有名人

有名人に憧れる本当の理由

エゴの集大成

有名人になるというのはエゴにとっては最大限の安心です。誰もが自分(エゴ)を知っているという状況は自分がこの世界に確実に存在すると証明できるからです。ですがなぜそこまでして存在を証明したいのか????それは自我エゴとは非連続性の存在現れては消える儚い存在なのです。だからこそこれを常に意織したい、、という衝動が有名人への憧れになるのです。自我最強バージョンです。

実際は

エゴにとっては有名人になることは素晴らしいことでしょう、ですが実際にそうなってしまったら、、さあ大変、、常に常に自分、エゴが現れるのです、、、その瞬間「本当は誰だ????」という憤りが生まれます。安心するエゴの動きと常に苦しいが湧き上がるという二重構造の感情に支配され苦しみ続けることになるのです。

有名人とはエゴの大肯定

有名人とはエゴを大肯定する動きです、、本当は非連続の幻であるエゴが完全に存在すると周囲から認められることになります。ですからこれからも有名人ビジネスはなくなることは絶対にないでしょう。有名サッカー選手が子供たちの憧れになるのは既に子供の中に自我が芽生えてきている証拠なのです。何者でもない存在では心許ない、有名になって存在を証明したいというエゴの動きです。

空には時間がない

空には時間も空間もない

ここからここまでが空で、、空が動くから時間が必要????全くありません、空には空間も時間も存在しないのです。なぜならば空はたった一つであり動くことも進むこともないからです。あえていえば無限大の存在、唯一無二。その空に有限の雲が湧き上がります、、雲とはこの体、この鳥、この花、この思考、この感情、この、、、見える全て聞こえる全て、触れる全てが雲です。ですがこの体(雲)この思考を自分だという思考(雲)感覚(雲)が生まれその雲が連発するようになりました。すると、、その私があれをやろう、あれをやらなきゃ、こうしようああしよう、、という雲も現れるように。自分が空だ、、、という自覚は完全に抜け落ちたのです。

いつもただ遊んでいただけなのに

最初はただ他の雲(子供)と遊んでいるだけで楽しかったのに、、徐々に「この体、思考は私だ」という雲が湧くようになっていくと常に「苦しい」という重黒い雲が湧くようになってきました。なとかしてこの重黒い雲を消し去ろうと動くのですが全く消えないどころか逆に増えていくのです。もうこの頃には自分が空だった感覚は完全になくなり雲として一心不乱に動くようになります。

自分(雲)の動きが重黒い雲(苦しい)を生み出してないか?????

これだけ一生懸命に一心不乱に働き誠実??に生きているのに一向にこの「苦しい」という重黒い雲が消えやしないで増え続けている。これって本当は俺(雲)が作っていないか???生み出していないか????大正解!!!!そうなんです、この重黒い雲の発生源は「私」雲だったんです。そこから悟り本(雲)などを読み漁るようになっていくのです。

この私も雲だった

この絶対的存在、輪廻転生までして存続しているこの私が雲?????その気づきが徐々に徐々に起こるようになります。本当の私は偉大な雲(有名人)ではなく、、、、空だったのか・・・・悟り本に書いてある内容が徐々に徐々に腑に落ちるようになり、、、最終的に空である自覚が湧いてくるのです。そこからは空として雲をただ眺める日々です、、そこからもあらゆる雲(現象)は湧いてきますがもう「この体は私だ」という思考雲に取り込まれることはありません。絶対的な安心の中で雲としての動きがあるだけです。

