悟り(非二元)解説

自我の投影

苦しみ

この世界に私と他人という概念、社会と私、世界と私、会社と私、友人と私という概念を作り出しますと自我が生まれます。世界とは分離した自分という概念です。この概念が強化されればされるほどに苦しみは強化されます。その苦しみはこの夢に投影されてこの世界は混乱を極めます。この苦しみを証明する夢が広がります。この苦しみを立証する世界が誕生するのです。

気にしない

この世界がこの社会が厳しい世界ならばあなたの自我はまだ強化されています。周囲が自分に優しくなったのならば自我が緩んでいます。会社勤めに疲れてもう何もかもどうでもいいやとなった時、自我は緩み世界も緩みます。夫婦関係に悩みに悩み、もうどうでもいいやとなった時、自我が緩み世界も緩むのです。

受け入れる

何があっても受け入れる

何があっても受け入れる癖が付きますと、、楽になります。楽しくなります。なぜならば全ては神から起こった出来事でありそこにジャッジは不可能なのです。全てです。神の奇跡を受け入れたとき抵抗するエネルギーが消え、、楽しくなるのです。多くの方は出来事をジャッジします。あれはもうちょっと、これはもうちょっと、、、ですが神が起こしたのです。なぜジャッジが可能なのでしょうか??

情熱

受け入れて楽しくなってきますと、、さらに情熱も芽生えてきます。情熱的に動けるようになります。行動そのものに楽しみが染み渡ってきて情熱的になります。情熱的な行動には結果が必要ありません。結果が出なかったら面白くないゲームは面白くないのです。結果が出ないにも関わらず面白いから情熱的であれるのです。

焼き鳥屋

上手い

焼き鳥を食べます。夢を見る主体は半端なく色々な経験をします。その際に夢の中の私は何も味わっていません。一切味わっていないのです。ですがこの夢の中の私から「上手いですね〜」という言葉が出ます。ですがですが、、上手いという経験は「夢を見る主体の経験」です。そして夢を見る主体は「夢の中の私」に一切関与できません。にも関わらず「上手い」が出てはいけないのです。全く経験をしていない夢の中の私から「上手い」がでてはいけません。

全自動

全自動です。夢の中の私から「上手い」が出てしまうのです。経験の主体が「上手い」を経験することで、、、「上手い」を夢の中の私に言わせるのだとができるのならばコントロールがありますがそれは不可能です。なぜならば経験の主体とこの夢の中の私は次元が異なるからです。つまり全自動なのです。完全に全自動で夢の中の私から「上手い」が生まれます。

全自動の真実

夢の中の私

夢を見る主体と、、夢の中の私は全くの別人です。夢の中の私がラーメンを食べます。そのラーメンはめちゃくちゃ上手いとしましょう。この上手いという経験は当然夢を見る主体の私が経験します。その時夢の中の私が「上手い」と答えます。ですがここで大きな問題があります。夢の外の私が上手いと経験したにも関わらずなぜ夢の中の私が「上手い」と答えれるのでしょうか???夢の中の私の言動に「夢の外の私」は関与ができないのです。

全自動

つまりこういうことです。夢の中の私は全く「上手い」という経験をしたことがないにも関わらず上手いという言葉が出たのです。さらには夢の外の私は「上手い」とこの夢の中の私に言わせることは不可能です。なぜならば夢の外に居るからです。にも関わらず「上手い」が夢の中の私から回答があります。これは全自動としか説明がつきません。夢の中の私から勝手に「上手い」が生まれたのです。そこを徹底的に自覚していきます。

六本木ヒルズ

ヒルズから東京の夜景を見ます。経験の主体は「半端ない」という感想を持ちます。そこから夢の中の私が「凄い景色ですね」という言葉が出ます。ですが待ってください。夢の中の私は全くヒルズの夜景を見たことがないのです。なぜ「凄い景色ですね」が出るのですか???おかしくないですか????おかしいんです。絶対にその言葉は夢の中の私から出てはいけないのです。もしも出てもいいのならば夢の外の私が夢の中の私に「言わせた」場合だけですが、、夢の外の私は夢の外に存在しますから絶対に夢の中には影響を持てません。つまり完全に全自動で「上手い」が夢の中の私から出たのです。

中居君

彼のペインボディ

過度なストレスに蝕まれていきますと、、、変態的な性癖が起こりやすくなります。ペインボディが暴れます。その時の性癖は相手を脅す、怖がらせる、、、など、、です。その時、中居君のペインボディがそれを食べるのです。その恐怖の感情をペインボディが食べます。ですが同時に相手のペインボディもそれを食べます。相互にペインボディが肥大化します。

肥大化したペインボディ

女性のペインボディは肥大化し、、暴れて行きます。これに自我が耐えられなくなっていきます。クタクタになります。疲労困憊です。そして会社勤めができなくなって、、、退社に至ります。常にその当時の恐怖心が起こりさらにペインボディが肥大化します。

復讐劇

中居君を引退に導いてしまった当事者には恐らく恐ろしいほどの脅迫が来るはずです。ファンのペインボディです。中居君という自我に支えらえたあらゆるファンは過度なストレスを受けます。その結果ファンのペインボディが暴れ狂い彼女を狙うのです。彼女を社会的に抹殺するようなレベルの反応が起こるはずです。

