エゴ

病気になりたがるエゴ

エゴの延命作用

信じられない話かもしれませんがエゴは病気を手放そうとしません、エゴは病気になることで周囲から構ってもらえると、、自身の存在を証明できます。すると病気を手放そうとはせず逆に病気にしがみつくのです。エゴは本当は非連続性の存在であり現れては消える儚い存在なのです、よって確実に永続するためには病気にしがみついて存在を証明したがるわけです。

治るわけがない

つまり病気でもってエゴを確立している人は、、病気を手放すわけがないのです。もしも手放してしまったら大変次は何か他の方法で自身を証明しなくてはならなくなるのです。ということで周囲から心配してもらえる病気はエゴの大好物なのです。万が一病気が進みすぎて命を落とす危険性がある、、そこまで病気が進行した時には本気を出して治そうとします。

この手法に気づく

本当は治したいんだ、、その気持ちが強くなってきた時にはこのエゴの手法を完全に俯瞰します。周囲から構ってもらいがために病気になるという手口をエゴは利用する、、するとエゴはこの手法を使わなくなります。エゴの動きを見抜くのは誰でしょうか?????エゴではないですよね?????エゴではないとすると大いなる存在、本当の自分です。つまりこの手法を見抜く時真の安らぎを手に入れることができるのです。

エゴの無意識の活動

エゴに対して意識的というのはない

エゴとは「この体この思考この感情が自分」という思考感覚が完全強固になった状態です。ですから思いついたアイデア=自分、、傷つた感情=自分ですから、、、「誰かに傷つけられた=自分」、、、じゃあ「やりかえしてやれ!!!というアイデア=自分、、、、の流れを止める方法がありません。やりかえしてやれ!!!がアイデアとして湧いてきた時に、、、それはあくまで湧いてきたアイデアに過ぎない、、、という俯瞰した感覚があれば、、、辞めとこう!!が湧きますが、、、、、それがないんです。

湧いてくる思考全部=自分

やり返してやれ!!!!が湧いてきた時、、、それがそのまま自分、、、、、であれば、、そのアイデアを疑うということはありません。ですからそのまま動くになります。多くの方は湧いてくる思考を自分が湧かせたとお見込んでいます、、、ところが実際は思考、アイデアは勝手に起こっているのです。。。思考になれ愛着があるかといえば「私の思考」だからです。だからそのアイデア思考に執着します。

私の思考が粗末にされた

約束事が守られなかった場合、、、なぜ人は怒り出すのか????それは「私の思考」が粗末に扱われたと感じるからです。「私の発言」が忘れられて粗末に扱われたと感じたからこそ怒るが勝手に起こったといくことです。エゴに同一化し無意識で生きている人々が性格が悪いとかそのような話では全くなく、、感情が自動反応で起こるということです。

考え方の否定

エゴと同一化、自我と同一化している人々に対して、、、、その考え方を否定しようものなら、、とんでもない拒絶反応が起こります。それは思考=自分ですから、、思考の否定は、、、自分の否定だからです。自分が消え去ってしまう自分が殺されてしまうような感情が自動反応で起こるのです。ですが「自分」を守るという点では非常に優秀な動きであり生物としては問題ないのです。

苦しい

自我との同一化、エゴとの同一化は生物としては非常に優秀でシンプルな行動でしょう。ところが問題は「苦しい」のです。「思考、感情は自分」という思考感覚は真実でないんです、嘘なんです、、、ですから、、、真の安らぎ、真の平和から一番遠いところに居るんです、、、この思考を信じると、、「痛み」が発生します。だから生きているのが辛い、、、となります。生物としては自身を否定することに拒絶反応を示し安全ですが同時に苦しいからは逃れられないのです。