ移り変わるだけです、、無限が移り変わるのですから変化も無限なのです。それを今繋ぎ止めると時間(思考)が今誕生します。それだけ。自転車がどうやって盗まれたのか???は今そのストーリーが生まれたのです。ある人がこうやって盗んでという事実は全く起きていません!!!なぜか????その人が盗んだという事実は「あなた」がいる世界では起きていないからです。ストーリーとしてそれが今立ち上がったのです。

そこを詮索する無駄

起きていないのですからそこを詮索するのは全くの無駄なのです、、どういうストーリーが浮かび上がるか、、それを楽しむのは良いでしょう。ですが真剣に真剣になぜ盗まれたのか???を考えるのは真実とは異なっています。真実では盗まれた背景は存在しないのです。真実では自転車が消えた、、これだけであり、、その背景は存在しないのです。

悟る!悟る!悟る!

眠る!眠る!眠る!

寝るためにベッドに入ることは重要なことです、ですが入ってから集中して集中していざ眠ろう!は逆に眠れない。それでは無理です。悟りも全く同じ、そこに意識を向けることは大切、ですがそれが執着になると逆に難しい。そのバランスは重要です。

真実を理解していくことは

真実を理解していくことは寝具を整えていくのと同じです。寝具が整っていきますと当然眠りに落ち易いわです。ベッドを掃除し枕を綺麗にし加湿器をつけて暖房を入れる、、、こうしていくと瞬時に眠りに落ちることができます。悟りもこれと同じ、真実の仕組みを理解していきますと悟りに落ち易いということです。

再吸収、再吸収、再吸収

眠りに落ちる時、主語は自分じゃないんです。自分が眠りに落ちるってちょっと違和感があります。眠りに落ちる時って自分が無くなる感じですよね。悟りも全く同じ、自分が無くなるのですから主語は自分じゃないんです、、では誰が主語なのか????自分を眠りに落とす主語って誰ですか???居ませんよね、それをあえてあるがまま、全体、ワンネスと表現すんですがこれは非常にやっかいでどの言葉を用いても違うんです。言葉を当てはめれる存在ではないんです、眠りに落ちる時、どこかに吸い込まれうような感覚があります、、そのどこかです。でも間違いなく我々は眠りに落ちれう時にそこにアクセスしてます、そこに波長を合わせてる。悟りとはまさにそのどこかに波長を合わせ再吸収してもらう感覚です。

眠る時にあそこに行こうとは思っていない

眠るに落ちる時に、、さああそこに行こうとは思って寝ないですよね、、、あそこではないんです、、今ここに間違いなくある、今確実にあるこの場所です。悟りとはどこか遠くに行くことではなく元々ここにある場所に帰る感覚です。本当はずっとここにあるのに見えなくなってしまった場所、そこに再吸収されるように準備を重ねていきます。