覚者

この体の奇跡

夢の中で消えないこの存在

この体だけがこの夢の中で一切消えない存在です、この体だけです。それ以外は常に入れ替わり立ち代わりしていきます。何かに没頭している時この体はこの世界から一時的には消えるんですが気づけばこの体は元の場所に収まっています。この体は常にこの夢の中心に居座り続けています。

ただしこの体も夢の一部

ただしこの体もこの夢の一部です、、この体があるように見えているだけです、、画像です。勿論触ればこの体は反応しますし、食べれば味覚を感じます、、ですがこの体が実在するという証拠はありません。どこまでいってもこの体は夢の一部でしかないのです。移りゆく夢の一部としてこの夢に鎮座し続けています。

その中の私

一方この体の中に居ることになっている私は、、忘れてしまえばずっと出てきません。例えば忙しさで忙殺されているときなどしばらくは出てきません。一旦落ち着き我に返った時に「あー今日は私は忙しかったなー」と我に帰るのです。この体がこの夢から消えないから、、この私も存続できているのです。そこら辺が分かってきますと、、覚者がいう「私って本当は居ないんです」という言葉が入ってきます。

私が居るという前提の観念

この体が存続されているから「私が居る」は成り立つのであってこの体がこの夢から消えれば「私は居る」は成り立たないわけです。この私が居るという思考、この思考を前提にした観念は、、そこが崩れますと変わって行きます。常に私は居る、あなたの体にも「あなたが居る」という前提の観念が構築されており、、ここが崩れていきます。するとこの夢は観念が投影された世界ですから見える世界が変わっていくのです。

ノンデュアリティスピーカーを過信しない

彼ら彼女らも夢の登場人物に過ぎない

あの人が言うことは信用できる、あの人は本物だ、あの人は別格だ、、、悟り系を学ぶ方は、、、あらゆるノンデュアリティ スピーカー、覚者、グルなどの書籍、動画をチェックし様々な判断を下します。ですがこの行為こそが本質を外しています、コレが夢だということを忘れているんです。コレは夢ですからある特定の人を過信すればそれが拡大し、、その人がストーリー上裏切るような発言をしてしまったりするのです。これは夢です、、何でも起きえるのです。ある特定のスピーカーが突然おかしなことを言い出すということもこの夢では起きえるわけです。

人ではなく内容に重きを置く

悟り系に関し半信半疑であるならば、、、スピーカーの発言内容も、、この見かけ上の私にとって半信半疑な発言になる可能性があるます。なぜならばこの夢は私の観念が投影した世界だからです。覚者は裏では金儲けに走っているのでは????このような疑問を強く持っていればこの夢はそのように展開するはずです。覚者ですら夢の登場人物に過ぎない、、ここを忘れてはいけません。

「私の観念」が覚者をいかようにも変える

コレは夢です、完全に夢です。この夢の中では、、、覚者は私の観念によっていかようにも変わってしまう変容してしまうのです。信用していた覚者が実はデタラメだった、信用に値しない人だった、、このようなことが起きてもそれもまた夢です。あの人って裏で信者を集めてお金を献金させてたみたいだよ!!!じゃないんです。それが夢として起きたのです。

空間の収縮拡大

朝起きて寝るまで

コレは夢です、完全に夢です、、この夢の中で、、空間が広がります。朝起きれば部屋が広がりますです、そして外を歩けばまた空間が広がります、カフェに入ればまた空間が広がります。自分が向かう場所によって空間は収縮、拡大を繰り返すのです、この夢では。空間があってそこに自分が行くんではないんです、自分が行く場所によって空間が収縮拡大するんです。そしてこの空間はあるように見えているだけ、、それが夢です。

本当はない、、は本当

空間って本当は無いんです!!これって本当なんです、なぜならば、、私が行く場所によって収縮拡大する変幻時時の空間ですが、、、空間って視覚でしか確認できないんです、、あるように見えているだけなんです。見えなくなったら空間って消滅するんです。。。。コレは夢です、、空間はゲーム上現れた現象の一つなんです。空間が最初からあるんじゃないんです、夢が現れた時に、、空間も同時に誕生したんです、夢として。

