固定観念

なぜあの人ばかりが上手くいくのか?

上手くいっているあの人も実は不安でいっぱい

あなたの目の前に何でも上手くいっている友人が居るかもしれません、旦那は高級取り、子供も優秀、親も金持ちで全部持っている、、、そんな友人に対しては妬み嫉みなんでも起きるでしょう。ですが安心してください、、どんな人も実は不安で不安でしょうがないのです。なぜならば自分という存在の言動を全くコントロールできないからです。私は明日大丈夫だろうか????です。全くコントロールできないこの自分を抱えながら誰しもが生きているのです、不安に決まっています。

持ち上げられれば持ち上げられるほどに

大成功した事業家が自殺、大成功した俳優が覚醒剤、そんなニュースは山ほどでるわけですがなぜでしょうか???一生遊んで暮らせるお金を稼いで何がストレスなのか?????簡単です、、自分という存在との付き合い方がわからないのです、何をするか全くわからない、そして常に違和感を抱えているがその理由もわからない、、です。自分という存在の扱いがわからず、かつ違和感の原因が見えないのです。これだけ全部手に入れてこの後は何をしたらいいのか?です。

コントロールできないことを認めちゃえば

簡単なこと、自分は何もコントロールなどできない、思考も行動も全部ノーコントロール。そしてそれを統率していたはずの自分も実は存在せずそれも思考でしかない、固定観念です。ということで自分も居ない、自由意志もないをさっさと認めちゃえばいいのです。そうなると誰かの前で偉そうにもできない、そして偉そうにしている人を見ても面白い(本当は自分も自由意志もないのだから)となります。

起動からアプリケーションが止まらなくなったPCの末路

作動が止まらなくなったPC=人間

人間は分かりやすくいうと動作が止まらないPCです。PCを起動したにも関わらずあらゆるアプリケーションが起動し続けて止まらなくなることがあります、最終的には強制終了をかけるのですが、、また起動すると同じことが繰り返されてしまう、、、これが人間の苦しみです。PCのアプリは相互に反応して起動が止まらなくなっています。例えばウイルス性のリスクがPCに起こるとウイルスバスターが起動しますがこれによってまたウイルスが起動する、これによってまたウイルスバスターが起動する、、みたいなことが延々と起こるようになります。これが思考と感情で起こるメカニズムです。負の感情が起こりそれを消し去ろうと思考が起動する、思考が起動すると負の感情が起動する、、、、パンク。

このメカニズムに気づけばアプリをオフにする

もしもこれがPCで起きた時PCに詳しい人間はアプリ(思考)の起動をオフにします。アプリ設定に戻って起動オフにするはずです。これによってもう一つのアプリ(感情)の起動も自動的に起こらなくなります。PCに関してはアプリ設定に画面に意識を向けることでこれを行います。人間であれば思考の起動に意識を向けることでこれをオフにすることができます。感情が起こった時に思考が立ち上がるのが定石ですがこの瞬間に意識を向けることでアプリ起動(思考)をオフにします。

起動が止まらなくなって苦しんでいるにも関わらずあらゆる思考をアップデートし続ける人間

感情が起き上がった時に思考が立ち上がり、それによってまた負の感情が湧いてくる、、また思考が起動される、、この負のメカニズムに気づかない人間は思考をアップデートしようと頑張ります。もっと優れた思考(価値観)に切り替えれば負の感情が起動しないはずだ、、、こう考えます。ですがどれほど優れた思考を手に入れようと思考が起動することでまた負の感情が起動するというメカニズムは変わることはなくこの作戦は徒労に終わるのです。

アプリ(思考)オフは絶望

いよいよ負の感情抑制に疲れ果てた人間は絶望的な気分になり始めて思考起動をオフにします、、、するとまさかの負の感情が湧かなくなる、、というジョーク。今までの努力は一体なんだったのか?というズッコケです。あなたの思考が幼稚だから、あなたの価値観が低いから、あなたの情報が古いから、、、このような固定観念で思考をアップデートしてきたにも関わらず実はこの思考の自動起動こそが負の感情を起動させていたのだという深い気づきが起こるとき負の感情の連続起動は終わります。重要なことは負の感情が起きた時に思考を起動させるのではなく思考アプリをオフにするということ、、労力は遥かに低いことです。

