夢の中の私
夢を見る主体と、、夢の中の私は全くの別人です。夢の中の私がラーメンを食べます。そのラーメンはめちゃくちゃ上手いとしましょう。この上手いという経験は当然夢を見る主体の私が経験します。その時夢の中の私が「上手い」と答えます。ですがここで大きな問題があります。夢の外の私が上手いと経験したにも関わらずなぜ夢の中の私が「上手い」と答えれるのでしょうか???夢の中の私の言動に「夢の外の私」は関与ができないのです。
全自動
つまりこういうことです。夢の中の私は全く「上手い」という経験をしたことがないにも関わらず上手いという言葉が出たのです。さらには夢の外の私は「上手い」とこの夢の中の私に言わせることは不可能です。なぜならば夢の外に居るからです。にも関わらず「上手い」が夢の中の私から回答があります。これは全自動としか説明がつきません。夢の中の私から勝手に「上手い」が生まれたのです。そこを徹底的に自覚していきます。
六本木ヒルズ
ヒルズから東京の夜景を見ます。経験の主体は「半端ない」という感想を持ちます。そこから夢の中の私が「凄い景色ですね」という言葉が出ます。ですが待ってください。夢の中の私は全くヒルズの夜景を見たことがないのです。なぜ「凄い景色ですね」が出るのですか???おかしくないですか????おかしいんです。絶対にその言葉は夢の中の私から出てはいけないのです。もしも出てもいいのならば夢の外の私が夢の中の私に「言わせた」場合だけですが、、夢の外の私は夢の外に存在しますから絶対に夢の中には影響を持てません。つまり完全に全自動で「上手い」が夢の中の私から出たのです。