安心できる何か
心は安心できる何かを探しています。何かを得たら安心できるはず、、、ということは、、、、どこかで、、、大安心という状態を知っているのです。知っていなかったら、、大安心を探し求めるということ自体ができないのです。物心付く前から安心を探し求めるのは、、大安心という状態をどこかでは知っているのです。それを心が探し求める旅をしているのが人生です。
心
心はその大安心を現象という幻をどうにかして得ようと頑張っているのですが、、、そのやり方では不可能です。なぜか????幻とは儚い幻想であり、、滅びることが最初から宿命づけられているからです。そのような滅びゆく存在をがむしゃらに追い求めても無駄です。そうではなく真の大安心をゲットしなくてはならない、、、、ではその真の大安心はどこにあるのか???
土台
真の大安心はどこ?????この幻を支える土台が、、、、大安心です。え???????つまり、、、幻のこの現象を生み出し続ける土台こそが大安心なのです。つまりこの幻現象を知覚し続ける土台こそが大安心なのです。探している張本人こそが大安心です。大安心によって生み出された幻想の中に大安心を探し出すというギャグをやっていたのです。生み出された幻想は幻想ゆえに消えゆくためこれは大安心にはなり得ないのです。