本を読んだだけでは究極の気づきは起きない

悟りの本を一冊読んだら全部分かってしまった、、、はない

本を一冊たまたま読んだぐらいで究極の気づきが起きないのは、、、そんなことが簡単に起きるならばこの人間ゲームを作った意味がないからです。書籍一冊で用が済むならば大自然も、世界中の事件も、世界中の人間も、多種多様な動物も全部必要ない、、、こうなります。なぜ自分を取り巻く環境には多様性があり、夜空が広がり、空には星まで見えるのか?気づきの意識がこの体を使ってあらゆる体験を積み、感情を湧き出し、思考を湧き出し、、独自の気づきを作りたいからです。たった一つの真実がありそれを知れば究極の気づきが起きるならばたった一人それを経験する人間がいれば済みます。なぜこれほどまでに多くの人間が存在するのか?それはそれだけの各種気づきを気づきの意識が求めるからに他なりません。

100人いれば100人のマリオ体験がある

100人がスーパーマリオをプレイしますと100人の全く異なったマリオ体験があります。100人の人間がいれば100人の全く異なった気づき体験があるのです、100種類の歴史、固定観念、気づきがあります。これを気づきの意識は気づきたい。気づきの意識は気づきの意識のままでは何も経験できない。気づきの意識がたった一個の気づき体験を欲するわけがないということです。

上手くいかないを経験しなければ上手くいくを経験できない

上手くいった経験をするためにはその前に上手くいかなかった経験が必要になります。これを生み出すために人間は無知無能で生まれました。全知全能の神、気づきの意識が無知無能の人間(自分)を誕生させることで上手くいかない経験、上手くいく経験を作り出していきます。下手を経験し上手いを経験します。最低を経験し最高を経験します。そしてそこにはあらゆる感情、思考が湧き出しそれを自分のモノにしていきます。自分とは気づきの意識から湧き出る感情、思考を全て自分のモノにしていく自分所有体験です。感情・思考・経験・自分所有体験記ということになります。その体験があまりにもオリジナリティー溢れるからこそそこからの気づきもオリジナルなのです。

全体験、全感情、全思考を自分のものにしていくマリオは固定観念が形成される

マリオの固定観念

マリオはゲームをスタートしてあらゆる敵キャラに出会います。ノコノコ、パタパタ、メット、ゲッソー、、、などなど、、、これらの敵と対戦していくことでマリオは独自の経験、湧いてくる感情、湧いてくる思考を自分のモノとして取り入れていきます。脳にある記憶機能でそれらを積み上げていくのです。ノコノコは軽い相手だかが階段で出会うと厄介、パタパタは上から降りてくる時が危険、ゲッソーさえいなければあの時クリアできたのに、、、とゲーム中の経験、感情、思考を全部まとめていきます。これが重なり合って一つの固定観念が形成されていきます。

人間の固定観念

人間の固定観念も全く同じ原理で形成されます。出会う人々によって様々な経験を積みそれを自分のモノにする、出会う人々によって経験がありそこからあらゆる感情が湧いてくる、そしてそれを自分のモノとする。出会う人々によってあらゆる思考が湧いてくる、そしてそれを自分のモノにする。経験、感情、思考の全てを自分のモノとする。これによって自身の固定観念、価値観が形成されます。この固定観念、価値観はそれゆえ人によって全く異なります。価値観が全く異なる人同士がコミュニケーションをするわけですから当然理解できない部分が発生します。

全く異なった固定観念によるトラブル

人間とは固定観念を所有する動物です。人間とは自身の経験、感情、思考を全て自分のモノとして蓄積していく動物です。それによって固定観念が形成されます。この固定観念はそれゆえ人によって全くことなるのです。この全く異なった固定観念を所有した者同士がコミュニケーションをとるわけですから常に分かり合えない部分が発生しそこがトラブルになります。世の中から人間関係のトラブルが決してなくならない理由とはここです。

