イメージ

イメージとイメージの人間関係

こういう人に違いない

私たちが言う人間関係とはイメージとイメージの関わり合いです。ある体に対してこの人は「こういう人だろう」というイメージを持ち、、そのイメージとこの私という「イメージ」が交流します。そして相手もまたこの体に対してイメージを持ちそのイメージに対して相手の私「イメージ」が交流しているのです。そこには四つのイメージが確実に存在しコンタクトが生まれます。

イメージとは違った

人間関係の交流が深まるのはお互い同士の「私」というイメージが描く相手のイメージが「私」にとって好ましいイメージだった時に、、、深くなっていきます。ところが実際にはそれはイメージであって、、、そのイメージ通りの言動が続くわけがないので、、深まっては薄れていくのです。この体、あの体を通じて起こる言動は実は勝手に起きているものであって、、、誰にもコントロール不能にも関わらず「私」「相手」はこれをコントロロールできると信じているので、、そのコントロールできているはずの「人格」を信用するのです。ですが実際にはコントロールできる「何か」は存在しないことからこれは多くの場合上手くいかないのです。

良いイメージ

結婚などはお互いがお互いに良いイメージを持つから成立するわけですが、、実際にはお互いをコントロールできる「何か」は存在しないので、、、予想に反して相手の行動が「私」の好みでなくなった時にトラブルになります。もしくは好みの行動を見かけ上の相手が起こし続けても、、、「私」の不足感を相手が補ってくれないという事態(頻繁に起こる)が起こることで、、その責任を相手に擦り付けるという行為が起こり破綻に進みます。

欲求不満をお互いが補えるわけがない

私という存在、この感覚こそが欲求不満を作りだす大きな原因ではありますが、、そのことをお互いが知るわけがないので、、、この欲求不満をお互いがお互いにぶつけるわけです。。。この絶対に解消できない欲求不満を双方が補えるわけがなく、、、これによって人間関係は終了に向かうのです。

エゴ(自我)の研究とは???

これはウイルス対策

ウイルス対策ソフトは、、ウイルスのプリグラムパターンを予測し、、それに反応するようになっています。予めウイルスのパターンをPCにインストールしておいてそのパターンが起動した時その時点でそれに反応します。PCがウイルスに対し自動反応を起こさないように予め予測したソフトこそがウイルス対策ソフトなのです。悟りとはエゴのパターン、自我のパターンを予め学びこれを自動増殖させないためのことです。

エックハルトトールは自我(ウイルス)の動きを見破った

エックハルトトールは書籍の中で再三に渡ってエゴの動きを解説します、、、なぜか????PC(全体)にエゴの動きを学習させエゴの自動増殖を防ぐことを覚えさせているのです。ウイルス(エゴ)は動きを予測されてしまうと自動活動がやりにくわけです。水面下(無意識)に動きを強化し気づいたら染まっていたという状態が安定状態です。一方エックハルトトールはその動きを再三に渡って詳しく説明し要所要所でPC(全体)にこれを気づかせる仕組みを作ったのです。

全てが繋がる

悟りとは覚醒とは解放とは、、この仕組みを完全に理解してしまうことです。プログラム(思考)の異常増殖阻止、PCと言語の関係、ウイルス対策とは????完全に完全にこの仕組みを理解できますと、、、勝手に思考(プログラム)が立ち上がり、、イメージの世界から出れない、、、なんてことはないですよね????とはいえこれを理解してしまったら、、もう思考の世界、偽りの自我(洗脳プログラム)が幅を利かせることができなくなりますから、、そう簡単ではないのです。

イメージが起きなければ

そのまま至福に入る

「この体、この思考が自分だ」この思考が湧き上がりますと、、それは全体に回収され即イメージ化されます。そして「この体、この思考は自分である」というイメージ、幻想、イリュージョンがこの世界に起き上がるのです。自分という言葉は、、世界に完全独立した、完全分離した別個の存在という意味ですから、、それがそのままイメージ化されるのです。この言葉は大変力強い影響を与えます。そしてこれが同時に孤独感を起こすのです。ですが本当はあるがままの世界、たった一つのエネルギーだけの世界が真実です、真実は至福、無分離、非孤独です。言葉が湧き上がる前、、至福でしかなかったのです。

言葉以前の世界

我々は生まれた時、、たった一つの世界に居ました、、、たった一つの世界の住人ではなく、、、たった一つそのものだった、、つまり至福そのものだったのです。。。それが言葉を覚え始め、、、分離したイメージを勝手に築きあげることで、、この至福の世界に、、、孤独という「感情」を作り上げたのです。「今この瞬間に悟れます」というのは真実でそれは至福の上に孤独、虚しさ、悲しさを作り上げているだけだからです。イメージが崩れればそのまま悟り(至福)に入るのです。