松本人志のスキャンダルに慄く芸人

そのぐらいいいじゃん

有名人になったんだから、、、これだけTVで活躍してるんだから少しぐらいいいだろ????これが活躍しているタレントの本音でしょう。こんなに頑張って活躍できたんだからちょっとぐらい大目に見てよ、、、です。ですが残念、、周囲の自我は、、、芸能人だからこそ、有名人だからこそ、、、彼らのスキャンダルを待っています。自我とは恐れの塊です、、本当は無いにも関わらずフェイクで存在を誇示しています。ですからいつその事実を見抜かれるか気が気じゃないのです。パチモンのグッチを友人にプレゼントした際に、、いつバレるかを気にしている状態です。ですから自我とは恐れ慄く存在なのです、正式には全体が自我というパチモン劇場を上映しながならも同時にバレることを恐れている感覚です。どちらにしても怖いが常にあるわけです、バレルのが。バレてこの世に生存できなくなるのが。

だから人の失墜に安心しかつ怖がる

だからだから大物芸人の失墜に、、「自分じゃなくて良かった」という安堵感が起こると共に、、「次は自分か????」の恐怖心が襲います。つまり全く救われていないのです。「主人公がついに消滅させられるか????と思っていたら、、違う大物だった、、、」の巻です。大物芸能人のスキャンダルが続けば続くほど自分じゃなくて良かった、、が起こり、、、同時に次は自分か????が起こるのです。ですがここで重要なのは自我がその感情を作り出し、、それに恐れているのではないのです。自我という感覚が、、この世界に恐れを生み出し、、それを全体が気づいているのです。

なんのことはない

なんのことはない、、全体から生まれた自我という感覚が、恐れをこの世界に生み出しそれに全体が気づいています。自我が恐れを感じているんではないんです、自我を生み出した全体が恐れを感じているんです。もちろん全体は全体ゆえに「全体が」という感覚はないんです。どちらにしてもただ「自我の存在」「恐れの感情」が起き続けているのは確かです。

結局のところどうすればいいの????

どうもしなくていいのです、、、松本人志のスキャンダルでなぜ周囲の芸人が慄き、、これを見ている大人が「ホッとしなおかつ恐れるか」の真相に気づけばいいのです。これによって自我があるという「感覚」が薄れ、、それと同時に本当の安堵、平和が訪れます。芸能人のスキャンダルに反応するのは実は自我肥大による病気のようなものです。

なぜそんなことを???

成功者に限って

なぜあの有名人がそんなことを????それっていっぱいありますよね!!!一般人よりも100倍恵まれているように見えるにも関わらず、、、なぜそんなバレることがわかるようなミスを。。。です。答えは簡単です、、「苦しみ」の根本原因を解消せずにストーリー上の解決ばかりを図りそれでも解決しないから自暴自棄状態に入っているのです。つまり誰か頼むから止めてくれ!!!です。

お酒がどんどん強くなる感じ

最初は少量で飲んでいたにも関わらず収入が増えることで良いお酒をガンガン飲めるように、、ところが毎晩飲んでいたら、、、、飲んでも飲んでも簡単には酔っ払えなくなっていく。そして毎晩毎晩潰れるまで飲んでしまう。「苦しみ」の根本原因に手を付けずに「私」が解消しようとすれば多くの人は全く同じパターンに入っていきます。

苦しみを刺激で解消しようとする試み

人間にとって娯楽とは「苦しみ」を一瞬忘れさせてくれる刺激です。本当は一切苦しみは片時も解消されていないのです。何か大きなモノを得たという錯覚で「意織」を騙しているのです。これは完全に騙しですから同じ手口では効果が無くなっていきます、結果より大きな騙しが必要になり、、最終的には止められなくなるのです。海であることを忘れた波は常に不足感を感じています、、その波がお金を手に入れた瞬間、、不足感が無くなったような錯覚を得るのです、、ですがお金を得ても海に戻るわけではないので、、根本の不足感が癒えるわけがないのです。ですからこの手口は二回目以降効果が薄くなります。意識を別の代替品で騙す方法です。

なぜ私だけが、、の罠

なぜ私だけが悟りに向かうのか?の罠

これは夢です、完全に夢です、、この夢の中で、、、、友人はほとんど悟りに興味がないし、仕事仲間も、家族も悟りに興味がない、、、なぜ私だけが特別に????私は特別な人間なのか??という疑問が湧いてきます。。ですがそれこそが罠です、、、それこそが自我の延命措置です。悟りという崇高な分野に興味を持つ俺って凄い、悟ったら俺はとんでもな有名人になるのでは????この思いこそが自我を延命させます。

