偽りの私(雲)は空(至福)に気づかない
我々(雲)が存在できるのは空(至福)があるからです。空(至福)がなければ雲(我々)が誕生することもありません。我々はこの空(至福)で生まれ最初はこの空(至福)を感じていました。徐々に徐々に自我が形成されこの空(至福)を感じることができなくなり結果この空(至福)の中で空(至福)の代替品(雲)を日々探すという愚かな行為をしているのです。
空(至福)から閉ざした存在『私』
私とはこの空(至福)から完全分離(錯覚)していると思い込む存在です。ゆえに至福に飢え、、私はあらゆる雲(一過性の幸福)を探し回っているのです。ですがこの私が得ることができる雲(一過性の幸福)は雲ゆえに現れては消えていく運命にあるのです。私は何か対象(雲)を探すことが習慣になっているために車、家、マンション、パートナー、地位、名誉、家族、、、と対象を次々に求めは次にいくという道を歩みます。本当はこの雲(対象)が存在する場(空)にこそ至福があることをすっかり忘れてしまったからです。
私が消えれば
結論から言えば私(雲)が消えれば即空(至福)に戻るのです。私とはそもそも存在などせずあると思い込む思考、感覚でしかありませんからないことが証明されれば存続できないのです。私がないことを証明するという前代未聞の行動がこの空で起きた時、、、私が消えるのは間近です。この空に存在している雲は全部が全部現象幻であって実在する存在は皆無なのです。そのことが分かってきますと私(雲)だけが実在するという理屈が無理があることが分かります。