覚者は悟り空間と時間の嘘を見破る

時間、空間問題って本当に単純なんです、、昨夜見た夢の中に時間と空間はありましたか????という話です、、夢のストーリー上は勿論あったんです、、夢として。ですが夢ですから無いといえばないですよね!!!時間と空間はあくまであるように感じることができる現象の一つです。鼻がなければ匂いが存在しないように、目がなければ時間も空間も存在しない、、、感じるとセットで現れた感覚です。

自身の夢の中で

これって夢では???という発言は100%ない

自身の夢の中で、、主人公が、、、これって夢じゃね????っていう発言をしたことはあるでしょうか????私はそのような経験は100%ないと断言できます。つまり夢が覚めることと主人公『自分』には因果関係がないのです。この私の活動の全ては夢が覚めるとは関係がない、、見かけ上の覚者の発言で「ある日突然、、」が多いのはそのためです。

今自分自身がどの程度まで来ているか、、気にしなくていい

この現実、現実と呼ばれるこの夢から覚める際にこの「私」は、、、どのような状況、どのような霊格、どのような思考、、、関係なく、、私の奥にある何かが目を覚ます、、、散々私に寄り添ってきた何者かが、、?????これって夢じゃね????という気づきが起きる。夢だと想定してみる、、全てがガッテンがいく。これって夜見る夢の覚め方に似てますよね????なんかこれって現実離れしてないか????です。

まだ夢をみていたい

この現実を現実と勘違いして生きているのは全く悪いことではありませんから、、この夢を見続けたい人も多いのは当たり前です。ですから周囲にこの話をしても99%は無視するか嫌悪感を出すでしょう。そうです、、、本質の本質はこの夢を見続けていたいという場合は多いのです。夢に散々うなされて、、もうこの夢はいいや、、、という純粋な感情が湧いてこないと、、夢から覚めるための準備を真剣にはしないでしょう、というか準備が起きないでしょう。

経験しかしていない

マリオは実在しない

この世界はあるがままの体験の場所、ゲーム、マリオ体験の場所です。マリオ、クッパ、空間の全て、時間の全てはそおれらを経験する場所でしかなく全ては幻想です。その証拠にマリオにとってこの世界は実在しているように見えているだけ、触っているように感じているだけ、香っているように感じているだけ、味がしているように感じているだけ、、音が鳴っているように聞こえているだけと五感を使った経験しかしていないのです。クッパが実在しているという証拠は一切ないし、マリオが実在しているという証拠が全くありません。経験(無)が100%あり続けるという無(実在ではない)を積み重ねた世界です。経験をどんなに積み重ねてもそれは時間が実在しているという証拠にはなりません。

マリオも時間も空間も経験からの逆算でしかない

この世界があくまでゲーム(虚)である証拠は、、経験以外が何もないということです。経験があるから時間があるはずだ、マリオが居るはずだ、空間があるはずだ、クッパもいるはずだ、、、という推論の余地をでません。つまりあるがまま(スーパーマリオ本体)以外何もないのです。私は100パーセント居るぞ、、とマリオが叫んでも、、、、いや経験しかしてませんよね????で終わりです。

思考して行動しているぞ

確かに経験しかしていないかもしれない、でも思考し実践しているこの私が、、、と思うかもしれません。それも違うんです、私が思考し、実践しているように感じているだけです、、そう経験しているだけです。100%自由意志があって自由行動があるという証拠がないのです。この辺りから我々はこれがゲーム(幻想)でしかないことを、そして私も居ないことを認めるしかなくなってくるのです。

これを今私以外の何かが気づく

この気づきは実はマリオ(私)に起きているのではありません。マリオ(私)以外の何かが気づくのです。そしてマリオ(私)はスーパーマリオ(あるがまま)に再吸収されていきます。本当にそうだ、これはゲームで経験しかしていなかった、、時間もあるように感じていただけだった、、空間もあるように感じているだけだった、、そりゃそうだ、、ゲームだから。。。覚者が昔からいっているように、、、この世界は無で、何もない、、は本当だ。私も居ないしあなたも本当は居ない、、私たちは最初から救われている、全部愛(あるがまま)なんだ、、となります。

