意識

意識と空は一つ

意識が及ばない場所

意識には大きさがありません、確実に「在る」にも関わらず大きさがないんです。多くの方はこの意識は体の中にスッポリと収まっていると思っていますが、、、この体の中に入るコンパクトサイズならば、、、意識には大きさが在るということになってしまいます。ですがこの世界は本当は分離などしていないので、、、この体に収まってしまうならば意識も幻想ということになります。ところがこの意識は生まれて死ぬまで、、熟睡時以外、、必ず存在するのですからこれは実在です。となると実在する意識はこの体には収まっていないことになり、、意識の中でこの現象が起きているという結論に至るのです。

部屋を見る

部屋を見てください、、あなたの視界の中の現象は意識の中から今現れたのです。外を見てください、、その瞬間に意識の中に現象が現れました。そして意識の中に現れた「人」が声をかけてくることで、、しかもこの現れている体に声をかけてくることで、、、意識はこの体の中に「在る」という勘違いが始まったのです。本当は意識の中で現れた現象が、、やはり意識の中で現れたこの体に声をかけるというやはり現象が起きたのです。

どこまでいっても

どこまでいっても意識の中で全現象が起こっています。どこまでもどこまでも全現象が意識の中に起こります。そして意識はこの意識を生み出す「空」という存在、、、「不変の自己」すらも含んでいます。なぜならば空には意識がないならば意識には大きさが生じてしまうからです。つまり空も意識なのです。不変の自己すらも意識の中にあるのです。ですが同時に意識は空から生じていますから意識も空の中にあります。つまり空と意識は一つなんです。つまり空と現象は一つであり、、、つまり空と色は一つです。

意識が及ばない場所

ない

この絶対的実在「ある」という感覚、、この感覚は、、どこに存在するのか??????唯一の実在「ある」はどこにあってどこにないのか?????体の中でしょ、、、もしも体の中に「在る」が収まっているならば、、、「在る」には大きさがあるということになります。ですがあるわけがないのです、、分離した何かはこの世界には絶対に存在しないので。このコップは私が目を閉じれば消えますよね、、だからこのコップは実在ではないのです。消えたり現れたりする存在が実在という証拠は全くないわけです。つまりこの世界で唯一存在するのがこの「在る」という感覚なんです。

唯一無二

この世界で唯一無二の存在「在る」は、、、、形や大きさがないのですから、、、、全部に行き届いています。そして全部はこの「在る」の中に現れては消えていきます。この私という感覚も在るの中でたまに現れては消えていきます。この体も「在る」の中で現れては消えていきます。私にまつわる全思考は「在る」の中で現れては消えていきます。

全部が「在る」

この世界は「在る」から出る現象に過ぎません、、、現象には過ぎないのですが全部が「在る」そのものですから虚無とは全く違います。「在る」が「在る」としてこの世界に現れそれをそのままに認識できるならば、、現象は光り輝いてくるのです。「在る」が「在る」としてこの現象に関わる時、、世界が変わります。無駄な思考が全く湧いてこなくなり、、つねに「在る」の表現を「在る」が感じるという状態になります。

意識、意識、意識しかない

意識の自作自演

皆さんは本当の静寂を感じたことがあるでしょうか????本当の静寂って、、、凄いんです。。。本当の静寂って、、、全部が全部意識の現れだって気づいた時に訪れます。100パーセントの実感で、、、ここは意識しかない、、、と気付けると、、、、凄い静寂が漂ってきます。本当に本当にそれ以外のことがどうでもよくなります。というよりも、、、どうでもいいことが無くなってしまうんです。なぜならば全部が全部意識の現れであることを実感しているからです。

全部の嘘がバレた時

詐欺師が詐欺行為をし、、、その詐欺が、、、完全に相手にバレた時、、、、恐らくその詐欺師は静寂を味わうでしょう。詐欺を維持するための思考活動が終わるからです。全くこれは同じ、、、全部が全部意識の現れであると気づいた時、、、、静寂が漂います。。。。あれをしなきゃ、、、とかが襲ってこれない。だって起こる全てがこのここに100%存在する「意識」から起こっているのですから。この現象は嫌い、この現象は好き、、、という次元を超えます。

