海であることを忘れた波は何者かになりたがる

自我は何者かになりたがる

海であることを忘れた波は何者かになりたがります。波は自身を不完全なものであると感じますから自身よりも完璧に見える何かになりたがるのです。例えばサッカーをする少年はメッシになりたがります。もしもその少年がそのままで完璧だと感じていればメッシを目指すことはないでしょうが自分を分離した独立した人間であると錯覚すればそこには不足感、分離感、不完全感が湧いてきて何者かになろうとします。

完璧に見える何者かは実は完璧ではない

海であることを忘れた波が生きている世界において完璧な存在は一つもありません。それはその世界自体が幻想の世界、ストーリーの世界、分離の世界だからです。その世界の中に完璧性を見つけるのは不可能なのです。ですから何者かになろうとする努力は全て無駄に終わります。仮に何者かになれたと感じても虚無感、不足感、飢餓感が抜けることは絶対にありません。ですがその何者かを目指す道中において無心に入り、無我に入ることができるのならばそこで安堵、安心、平和そのものになることができます。何者かになる前に広大無辺の海、全存在、ワンネスになることができます。そこに準備、プロセスは不要です。

波物語、現象界は完璧に入るための舞台

このストーリー、波物語で完璧(海)になることはできません。これは幻想の世界、分離の世界、夢です。これが夢であることを見抜くことでしか実は完璧(海)になることはできないのです。ですが何かに没入する、無心になることで完璧を一瞥することはできます。自分が波であることを忘れるぐらいに何かに無心(海)になることで完璧に触れることができます。完璧はどこか遠くにあるものではなく今この瞬間にそこに至れることを知れます。そしてこの感覚を一度でも知った波はそこから後退することはありません。

(Visited 43 times, 1 visits today)