夢が覚めるだけ

これは夢です、完全に夢です、、、この夢では、、、誰も本当は存在しないのです、、、だからこの私が、、、悟りに興味を持って、、、と言っても、、、それが自然現象なのです。本当にたまたまいまそれが起きているのです。ただしそのたまたまが起きるためには、、、観念として悟りに関心が起こり、、情報が集まり、、その分野の知り合いが増えて、、、という夢現象が起きるのです。だから私は特別なんだ感が生まれやすい、、私は釈迦以来の人材なのでは???が起きやすい。違うんです、コレは夢なんです、夢の中では何でも起きるんです。

特別だと思えなくなる

先ず周囲の人々に対し推測が起きなくなります。なぜあの人は裕福そうなのか??なぜあの人は怒っているのか???なぜあの人はしんどそうなのか?????だってコレは夢です、、原因なんてあるわけないじゃないですか。あるとすればそれは私の観念がそうなっていて、、、それが反映されているんです。投影されるんです。夢の登場人物に囲まれた私は、、特別であるわけがない。だって夢ですか所詮は。勿論この体が無ければこの夢は成立せず、、ゆえにこの見かけ上の体はこの夢の王です。でも夢の王って????しかも恐らく全員がその人の夢の王なんです。

夢の王として楽しんじゃえば???

この私がこの見かけ上の私がこの夢の王、それは間違いなく事実でしょう。だってこの夢の中からこの体が消えたことはないでしょう、、周囲はしょっちゅう消えますが、、。ということでこの夢は完全に見かけ上の私のものなのです。そしてこの見かけ上の私の観念が投影された夢です。だからこの夢を思い切り楽しんじゃっていいんです、自分だけ????当たり前です、自分の夢ですから。自分だけ働かず悠々自適に???当然です。ただ一つだけ注意点この夢では幸福が続かないんです、幸福は一瞬です、、変幻自在がこの夢の特徴だから。幸福というエネルギーも一瞬で消えます。

悟る方法も無限大

この夢は、、、あなた独自の夢ですから、、悟り方も千差万別、、、決まった方法があるならば、、これは無限が創造主の夢ではない。見かけ上のあなたは、、、無限である創造主が今回作った配役、主役です。この主役がどう悟るのかは全く分からない。。。勿論目を覚ますのはあなたではない、、これが夢だったという気づきだけが起きます。ですがその夢の中心には間違いなくあなたがいるのです。本当はあなたという思考が中心にいるんです。

全部を失って自殺した有名人

でも実際には居ますけど!!!

全部が失って自殺しちゃった芸能人、有名人てたくさんいますよ!!!!私だってああなる可能性がありますよね?????違うんです、、、その現象があなたの夢で起きたんです。。全部を失ったら大変だという恐怖心がその現象を作ったんです。コレは夢ですから、、何でも起きるんです。その現象を見て「やっぱり!!!」ってさらに恐れているだけです。

現象は確実にある、夢として

現象って確実にあります、夢として。だからこの夢で芸能人が自殺しても、、それも夢です。そしてその夢の出現にあなたの関心が関与しています。なぜならばこの夢で関心って、、、ここにしかないのです。私の関心しかこの夢にはないんです。他人の関心は、、、残念ながら、、、この夢ではフェイクなんです。関心を持っているように見えているだけなんです。熱烈なAKBファンが目の前に居ても映像以外では確認できないんです、もしも彼が名俳優ならば見抜けないんです真相が。

この関心は本物

ですがこの関心、私の関心は本物なんです、、100%現象として湧いていますよね!!!だから影響しちゃうんです、この夢に。例えばベンツという車に強烈な関心を寄せていきますと、、街中にベンツが増えるんです。それはそうなんです、コレは夢ですから。ロレックスに強烈な関心が向かえばロレックスを付けた人が増えるんです。なぜならばこれは夢だからです。