全部あなたが作っています

目を閉じます、、視界から景色が消えます、、、、真っ暗な景色の中で、、、、、音がなります、、声が聞こえます、、、この全てが意識から現れ意識の中に消えていきます。これを感じます、、、100パーセントの真実を感じるんです。理屈から実感に変わります。真実に触れる時間を作るんです、、、真実に毎日毎日何回も触れていきますと、、真実を実感できるようになります。

意識があって分離がない

簡単過ぎる

この世界には100%存在するものと100%存在しないものがあります。100%存在するのが「意識」です。。。。これは100%です。学校で生徒に向かって今日意識がない人いますか?????と問えば100%全員が「意識がある」と答えるでしょう。。。全人類にこの問いをすれば100%全員が「意識はある」と答えます。

分離

その反対に100%ないものがあります、、それが「分離」です。。。これは100%ないんです。この世界にもしも分離した「何か」が存在するならば、、、その何かを入れる器としての「何か」が必要になり、、その「何か」をさらに入れるための器が必要になり、、、これは理論として破綻しています、構造上実現できないのです。ですから分離はあくまでそう見える感じるだけであって100%存在しません。

そうなると

意識は100パーセントあって分離が100パーセントないとなると、、、、この世界は意識しかないことになります。意識と分離した何かは絶対に絶対に存在できないので、、、全部が全部意識ということになります。つまり目の前のコップ、机、体、思考、感情、、動きの全て、風、、、、太陽、、、何もかもが意識です。しかも100%意識です。

勘違いをする私の友人

じゃあそうは思っていない私の友人はどうなっているのか??????簡単です、、、私がこの体の中に100%居ると信じる感覚、思い、思考の全てが意識でできているんです。だからそう思えるのです、、全部が全部分離しているという思考感覚も意識でできています。つまり勘違いする人類そのものが意識なんです。そして意識が及ばない場所は存在しないので、、、いまここ以外には何も起こっていません。そしてそれを100%実感できます。

意識と空

意識と空は別なのか????

我々が今100%の自信を持って「在る」と言い切れる存在それが「意識」です。意識だけは100%あると言い切れます、、、そして意識には大きさがありませんからこの見える世界は全部「意識」でできていることになります。目の前のコップが意識の外にあるならば、、意識には大きさがあることになってしまうのです。つまり全部意識の中で起こる現象です、コップも、カップも、、テーブルも、思考も、、感情も、行動もです。そして全部は意識ですから現象化すれば「意識」されます。意識されない現象は存在しません。では意識を生み出す存在「空」は意識とは違うのか??????空は不変の自己です、、、ですが意識と、空が別々ならば、、、意識にはやはり大きさが作り出されてしまいます。つまり意識と空は全くもって同じです。

意識の中に空があり空の中に意識がある

意識と空が全く別の存在ならば、、、、意識には大きさが生まれてしまうため、、、意識は空であり、、空は意識です。色即是空、空即是色がここで登場します。ここまでくると空という存在を「意識」できるようになります。空はどこか別の場所にあるのではなく、、、間違いなく、、いまここに「空」があるのです。絶対です、、なぜならば意識が意識できない場所に空があるならば、、、意識には大きさがあることになるからです。意識と空は分離などできるはずがないのです。

今ここに意識を生み出す「空」がある

意識はいまここに100%存在し、、それを100%実感できいるならば、、、ここに空が存在することを実感できるはずです。なぜならば意識が及ばない場所に「空」が存在することはできないからです。今ここで意識を生み出している「空」がここにあります。100パーセント自身を「意識」であるという実感が湧いた時、、そして見える世界全てが「意識」であるという実感が湧いた時に、、、そこに100%存在する空を実感できます。