固定観念自体が錯覚

話を最初に戻しますと、、、人間が独自に所有する経験、感情、思考、、、これらは実は人間のモノではありません。人間が何かしらの行動を起こすと経験、感情、思考が発生しますがこれらの全てはただ湧いてくるのであって決して人間のモノではないのです。マリオが動いた時の経験、湧いてくる思考、湧いてくる感情はプレイヤーから湧いたモノです。これをマリオが自分のモノと勘違います。人間も全く同じで動くと湧いてくる感情、思考は気づきの意識、全体、神から湧いたモノです。これを自分のモノとすることから錯覚が生まれ、固定観念が生まれるのです。固定観念とは大いなる勘違いから発生しています。固定観念の相違によるトラブルとは大いなる勘違い同士のトラブルでありだからこそ解決が難しいのです。

独自の経験が独自の解釈を作り独自の人生ストーリを生む

経験という唯一の事実が解釈を生み出す

全財産を友人から奪われた、、この事実がその人にとっての今後に人生の価値観に組み込まれます。人は信用できない、人はお金の前では過ちを犯す、、などです。これがその人の価値観に強く組み込まれると、もう人は信用できない、、、が基盤になり、、その目でニュースや人を観察し始めます。すると本当にこの世で信用できる人はいなくなります。こうしてこの人の人生ストーリーは出来上がっていくのです。ですがこれは夢です。全財産を奪った友人が現れたとしてもそれも夢、全財産をくれる友人が次の日に現れることもあり得ます。夢ですから。そうなると人は信用できないという価値観が一瞬で崩れるのです。人は親切だに変わる可能性があります。

どんな経験が起きようとも、、、これは夢

全財産を突然くれる老人が現れても夢、全財産を奪う友人が現れても夢です。夢ですから何が起きても不思議ではない、この夢の中に固定のルールはないのです。あるとすれば自身がこの現実とはこういうものだと決め付けるということです。夢にも関わらずこの現実はこうだ!と決めつければその決めつけによってこの夢は変幻自在に変化します、夢の中で。大人になればなるほど、これが夢、というメッセージが届きません。あらゆる経験を積んできていますからその分固定観念が固まりそれに基づく夢物語を見ているからです。

こんな時代だから将来のために、、、、、

将来はこうなるらしい、将来の準備を今のうちに、、過去にこんな景気があったから今のうちに、、将来の病気に備えて今から保険を、、、こうして人間は過去に囚われ、将来を憂いて今をそのためだけに使うようになります。過去の反省を踏まえ、将来のために今をこう使おう、、、このノリです。ですがこのノリで生きていきますと死ぬ直前まで来年の準備のために今を使うだけの人生になってしまいます。老後のために今があるという恐ろしい事態に。過去に起こったことを踏まえて、、人生の価値観を定め、、、将来のために準備する、、、ですがこれは夢ですから過去も未来も因果に関係なく何でも起きます。そして夢の中にいる限り人間とは不足感発生器であり苦しみのままです。

言語を超えたとこにあるもの

人は言語で全てを理解しようとし夢に没入する

何かが起きた時、人はそれを言語で理解しようとします、言語で納得しようとします。あれが起きたのはこういう理由からだ、こういう根拠でこれが起きたのだと。こうして表層上物事を理解していきます。その理解がその人の信念、観念になって固定化していきます。するとこの夢はそのように実際に見えてきます。人は勝手に何かしらの解釈をし、その通りに見えるようになることで益々この視界に広がる世界に確信を得ていくのです。つまり夢であることを忘れていきます。

解釈するのは自由だが苦しくなる

これは神の夢です、神が見る夢です。この夢に対し、あらゆる解釈を重ねていくことで夢は現実味を帯びていきます。ですがこれはどこまで行っても夢ですから人は解釈を繰り返すに従って夢に没入していくだけになります。夢はそれを現実と勘違いすればするほどに深刻さが増していき苦しくなっていくのです。人はこの生命現象を言語化して安心しようとしますがこの行為が皮肉にも人生を苦しくしていくのです。分離した個人がより一層確実なものであるという誤解が強まっていきます。

分離した個人が居るわけがない

あらゆる解釈をしてこの夢を固定観念化するのは自由ですが、分離した個人が居るというこの感覚はどう考えても誤解です。一つなるものがこの夢を作りだし人間というこの個体があるという錯覚を元にこの夢は構築されています。ですがもしもこの人間なるものが実在しているとすると理論上破綻することだらけになります。なぜ子供よりも知識を多く持つ大人が深刻になっていくのか?その知識こそが誤解を深めているからです。その知識こそが真実を曇らせ誤解の旅にリアリティーを加えているからです。キリストが説く原罪とは「的を外している」という意味から来ています。人間は誤解の上に誤解を塗り重ね結果苦しみ続けます。

