ストーリーの中で頑張って生きる人々

このイメージの世界に居ることに気づかない

このイメージの世界、言葉が作り出したイメージの中に閉じ込められていることに気づいていない人々は、、この世界の中でなんとか生き延びようと必死です、もしくは享楽的にただこの苦しみから逃げようとする、この苦しみを直視することなく、、周囲の人々に合わせまあこんなもんだよと、、迎合する。。ですが本質に目覚めれば分かります、、これはただの苦しみの延命措置です。

苦しいからこそ打算的に生きる

このイメージの世界、ストーリーの世界は基本は苦しい、、ですから多くの方は打算的に生き、、少しでも苦しみの少ない人生を送ろうとします、、絶対的幸福はこの世界には存在せずだからこそ、、苦しさがより少ない人生を歩もうとするのです、、、ですがどんなに苦しみを解消しようとしても、、このストーリー、イメージの中に居るのが苦しいのであって何一つ根本解決にはならないのです。

本質に気づき本質に生きる

本質とはこの現象界そのものです、現象を作り出す存在、、それが我々の本性です、、この体はその一部でしかなく、、この体の中には私はいません、、、全ては本質から一時的に現れた現象でしかなく、、この体は便宜上、、名前が付けられた機能でしかない、、この体、、体以外に便宜上名前がつけられ、、便宜上の私と私以外の世界が誕生しました、、ですがこれは便宜上の話であって、、イメージです。ところがこのイメージの世界にどっぷり浸かりますと、、イメージであることを忘れてしまい、、苦しみの渦に自ら飲み込まれていきます。

本質でしかない

これが言葉によって作り上げられたイメージであることを見抜きますと、、もうこの体を幸福にしなくては、この体をなんとしても安全に生き伸ばさなくては、、常識に従って生きなくては、、の柵が抜け落ちます、、それよりも本質であることを思い出すことに関心が移ります。。この体を安全運行するよりも、、究極の本質であることを思い出すことに関心が移るのです。

ベクトルが横から縦に移る

我々が現実と呼ぶこの人間が生きるストーリーの世界は横軸の世界、、そして本質の世界は縦軸の世界、、この夢はこの本質によって支えられています、、本質から全てが生み出され、、人間というイメージが想像され、、その人間が経験する全てを本質が回収し、、この体が全てを経験しているというストーリーが生み出されました、、想像として。個別活動があるというストーリーは、、個を生き伸ばすには成功しましたが、、苦しみが伴います、、この苦しみを終わらせる活動こそが悟りです。

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