みんなを助けなければ

助けるべきみんなは存在しない

正義感が強い人は、周囲の困った人々を放置できません。私がなんとかしなければ、、、となります。ですが実際には困ったその人々は存在しません、、、困っていないのです、、困ったように見えているだけです。その証拠の困った人々の困ったを代わりに感じることはできませんね、これが証拠です。だとしたら医者も看護師も弁護士も誰のために活動しているのですか????誰のためにも活動していないのです、そしてその医者も実在しないのです。

全自動システムの中でただ遊ぶ

例えば覚者として有名人になりサットサンには数百名の迷える人々が訪れてきたとしましょう、、、ですがそれは迷っているように見えるだけ、、その証拠にその悩みを誰も代わりに感じることはできないのです。だから遊びです、迷っているように見える人々にメッセージを伝えるという遊びが始まるのです。では何の意味もないのでは?意味は全くないのです、最初から完璧なのですから。

こんなに困っているのに見捨てるのか???

周囲がこれほど困っているのにお前は見捨てるのか????と言われてしまうかもしれませんが、、困っているという証拠はないのです、、何度も言いますが、、代わりにその感情を感じることができない以上、証拠がないのです。そしてこの世界は100パーセント幻想です。ということでどれほど罵倒されてしまっても放置で構わないのです。

一人暮らし

子供が一人暮らしを始める時

どんなに一人暮らしを憧れても、、、不健康であれば、、一人暮らしをしようとはならない、、、どんなに一人暮らしをしたくても、、、体が脆弱であれば、、、アクションを起こせない、、、つまり知識はそこでは無力です、、、これは悟りも同じ、、、、どんなに悟りの知識を増やしても体がそれに見合わなければ、、、、悟りは起き得ないのです、、、ですが悟りたいという思いが起こるのは、、、もうその準備が始まっている証拠です。

悟りたいが起こったら、、、、

悟りたい、、、、が起こったら、、、、もう体がそこに向かっています、、、自我の解放を体が求めているのです、、、そこで知識ばかりを増やしても難しい、、、なぜならば、、、自我によって守ってもらう必要がこれまではあったのだから、、、ですから、、、その時はさらに体を開きます、、、体が悟りに耐えうる状態にもっていくのです。。。不健康、心がどん底からの覚醒は非常パラシュートの稼働です、、大ピンチ自我プログラムの解体です、、、、これは全然違います、、、、

悟りに耐えうる体の構築

修行は必要ない、、、それを連呼する覚者も居ますが、、、、その人はたまたまそうだっただけ、、、どう考えても自我プログラムは体を守る必要性を持って維持されている、、、ですから、、、健やかにこのプログラムを解体するならば、、、体を健康に健康に開いていく、、、チャクラを第一から開いていく、、、気の巡りを一つ、一つ開通していく、、この連続です。

思考はドラッグ

思考とはドラッグだった

思考について多くの方は甘く考えています、、、思考とは「こ・と・ば」で出来ています。。。これは音の組み合わせ、、発音の組み合わせを用いて、、、何をイメージさせる道具です、、、、「り・ん・ご」という音の組み合わせ、発音の違いを利用した、、、イメージ化ツールなのです、、、、この言葉を7歳ぐらいまでに覚えた子供はこの言葉を利用して、、、、イメージ化に成功します、、、、独り言を言ったりします、、、これは呪文です、、思考でファンタジーを作り出し、、、ファンタジーの世界に住むのです、、これはある種刺激的であるがゆえ人はこれにどっぷりハマるのです。。。

もしもあの子と付き合えたら。。。

小学生高学年ぐらいになれば、、、人間はしっかりと言葉を使ったイメージ化に成功し、、気になるあの子のことを想像するというファンタジー制作に勤しむことになるのです。これが大変刺激的であるがゆえに、、ハマりにハマるのです。。。。ですがこれは完全にファンタジーの世界への没入ですから「満足感」が抜けています、、ただ刺激的なだけです、、、「虚しい」のです、、、ファンタジーですから。

満足とは、、、

満足とは何でしょうか?????満足とはこの世界での真実に触れることです、、、真実に触れることしか、、「満足」は絶対にありません。。。。。では真実に触れる唯一の方法はなんでしょうか????幻想を経験することです、、、幻想にしっかりと経験を起こすことです、、、、この幻想の世界(現実)で体験、経験、五感を作るのです、、、これだけが真実です、、、それ以外は幻想です、、、、

思考しないで体験だけしていれば、、、、大満足????