復讐劇

有名人

有名人男性が独身女性と不倫をするとします。その女性との関係が三ヶ月経った時、、、突然男性が別れを切り出します。その一ヶ月後週刊文春から取材が来るのです。不倫の証拠が届いたと、、もしくは会った時に文春記者が写真をとります。事前に女性から内部告知が来るのです。

ペインボディ

女性のペインボディは男性の弱点を既に認識済みです。完全に分かっています。子供だけは離れられない、、家庭だけは知られたくない、、、スポンサーだけは、、、、、全部情報収集済みです。ですから最も男性がやって欲しくないことを女性のペインボディはやります。「ここ」という場所に魚雷が飛ぶのです。

過度なストレス

女性に過度なストレスを与えるとこれが起こります。ペインボディが肥大化し、、肥大化したペインボディが暴れて理性を超えた行動になります。相手に復讐することしかできなくなります。今後の将来など全く見えていません。相手を潰すためならば刑事事件ばりのことをやるのです。男性はびっくりします。こんな性格とは思っていなかったと。自我が社会的に抹殺されてもペインボディは動くのです。

反撃

困ってくれない

ペインボディの絶対的遮断をした時、、相手のペインボディは復讐のチャンスを伺います。何が一番効果的な復習かを伺うのです。この復讐を受けある時、、もしくは受ける覚悟がない時、、相手のペインボディの動きに完全遮断ができません。半端ない復習が来ることを知っていてなぜ強制遮断ができるのでしょうか???なぜですか????

反撃の全て

では結論を言います。反撃は全て幻想です、この世界は全て幻想なのです。ですから大きな大きな反撃を受けてもそれも幻想です。幻想と捉えるのではありません。幻想なのです。これが実感できた時、復讐が怖くないという実感が起こるのです。復讐は全て幻の中でしか起こりません。実体、真我を脅かす復讐は存在しないのです。

興味があれば連絡ください

お願いします。お願いします。

営業マンの鉄則、とにかくお願いする、会ってください、お願いします。残念ながらこの作戦では「ペインボディ」の餌食です。相手は営業マンが仕事が欲しくて欲しくて仕方がないことを既に知っています。だからだったら値下げして、だったらこの商品を付けて、、、だったら、、、となるのです。不幸依存症のペインボディが相手を困らせてそのエネルギーを食べるのです。

違う

ペインボディの餌食にならないためには全て断るのです。取引には断固として応じない覚悟が必要です。すると「なるほど、こいつは困っていないな」が起こります。ペインボディが動かなくなります。ペインボディの困らせてやろうとする動きを全て遮断です。弱点が見えなくなるのです。

そんなこと言ったら友人なくしちゃうよ

もう遅刻するなら

これ以上遅刻するなら会うのは辞めましょう!!!そう勇気を持って友人に伝えたらその友人から「そんな厳しいこと言ったら友人居なくなっちゃうよ」という返答が来ました。これ相手のペインボディが「最大の弱点」を攻めたのです。私にとって一番の弱点は「友人が少ないこと」だと相手のペインボディは計測済みだったのです。これがペインボディです。遅刻して相手を怒らせ、、反撃したら次なる手を打つ。魚雷です。

大丈夫

このように魚雷で次から次へと弱点を攻めてくる友人は付き合えば不幸にしてきます。不幸体こそが主導権を握っているのです。神と不幸体がセットです。だからはっきりと再度言いましょう「次遅刻するなら関係を終わらせよう」これでいいのです。もしくは遅刻する日は「会わない」ようにしようです。

見抜かれたペインボディ

見抜かれたペインボディは動揺します。あれ???バレてる???になります。そうです。神と同一化したペインボディはバレることこそが最大の危機です。なぜならば相手の神にはバレていないのですから。こちらがはっきりとペインボディを見抜いた時相手はこちらを最も警戒するのです。動揺が凄まじいのです。向こうの神はペインボディに気づいておらずこちらは気づいている。ペインボディはそこに居ては半端なく居心地が悪いのです。

田舎から出てきた若者

東京実家

田舎から一人上京してきた若者が美容院を働くために訪れます。一方実家東京の若者が東京の美容院を仕事場として選びます。どちらが真剣になれるでしょうか???どちらが本気になれますか???間違いなく上京側です。なぜならば働かなくては生きていけないのですから。その時上京の若者は「気づき」にペインボディを観察させます。気づきは主体になります。気づきが「だるい」「重い」「うざい」」というペインボディの動きを観察させるのです。

自我ではない

自我はペインボディを観察できません。自我は何も観察できません。気づきだけが「ペインボディ」「自我」を観察できるのです。ですが観察できた若者は「俺って凄いじゃん」と勘違いします。ペインボディを観察できた俺ってやばくね???となります。これを自我が利用するのです。違います。若者は「気付き」になってペインボディを気づくのです。

自我が乗っ取る

気づきが若者のペインボディを見張り目的を達成します。一人前の技術を得ます。すると自我がでしゃばるのです。俺がやった俺が成し遂げた、俺ってやばくね???となるのです。この動きも気づきが気付きます。気づきがこの自我の動きに気づくから気づかれたのです。つまり自我は気づかれる思考の動きのことです。気づきが成し遂げた気づきを自我が横取りしようとします。その横取りの動きが気づかれない時「俺」がでしゃばることで新たな苦しみを作るのです。これがペインボディの餌になります。