気づき(雲)の中で現象(雲)は起こる

私(雲)は何にも気づいていませんよ

空がありその中で雲(現象)が生まれた瞬間から気づき(雲)が生まれました。雲(現象)とは実は空の投影であり、、その瞬間気づく(雲)が生まれたのです。この気づきは「我あり、存在、意織」などと呼ばれます。この時点ではまだ偽りの私(雲)は発生していません。この中にこの体(雲)が発生し、、この体の中には自分が居るという思考感覚(雲)が生まれたのです。そしてこの雲が現れることで様々な感情(雲)思考(雲)が発生していくことになります。この一連の流れを人生と呼びます。

私(雲)とは

私とは、、空と雲の発生による気づき(雲)を自分が気づいているという錯覚(雲)を所有する存在(雲)です。私とは壮大な大勘違いをする存在なのです、、、壮大な大勘違いですから、、このストーリーはなかなか辛いのです。気づき(雲)の中で私(雲)が生まれたにも関わらず私(雲)が気づき(雲)を所有するという大錯覚(雲)が生まれてしまったのです。ただし空にとってはどうでもいいこと、、空にとっては全雲(現象)は完璧なのです。

私(雲)がある限り

この空に私(雲)が発生しますと、、同時に苦しみ、痛み(雲)が発生します。そして私のストーリーとは苦しみ(雲)発生システムなのです。このシステムに良否はなくただそのようになっているだけです。ですがこのシステムを俯瞰できるようになりますとこのシステムを続けたいとは思えなくなります。そこでこのシステムの解体が始まるのです。このシステムが起動するにはこのシステムが無意識の中で行われる必要があります。なぜならば「この私が居る」という観念に支えられてこのストーリーは成り立っているからです。主人公不在のストーリーは成立しないのです。

主人公の嘘がバレると

この私が実は嘘だった、、ということが分かりますと、、このドラマは崩壊し始めます。主人公がボヤけたドラマは保持されにくいのです。あなたは主人公がはっきりしない映画を二時間観ることができますか???無理ゲーです。ですからここからこの私ドラマは崩壊していくのです、私ドラマへの執着関心が薄れていくのです。かといってこの体(雲)を雑に扱うということも起きません、ただ偽りの自分(雲)に関心が無くなるだけです。

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