海として生まれてきた者を波であると洗脳するには7年間の歳月がかかる

赤ちゃんは海としてこの世に生まれてくる

赤ちゃんがなぜ生まれてきて大人とコミュニケーションができないのか?それは彼ら彼女らは見た目は別個の存在ですが感覚は海として生まれてきているのです。そのため海が海とコミュニケーションしようとします、そこに言葉を介在する必要がないのは明らかです。海が海としてコミュニケーションするというのはあり得ることではないからです。ところが赤ちゃんは戸惑います、自分にミルクをくれるこの海(母)はコミュニケーションが伝わらないと。そして途中で気づくのです、目の前の海(母)は以心伝心できる相手ではないと。そこからはひたすらに父(別個の波と思い込む海)と母(別個の波と思い込む海)による別個の波であるという洗脳が赤ちゃん(海)に続くわけです。

7年間かけて完全洗脳が完成する

海として生まれてきた赤ちゃんにあなたは海とは別個の独立した波であるという洗脳、勘違いを起こさせていきます。これを人間界んでは教育と呼びます。波の世界の言語、概念、考え方、波として生き延びるためのサバイバル方法に至るまで、、延々とこの教育は続くわけです。赤ちゃんが完全に独立した波であるという実感を覚えるのにかかる歳月は7年ぐらいと言われています、7年間の歳月を使って叩き込まれたこの固定観念はそう簡単に解けるわけがなく故に子供になった赤ちゃんはもう自分の意思ではほぼこの洗脳を解けずに人生を終了させるわけです。それもそのはずいくら苦しみ悩んでもそれを解決しようとする思考が波言語だからです。思考を使えば使うほどに自身は海ではなく波であるという洗脳が強化されるのです。言葉は自身は波であるという大前提に作られています。波が作り出した言葉、思考を使って自身が海であったという記憶が戻るわけがないのです。逆に言えば言葉、思考こそが波を波で居続けるさせの、海であった時の記憶を思い出させないための最強の砦でもあるのです。言葉の主語は基本別個の独立した波であることが多く、言葉の基本構造が波の独自性を強固にするのです。

なぜ独立した波を前提にした理論が破綻しないのか

本来は海であるにも関わらず自身を独立した波であると思い続けるのは実は苦しいことです、なぜならば実際は間違いなく波は海の一部でありしかも独立していないからです。独立していると思い込むことはできても事実は独立していないのです。こんな矛盾を抱え続けて生きているのが人間という勘違い生命体です。こんな勘違いした生命体がルールを決め、法律を決め、道徳を決め、正義を決めてお互いを監視し合って生きているのですからそこに争いが絶えないのは当然のことです。お互いがお互いを勘違いしながら生きていて平和な関係が続くわけがないのです。世の中の悩みの7割近くが人間関係であるのは当然のこと。自身を独立した波であるという大きなる勘違いをした者同士の関係性はいずれ破綻を迎えます。

大いなる勘違いをした状態で日々前を向いて生きていこうとすればあらゆる幸福マニュアルが必要になる

自身を海ではなく独立した波であると勘違いした状態でそれでも生きていかなければならないのがこの人間ゲームです。当然苦しいわけです、なぜこんなに小さいのか、力がないのか、影響力がないのか、人気がないのか、稼げないのか、貧しいのか、、、とあらゆる不足感、孤独感、渇望感、絶望感が襲ってきます、それはそのはず海の広大な感覚、海の喜び、歓喜、海の安心感を知っている(当たり前)存在が自身を波と勘違いすればあらゆる感情が中から湧いてくるのは当然です。しかも生まれてきた時(赤ちゃん)は間違いなく海として生まれてきたのです。喪失感たるや半端ないのです。だからこそ芸能人はバレても不倫をするし、犯罪もするし、お金持ちがなぜか万引きをする、成功者がなぜか他人を羨むという珍現象が生まれるのです。それもこれも初期設定の勘違い、大海原が自身を波だと勘違いしたことからこの不幸は始まります。