YAHOOニュースは常に「やっぱり!」

全ては観念の鏡

あの芸能人が覚醒剤で、、あの有名人が不倫、あの政治家が不正献金授与、、、、やっぱり!!!!!昔からあの人は怪しいと思っていた。。。。です。当たり前です、、夢ですから、、この夢はあなたの観念が反映された夢ですから、、、、やっぱり!!!に決まっているんです、反応は。ニュースを見れば毎日「やっぱり!!!」なんです。正しい反応は「今日のニュースって私の観念通りだなー」もしくは「へーこんな観念持っているんだ???自分って」です。

あの芸能人が!!!!でそれほど驚かない

いやーびっくりした!!!!はあるかもしれませんが、、実は内心ではそれほどビックリしていない、、、これがニュースです。だからニィースは別に見なくていい、さらに言えばニュースを見て関心を強めればその内容が押し寄せてくるだけ、、夢ですから。野菜が急高騰!!に関心を寄せればさらにさらに高くなる可能性が、、、、だったら見なくていい。

見ちゃうと良くない気が、、その通り

悲惨な犯罪のニュース、、見なければよかった、、、その通り、、、恐怖心を覚えれば、、さらにその影響力が増していく。。。これからニュースを見る時は、、、観念の確認作業、、、我が観念の確認でしかありません。コレは夢です、、、深刻に捉えなくちゃいけないニュースなど皆無です。ニュースばかり見て1日過ごせば、、観念の確認作業で終わりです、、意味なしです。

波が実は海だったという気づきは経験なのか?

最後の気づきは経験ではない

波としての人間活動が続きあらゆる経験を積んでいきます、最初は経済的欲求を求めていく、次に精神的欲求を求めていく、、、それでも全く満たされない。なぜならば自分を波だと思っているから、そしてこの波の中に自分という存在が居ると勘違いをしているから。この勘違いが苦しみを生み出しているのですから波としての波活動は全く報われないわけです。ですがその本質が分かり本当は自分は波ではないんではないか???そしてこの波の中に居ることになっている自分はフェイクなんではないか???という疑問が起き始めます、なぜ起きるのか??それは本質は海だからです、当然なのです。そうだ海だ、、は波の状態での気づきです、波が海そのものになるときにそれを経験する自我がもういない、、自我こそが波を維持してきたわけですから。この経験、波から海へのシフトは経験とはいえません。

主語が変わってしまう

波だと思っていたら実は海だった、、波を取り巻く環境の全てが自分だった、、、これは経験とは呼べないような経験でしょう。この経験とは呼べない経験が波の最終目標です、波の最終地点です。波は自由意志で動き回っていたと思っていたら実はその自由意志と呼ばれるような思考は海としてのものだった、だから時に全く上手くいかず時には上手くいくというシステム。思考は海からガンガン起こり、この波が自分だという思考もやはり起きる。そして同時に常に閉塞感、違和感、孤独感が起き上がります、海から。

孤独感が起きるのがおかしいのだ

簡単にお伝えすれば波として完全分離しているならば孤独感が起きるっておかしいのです。完全分離したらその状態がパーフェクトなのだから「足りない」という感情、「寂しい」という感情が起きるわけはないのです。つまり孤独感こそがこの波が自分という思い込みが真実ではないことを教えてくれているのです。私は波として完全独立しているという思い込みこそが孤独感を生み出す最大原因なのです。

不快感が生まれることがおかしいのだ

もっとこういう生活がしたい、できればお金が欲しい、できれば高級車が欲しい、できれば別荘が欲しい、できれば有名人になりたい、できればインフルエンサーになりたい、できれば人気者になりたい、、、全部全部波だからこその願いです。波が波として完全独立したらこの世界は完璧の鏡ですから欲求不満なんど起きえないのです。波という状態、そして波が独立しているという思考が真実は異なっているからブザーが鳴り続けているのです。それが不快感です。