完全詐欺

この世界

この世界は「意識」による完全詐欺が行われています。「分離した自分」が居る世界という完全詐欺です。そして多くの方がこの完全詐欺にまんまと騙され、、、騙されたまま死んでいきます。なんなら騙されたまま輪廻転生をして来世を作り上げてでも継続されます。そのぐらいにこの詐欺は完全犯罪なのです。この世界に唯一実在している存在、、それが「意識」です。。。。この意識が「完全犯罪」を犯し、、、、「この体の中には自分がいる」という感覚を作り上げました、、、その原料材料は「意識」です。これによって分離した世界を意識によって登場させたのです。この分離感覚の原材料は「意識」です。だからこの犯罪は意識による完全詐欺なんです。

騙されるのも「意識」

ただし完全犯罪者が意識だとして、、、、犯罪の被害者も、、、意識以外にはありえないのです。。。だってここには「意識」しか存在しないのですから。。。ということで加害者「意識」被害者「意識」という自作自演の意味不明なドラマが今ここで起こっているというおかしな現象が起こっています。では意識はなぜそのような自作自演の完全犯罪を犯しているのでしょうか????それは、、、無限の体験を作り出すためです。分離体験という無限の体験を作り出すために、、、、分離している、、という感覚までをも意識は作り上げたのです。

つまり

この世界は、、、無限の体験を作り出すために、、あえて意識が分離感覚を作り出し、、、分離経験をうみ出しているだけとなります。だから、、、誰も悪くない、、、となるんです。ですがこの分離体験は苦しいので、、、終わらせたい、、が起こるのです。それも意識の現れです。そしてこれを終わらせるには、、完全なる「見抜く」が必要になります。完全なる実感としての「見抜く」が必要になります。

「意識」の範囲

分離はない

意識がここからここまで、、、って範囲があったら怖いですよね??????おまえの意識って小さいよね????聞いたことないですよね。。。お前の意識は今日大きいね??????そんな会話も起きないわけです。つまり意識って大きさがないんです、、、、、でも100%ありますよね。。。。。。大きさがないにもかかわらず100%存在する存在、、それが意識です。大きさがないとするとですよ、、、、目の前のコップは私の「意識」とどういう関係なんでしょうか?????困りますよね。。コップには大きさがあるのに、、意識には大きさがないんですから、、、どう捉えていいか。

答え

意識には大きさがない、、目の前のコップには大きさがある、、、、つまりこのコップも意識の中で起こった現象なのです。コップと意識の間にはギャップがあるならば、、、意識はここまでという制限ができてしまいます。意識とコップには差、ギャップ、区別はあるわけがないのです。つまりコップも100%意識でできています。100%です。意識でできたコップと、意識でできた体が触れると、、感じるという意識活動が起こります。

意識の遊び

意識には大きさがなく、、ゆえにコップも、テーブルも、、思考も、感情も、、行動も全部意識できています。友人の誘いも意識でできていて、、友人の笑顔も、、友人の体も意識でできています。だからここには意識しか存在していない、、にも関わらずこの体、あの体と、、、そこには分離があるように感じることができる、、、この分離感覚すらも意識によって仕立てられたものです。この世界が「神の遊び場」と呼ばれるのはそういう意味です。

実在

100%の存在

この体は100%あるって言い切れますか????視覚触覚嗅覚、、五感の全てを尽くしてあることを説明はできますが100%ではないですよね。。太陽の存在も月も、このテーブルも、、幻想だと言われてしまったらそれを覆す方法って100%では不可能なんです。ところが、、、、100%あるって言い切れる存在がこの世界には唯一あります。それが「意識」です。。。。これだけなんです、、、これ以外は100パーセントはないんです。そしてその「意識」はどこからどこまであるんでしょうか????体の中ですか????本質的に分離ってないので、、、意識はどこかに収まることはできません。意識はいまここに広がっています。では意識とこのテーブルは別物でしょうか?????それでは分離が起こってしまいます。つまり全部が意識の現れなのです。

