完全は不完全に気付けるが

完全は不完全に気づけます、完璧は不完璧に気づけます、完成は非完成に気づくことができます、、ですがその逆は成り立ちません。駆け出しの画家がピカソの絵の完璧さには気づけないように、、自我(幻想)が真我(完全)に気づくことはないのです。つまり自我による真我の探究は不可能なのです。幻想による真実の発見は不可能なのです。個人が努力して真実に至るのは不可能なのです、発見できません、構造上。

幻想は常に気づかれる

幻想、現象、夢が常に気づかれ続けるのは、、本当の自分は完璧、完全、完成だからです。この中で幻想、現象、夢が起こればそのまま気づかれることになります。ですが幻想、現象、夢が、、本当の自分(完璧、完全、完成)に気づくことはありません。気づきのベクトルは常に本当の自分から現象に向かって、夢に向かって起きるのです。ですから自我が常に気づかれるのは本当の自分から自我に向かってなのです。この反対は無いのです。

空から色に気づきが起きる

自我は色です、私は色です、自分も色です、、、これらは空の存在から現れ、、そして気づかれ続けるのです、だから自我は存在しているという思考も湧き続けます。その自我が空に気づく絶対に気づくのは不可能です。自我は幻想ゆえに幻想が実在に気づくことはできません。実在が不在、幻想に気づくのです。つまり我々は真実、空を発見できません絶対に。ですが我々が気づかれ続けるのは本質が実在だからだ、、という結論は本質の存在を露わにします。本質がこの世界の嘘に気づくが起きやすくなります。