みんなを助けなければ

助けるべきみんなは存在しない

正義感が強い人は、周囲の困った人々を放置できません。私がなんとかしなければ、、、となります。ですが実際には困ったその人々は存在しません、、、困っていないのです、、困ったように見えているだけです。その証拠の困った人々の困ったを代わりに感じることはできませんね、これが証拠です。だとしたら医者も看護師も弁護士も誰のために活動しているのですか????誰のためにも活動していないのです、そしてその医者も実在しないのです。

全自動システムの中でただ遊ぶ

例えば覚者として有名人になりサットサンには数百名の迷える人々が訪れてきたとしましょう、、、ですがそれは迷っているように見えるだけ、、その証拠にその悩みを誰も代わりに感じることはできないのです。だから遊びです、迷っているように見える人々にメッセージを伝えるという遊びが始まるのです。では何の意味もないのでは?意味は全くないのです、最初から完璧なのですから。

こんなに困っているのに見捨てるのか???

周囲がこれほど困っているのにお前は見捨てるのか????と言われてしまうかもしれませんが、、困っているという証拠はないのです、、何度も言いますが、、代わりにその感情を感じることができない以上、証拠がないのです。そしてこの世界は100パーセント幻想です。ということでどれほど罵倒されてしまっても放置で構わないのです。

苦しみの本質に迫る

条件が全て

こういう家に住んで、こんな収入で、こんなパートナーが居て、こんな仲間に囲まれて、、我々は無意識にそのような条件を幸福に求めます。私レベルであれば最低限こんな環境に身を置くべきだ、、、この思い込みを叶えるために人は生涯を注ぐわけです。そしてこれらとは全く異なる環境、理想とは程遠い会社、家、パートナー、仲間に囲まれてしまえば私は絶対に不幸になるはず、、、それを恐れて生き続けるのです。ですが実際にはそのような理想とは程遠い環境に身を置いた時に初めて気づくのです、いやそれほど悪いものではないなと。これが人間の苦しみの本質です、勝手に思い込みそれを恐れて必死に踠いているだけなのです。

理想を手に入れても

どんなに理想的な生活を手に入れても人が苦しみから逃れなれないのは手に入れた個人が存在しないからです、手に入れるまでの全功績を享受するはずの個人が実は存在しないのです。自由意志に基づいて確固たる結果を出したはずの個人、自分、自我が実は存在しないのです。そのことをどこかで分かっているから常に不安に苛まれるわけです。そして理想とは程遠い環境に身を置いた時にも、、、実は全ての責任は責任を取るはずの自分が実在しないことを本質では分かっています。だから軽いのです、だからそこまで苦しくないのです。理想を追いかけている時は存在しない自我が出しゃばるばるわけですが失敗した時にはその自我が存在を隠します、それで楽なわけです。

理想を追いかける時、、

理想を追いかける時「自我」は大仕事を担います、自由意志を行使して理想に向かって直走れるわけです。本当は自由意志はないにも関わらず起こる自動反応を「自由意思」と捉え続け走る続けていきます。だから自我には理想が必要であり恐るべき環境も必要なのです。ところが突然の災難に襲われ全てを失った時に実はそこまで苦しくないという事実を突きつけられ自我の策略が暴かれるという事故が起きるのです。大借金、倒産、闘病、、、などなどです。

自我に踊らされてきただけ

我々は実は自我に踊らされ、、、、理想を追いかけ、恐れから逃げていただけなのです。この自我主導での奔走逃避行動こそが苦しみの原因であったわけです。ではこれからはどう生きればいいのか??先ずは自由意志がないことを認めることです、自由意思がないということはそれを行使する自我も存在しません、、、そこが理解できますと嫉妬そねみが湧いてこなくなります、、、有名人の大豪邸を見ても、、、たまたま、、、、ホームレスを見ても、、たまたま、、、その事実が分かってしまうのです。なぜならば自由意志がないからです、この世には。