イメージが起きなければ

そのまま至福に入る

「この体、この思考が自分だ」この思考が湧き上がりますと、、それは全体に回収され即イメージ化されます。そして「この体、この思考は自分である」というイメージ、幻想、イリュージョンがこの世界に起き上がるのです。自分という言葉は、、世界に完全独立した、完全分離した別個の存在という意味ですから、、それがそのままイメージ化されるのです。この言葉は大変力強い影響を与えます。そしてこれが同時に孤独感を起こすのです。ですが本当はあるがままの世界、たった一つのエネルギーだけの世界が真実です、真実は至福、無分離、非孤独です。言葉が湧き上がる前、、至福でしかなかったのです。

言葉以前の世界

我々は生まれた時、、たった一つの世界に居ました、、、たった一つの世界の住人ではなく、、、たった一つそのものだった、、つまり至福そのものだったのです。。。それが言葉を覚え始め、、、分離したイメージを勝手に築きあげることで、、この至福の世界に、、、孤独という「感情」を作り上げたのです。「今この瞬間に悟れます」というのは真実でそれは至福の上に孤独、虚しさ、悲しさを作り上げているだけだからです。イメージが崩れればそのまま悟り(至福)に入るのです。

「この体この思考が自分」の崩壊

突然自分がなくなり至福に襲われた、、、エックハルトトールはこのような表現で自身の悟りを表現していますがまさにその通りです。「この体この思考こそが自分である」という強いと強い思い込みが、崩壊し、、、このイメージがこの世界に起こらなくなった時、、、そこには至福だけが広がっているのです、いつでも。彼は絵rーとで多くの多くの知識を所有する私というイメージを持っていたに違いなく、、、そのイメージが大きくなり過ぎて、、その重さに耐えられなくなった時、、そのイメージが崩壊しました。。。結果奈落の底に落ちたつもりが至福というセーフティーマットが敷かれていたということでしょう。

「この体この思考は自分」というのは真実ではない

この認識、気づきが、、、本当の私、全体から起こることで、、、強烈なイメージが緩和されます。世界にたった一人、、この体、この思考を所有し立っているというイメージが起きなくなります。これだけで「苦しい」が湧いてこなくなるのです。思考は即座にイメージ化されますからその内容が真実と乖離すればするほどに苦しいのです。本質を学ぶとはまさに強烈な分離からの統合へのプロセスです。

(Visited 1 times, 1 visits today)