「この体この思考が自分」の崩壊

突然自分がなくなり至福に襲われた、、、エックハルトトールはこのような表現で自身の悟りを表現していますがまさにその通りです。「この体この思考こそが自分である」という強いと強い思い込みが、崩壊し、、、このイメージがこの世界に起こらなくなった時、、、そこには至福だけが広がっているのです、いつでも。彼は絵rーとで多くの多くの知識を所有する私というイメージを持っていたに違いなく、、、そのイメージが大きくなり過ぎて、、その重さに耐えられなくなった時、、そのイメージが崩壊しました。。。結果奈落の底に落ちたつもりが至福というセーフティーマットが敷かれていたということでしょう。

「この体この思考は自分」というのは真実ではない

この認識、気づきが、、、本当の私、全体から起こることで、、、強烈なイメージが緩和されます。世界にたった一人、、この体、この思考を所有し立っているというイメージが起きなくなります。これだけで「苦しい」が湧いてこなくなるのです。思考は即座にイメージ化されますからその内容が真実と乖離すればするほどに苦しいのです。本質を学ぶとはまさに強烈な分離からの統合へのプロセスです。

 思考と全体

思考の力

多くの方は思考の力を侮っています。思考とは何でしょうか???例えば「私は世界にたった一人だ」という思考が起こった時には何が起きるか????同時に寂しいという感情が起こります。なぜ起きたのか????「私は世界にたった一人だ」という思考に全体、スクリーン、スペースが気づき、、この言葉を読み込み、、読み込むことでドラマ、イリュージョン、蜃気楼がこの世界に浮かび上がったのです。たった一つのこの世界に「私は世界にたった一人」というイメージが湧きがりました。これによって寂しいという感情も浮かび上がったのです。すると「友人に電話しよう!」という思考が湧き上がり、、それを全体、スクリーンが読み込むことでそのイメージが湧き上がります、、するとまたワクワク!という感情が湧くのです。

ドラマが始まる

思考がこの世界にドラマ、イリュージョン、映画を作り出しているのが分かりますね。文字の連続を読み込んだ全体は、、その文字が指し示すことをイメージ化していきます、、そのイメージは確実に浮かび上がり、、あるがままの世界に誕生するんです、確実に。それに伴い感情も湧き上がりドラマはより重層構造になっていくのです。ですがこのドラマは真実ではありません、真実はたった一つのエネルギーですから。ゆえにこのドラマの世界は居心地が悪く疲れるのです。

人間関係が疲れるのは????

「Aさんは日曜日何やってる????もし良ければカフェに行かない???」という誘いがBさんから起きました????この言葉はそのまま全体に読み込まれAさんという自分がイメージ化されBさんとカフェをするイメージも同時に起こるのです。これによって嬉しい!面倒!などの感情が浮かぶ上がります。Aさんは湧いてくる感情が楽しい!!!ならばOKと答え、湧いてくる感情が面倒!!!ならばNOと答えるのです。どちらにしてもあるがままの世界に「Aさん」「Bさん」というイメージが湧き上がることでその時点で「孤独」という感情も湧きます、、なぜならばAさんもBさんという分離した存在は錯覚でありそのイメージが孤独を起こすのです。

夢の中に居る

私は確実に夢の住人です、なぜならば私という存在はイメージでしかなく真実ではないからです。私がカフェに行く、、、は言葉が作り出したイメージです。私は生きるために働かなくてはいけない、、この思考はそのイメージをこの世界に浮かび上がらせます。夢をその瞬間に作り出しているのです。これらは全部嘘です。本当の私とはこの空間、スクリーン、スペース、、、言葉を読み込みイメージを瞬時に作り出す存在です。この体、この思考が自分というのはイメージに過ぎません。勝手に自分自身を「ちっぽけなイメージ」に押し込みその時点で苦しみを与えているのです。

思い込みが崩れる=小さな悟り

俺が世界一のボクサー

血気盛んな若者は俺が絶対に世界一喧嘩が強いと思い込み道場破りの感覚でボクシングジムの門を叩くわけです。ところが初日に先輩ボクサーにコテンパンにされて、、、目が覚める、思い込み、観念が瞬時に崩壊します。間違いなく自分が一番強いように見えていたにもか関わらず、、実態はそうじゃなかった、、、です。観念(イメージ)が真実の前で崩壊したのです。

思い込み(観念)って間違ってんじゃん

そうです、思い込み(観念)って間違ってるんです。若い時はイケメンになれたら、美女になれたら、高収入になれたら、大富豪と結婚できたら、、広い家に住めたら、、、、幸福になれると、、、そう見えていたんです(思い込み)思い込むからそう見えるんです。。ところが実際にはそう見えていただけ、、、この世界はそう見えているからと言ってそれを目指してはみたものの、、、全部が思い込みだった、、、ばかりなのです。そうです、、この世界は思い込んだように見えるようになっているんです。そして実際にそうなってみると、、全然違う、、です。