え?????てことは、、、全く思考せずに、、、体験だけを積んでいけば、、、大満足の人生なのか?????そうです、、、、本当です、、、、ですが、、、、自我OSシステムは絶対にそれをやらせないでしょう。。。。。これは得か損か?????この行為はコスパが良いか????あの時あんなことをしなければ、、、、と大連発で起こり続けることでしょう、、、、

だから覚者は、、、、

だから覚者は、、、、思考を観察せよ!!!と連呼するのです、、、、思考の創造主ではなく観察者であれ!!!と、、、、思考の湧き上がりに注意せよ!!!!と、、、、自分が思考しているということに気づけば、、、自分が思考というドラッグに手を出していることに気づけば、、それで半分終わりです、、、、あ、、、また思考してたな、、、、は、、、、あ、、、またドラッグに手を出していたな、、、と同じです。

毎日24時間瞑想生活

これで気づきが起きないわけがない

覚者は悟り、、完全なる委ねの世界に入ります、、ガツガツした覚者、、血走った目をした覚者、、常に緊張した覚者を想像しにくいのは、、、サレンダー、、究極の諦めが悟りだからです。。。。そしてこの諦めは、、、無気力なのではなく、、、究極のリラックスです。全部が全部全自動であり、、自己の不在を肌感覚で見破ったときに、、、やることは起こりを観察するだけです、、、、もうそこには「頑張れ自分」が存在しません、、全く。するとこれはもう24時間瞑想です、、完璧な瞑想を24時間続ける状態です。

気づく

本当に不思議なことが連発します、、、大真面目に自分など全く存在しなくても何も関係なく毎日が進むのです、、、勿論思考、感情行動は湧きますが、、、「自分がやった」という後付けがなくなる、、、完璧に無くなります。もう思考しても行動しても、、、「自分がやった」が湧いてこない、、、ただの自動操縦、、やれば直ぐに分かります、、、静寂が漂ってきます、、、、大都会に居るにも関わらず、、、静寂が漂う、、、、奇跡の連続

人と争えない

人と争えないのです、、、相手の行動も自動操縦って知っているから、、、、自動操縦って分かってしまうと、、、言い方、伝え方がどうしても変わる、、、当たり前ですよね、、、、そして相手の自己が居ないことも知っている、、、でも虚しくはない、、、なぜならば今までもそれでやっていたのだから、、、、こっちも自動操縦ならば、、今後どんな行動を起こすか全く分からない、、、、となります。

起きる現象は観念、湧く思考は自動

身も蓋もない話

これはもう本当にジョークです、、完全なジョーク、、、起きる現象はこの私が積んできた経験から生まれた観念が映し出し、、、それに反応する「私」の思考は、、、勝手に湧く、、、、何これ????意味がない、、、全く意味がない、、、、「私」など完全に無力、、、操り人形どころじゃない、、、鳥籠、、しかもその鳥の反応は勝手に起こる、、鳥には自由意志もない、、、鳥籠の様子はガンガン変わっていく、、鳥の観念が変わるたびに、、、まさに無間地獄、、、

見抜く!!!

見かけ上の私には確信がありました、、、この世界は絶対に存在しないと、、だから情報を集めまくった、、、集めていくと観念が変わっていく、、あれやっぱりないかも、、、あれやっぱりないかも、、が経験として起こる、、、なぜならば観念が書き換わっていくから、、、だからよりこの世界は絶対にない、、は確かになっていく、、、このサイクルに入ったら止まらない、、なぜならば毎日その感覚が増していくから、、、この感覚が観念を書き換えていく。

信じれば経験できる

「この世界は絶対に存在しない」この確信を得たら、、、もう何も考える必要はない、、他のことは後回し、、だって絶対にこの世界は存在しないのですから、、、あとは情報集め、、、その裏付け情報、、、覚者の言葉の数々、、、すると体験が起きる、、、分かってくる、、、あれ???本当かも、、、が起きる、、起き続ける、、、そのプロセスは完全に無限、、、無限こそがこの世界、、、そしてどこかで全部が繋がる、、、全部の整合性が取れる、、、、なるほど!!!の連発、、、