「私」が向かうところ

見かけ上のこの「私」が向かうところに、、、意識が向かうところに、、あらゆる現象化をした意識が現れ、、、気づかれていきます、意識に。現れたのを意識が気づくのではなく、、、現れそのものが「意識」なんですから現れた現象そのものが「意識化」されるのです。そもそもが意識ですから。だから今ここ以外では何も起きていない、、もしも起きているならば、、、意識化されますよね。

意識が意識の現れを意識する

意識が100パーセントあって、、その意識は分離などしないので、、、この見える世界は全部意識であり、、ゆえに今ここ以外で何かが起こっているはずがないのです。いまここの意識とは全く別で何かが現象化されているならば、、意識には境界線があることになってしまいます。ゆえに「いまここしかない」は100パーセント真実なんです。だから地球の裏側では、、あんなことやこんなことが、、、、、は妄想です。100%妄想です。

実在を確認する

100パーセントの実在「意識」

我々が絶対に疑わない存在が世界にはあります、、絶対に疑ったことがない存在です、、、絶対にその存在を疑えない、、、存在、、、、それが「意識」です、、、、朝起きたけれど、、意識が今日はないなーは絶対に絶対にない、、、、死にたくなるほど忙し過ぎて、、昨日は意識も無かったです、、、、もない。。。「意識」だけは何があってどんな状況でも、、、、「なかった」がないんです。。。これだけが100パーセント信用できる確固たる存在、、、実在です。

分離もない

意識、、、この存在だけが確実にあって、、、かつ世界には分離はないのですか、、、、全部が意識の現れです、、、それしか説明のしようがない。意識は100%あってしかも誰しもがそれを実感している、、、、とするならば、、、見える全ては意識の現れです。証明が終わりました。そして意識の現れに気づくことで、、我々は意識し続けることができます。意識の現象化が意識をあり続けることができます。だからこの世界には「意識」しかないんです。

意識を作り出す存在「空」

意識が100パーセントあって、、その意識に分離がないのですから、、、この世界は意識の現れであり、、意識の現れゆえに現象化は100%意識化されます。現れでる全ての現象は100%意識されるのです。だから今ここ以外では何も現象化されていない、、、だって現れでた現象は全てに気づく意識ですから。で??????その意識による意識活動はどこで起こっているんじゃ?????ですよね。空です。

あまりに簡単過ぎて自慢できない

公然の秘密とは

オープンシークレット、、覚者トニーパーソンズの本の題名ですが、、、この言葉は本当に的確な表現です。公然の秘密、、まさに悟りとは真理とは、、、完全に現れている秘密です。まったくどこにも隠れていないのに、、隠れている。人間の先入観、錯覚力、思い込み力は素晴らしく、、、、こうも真実を隠してしまうものかと驚かされます。ただあまりにシンプル過ぎて、、わかてしまっても自慢ができないほどです。

私は分かったぞ!!!!は嘘の発想

宗教法人をぶち上げてワシは霊格が高いぞよ、、、と宣ってしまうのは輩が現れてしまうのは、、、まだ分かっていないからです。。。。なぜかというとあまりにシンプル過ぎて、、自慢など怖くてできないのです。1+1=2を理解した小学生は、、周囲に自慢するでしょうか????あまりに簡単過ぎて自慢できないですよね?????ラスベガスのマジックショーのネタがあまりにも簡単であったならば周囲に自慢しませんよね????つまり悟りとはそのぐらい簡単なことだったのです。

気づけば一瞬

全部がここにあって今ここでしか何も起きていない、、起きていない現象はなく、現象の全ては起きては消え去る意識の変化です。これだけ、、これだけが真実です。だから「私」も「私の人生」も意識の変化ですから、、実態はない。。。実態があるのは「意識」だけですから全部が意識であり、、意識以外のものは存在しない。つまり私とは全部であり、、今までの「私」は意識の変化の一部だった。文章で書くとどうしても難解になりますが、、文章にできないぐらいにシンプルだということです。