何度も思い込みに裏切られ、、

悟りとは何度も思い込み(観念)に裏切られ裏切られ続け、、、もう思い込み(観念)は十分だ!!!!!となった時に目指すものです。全ての思い込み(観念)を疑い、思い込み(観念)自体を恨み、、思い込み(観念)を自ら崩壊させる、、、これが悟りです。全ての思い込み(観念)が崩れ落ちた時に残るもの、、、それがたった一つのエネルギー、あるがまま、、本当の自分(至福)です。

観念の崩壊

例えば会社

多くの方は学生から社会人になる時に、、イメージで会社を選ぶわけです、、、大きい会社は良いはずだ、、IT企業は格好良いはずだ、公務員は仕事が楽なはずだ、商社はモテるはずだ、、給料の良い会社はモチベーションが上がるはずだ、、、このような各自イメージ、観念、価値観に沿って会社を選びます。ところが実際に働いて見るとイメージ(観念)と実態が異なるという事件が起きるわけです。一瞬にしてイメージが崩れ落ちてくれれば良いのですが二十年近くかけて築いたイメージですからそう簡単に崩れないのです、、やはりそう見えるわけです。そして徐々に徐々にイメージが変わってき、、最終的にそのイメージ(観念)が崩れおちるのです。そのタイミングで転職します。

例えば恋愛

恋愛も同じ、、最初はイメージでお互いが付き合うわけです。このような見た目の子は性格がこんな感じだろうな、こんな結婚観だろうな、こんな優しさだろうな、こんな面倒見だろうな、、、ところが付き合うに従いイメージと実態が乖離していくわけです。そして最終的にイメージ(観念)が崩れ落ちて別れることになります。

例えば悟り

悟りとは、、、まさかの、、、この体に自分が居るという観念(イメージ)が崩れ落ちるのです。あまりに人生が苦しすぎて環境に対する観念(イメージ)が崩れ落ちる前に、、、この体の中に自分が居るという観念(イメージ)が崩れ落ちたのです。観念、イメージの崩壊の、、最終形態です。この体の中の自分が生きるという観念、イメージが実態(日々の生活)と乖離しすぎて、、、、観念(この体に自分が居る)が崩れたのです。

「全ては一つだ」は概念

分離ではなく統合、、という概念

この世界を言葉で表現するのは簡単なことです、全ては一つ、全ては夢、本当は何もない、、、これらの言葉を覚えても暗記しても難しいのは、、、これらが言葉だからです。言葉というもの自体が本質を切り刻む役割で誕生したものでありその言葉で真実を表現するのは矛盾があるのです。我々は「全体」という言葉を聞くと全体というイメージをしますが、、これこそが夢なのです。夢から覚めるために言葉を使うとさらに夢が広がるというオチです。

言葉は分離を作り出すもの

言葉とはイメージ、分離を作り出す道具ですから、、、この言葉で真実を表現するのは矛盾を含んでいます。ですからこの言葉で言葉のマジックを解き明かす、言葉のメカニズムに気づく他ありません。言葉で全体を理解するのではなく分離が作りだされるメカニズムを理解することで真実に気づいていくのです。

りんごという言葉

りんごという言葉は我々にあの形状のイメージを湧かせます、これがりんごという言葉の力です。この夢は言葉を作り出すことで夢を作り出しているのです。言葉はイメージを次から次へと湧き出させ、、、この夢を無限の可能性の表現の場所にするのです。

では本質とは

本質とは言葉によってドラマを作り出すこのスクリーン、そしてこのドラマそのものです。このドラマの原動力、素材、ドラマをドラマたらしめている全てが本質なのです。本質が形をかえて言葉を使いこのドラマを上映させているのですがこの全てこそが本質です。このドラマの中の自分という存在を作り出している力も本質です。本当は何もないんです!という表現は、、そういう意味です。何も無いとも言えますし経験の全てとも言えます。

脳が無限の表現を可能にした

脳はなぜあらゆることを想像できるのか????

脳はなぜファンタジーを想像できるのか????100年後の地球、宇宙人の生態、スターウォーズのような映画、、、人間の想像力は無限です、本当に無限のように湧いています。なぜでしょうか???何がそれを可能にするのでしょうか????それはこの世界は無限の鏡、あるがままの鏡だからです。「無限」MAKEユニバースです。もしくは無限ISユニバースです。ですからこの宇宙ではどのようなファンタジーも脳内で表現できるのです。

いや所詮は脳内ですよね????

脳内の話であって実際には起きえないじゃないですか、、脳内のビジョンであって現実ではないですよね????では脳内に現実では起きえないようなビジョンがなぜ人間の脳には湧くのでしょうか???見たことがないような世界をなぜイメージできるのか???人間の脳は。それだけでも凄いのです。そしてもっともっと言えば脳は幻想であって実在しません、、本当はただビジョンだけが起きたのです。

本当は脳はなく、、ただビジョンだけが起きた

脳は実在しません、幻想、3D映像です。つまりビジョンはただ起きたのです、、、凄いことです、、ただビジョンが湧き起きたのです。では今見ている景色と想像のビジョンは何がいったい違うのか????実は何も違いはないのです、、現実と呼ばれる世界のビジョンも、、空想のビジョンも見るという経験でしかないのです、同じ経験です。現実のビジョンは触ることができる、、、、そうです、、触るという経験が起きます、それだけ。

ところが

本当の本当のことを言えば、、我々は空想のビジョンの中で、、、ラーメンの香りを嗅ぐという経験、味わうという経験、、コシを楽しむという経験、、、器を持ち上げるという経験をどこまでも緻密にできます。つまり現実と呼ばれる世界で起きることと、、想像のビジョンで起きることは同じなのです。

無限の経験を積む場所

この現実世界も空想の世界も経験というものを積むことができる無限の場所なのです。無限の経験を積める無限の楽園です。私という思考をぶち上げ、、その私がいる人生というストーリー、ファンタジーをぶち上げ、、その人生を楽しむというファンタジーをぶち上げています、、、まさに無限のための無限による無限の表現(経験)です。我々の本質は無限(あるがまま)なのです。

これからどうなる?

多くの方は心配に意識を向ける

これから世の中ってどうなっちゃうんだろう???多くの方は将来に対しいネガティブなイメージを湧かせます。残念!!!この世界はあるがまま、大いなる一つの表現の場所ですよ、無限の存在のアートの場所で何を憂いているのか??おかしくないですか、、、この大宇宙を作り出した存在の表現の場所にも関わらず何を憂いているのか???です。

この大宇宙で小さく考える矛盾

この大宇宙は常に変遷膨大しているわけですが人類が考えた常識が来年も通用するって逆におかしすぎるわけです。この地球の中に常識って何なんだ、、という話ですし、、この日本の常識って何なんだという話です。宇宙は常に動いていて太陽系も動き続け、地球も動き続けているのです。この体を生きるばせるために小さく小さく考えて生きるって虚しすぎるわけです。

たった一つのエネルギー

宇宙がどんなに広大無辺であろうと、、、今ここにあるエネルギーが全てです、ここ以外にエネルギーは存在しません。ここ以外に宇宙は存在しえないのです。もしもここ以外に宇宙が広がっているならばここはたった一つのエネルギーではないことになります。ここは部分ではなく全部です。今私がいる場所が全部です、そしてこの私も実は存在しません、私という分離したエネルギーは存在しえないからです。

虚しいを追求する

虚しいって何???

虚しいとは、、、実がない状態です、、、実がない状態が虚しい、、、じゃあ、、実って何か????真実に触れることです、、、、この世界で真実に触れると、、、、実が生まれます、、、、、「この世界に真実じゃないもの」なんてあるんですか?????全部真実じゃないですか?????それが違うんです、、、それが真実じゃないんです、、、、我々は言葉を覚えてしまったので、、、、言葉で作り出したイメージの世界に知らないうちに住んでしまったのです。

私が幻想

最初に答えを言ってしまえば、、「わ・た・し」も言葉ですから私も虚構です、、、つまり私を生きるとは虚を生きることになります、、、私とは虚、、、つまり虚しいのです、、、、だから先ず「私」は言葉で作ったマジックであるということを覚えるのです、、、すると私を生きるという、、、虚構が外れます、、、、五感は真実ですが、、、「わ・た・し」は虚です、、、、私はラーメンを食べたと思考すれば、、、虚しい、、、が湧くのです、、、、「私はラーメンを食べた」は虚構です、、、事実は味、香り、感触、満腹感、、、、、だけです、、、

じゃあ、、、どうすりゃいいんだ????

分かった、、、私が、、、、は虚構だから虚しい、、、、でも、、、、もう言葉を覚えちゃった以上、、、どうすりゃいいのか????????違うんです、、、今まだ虚しいのならば、、、言葉が作り出した世界は全部嘘だということが腹落ちしていないんです、、、、、腹落ちとは、、、悟りですから、、、虚しさはないんです、、、真実は何が起きているのか????を学ぶしかありません、、、、勘違いが全部削ぎ落とされた時に、、、真実しか残りません、、充実しか残りません。。。それだけ。