渡す世間は鬼(雲)ばかり

自我(雲)の延命作用

自我はこのドラマでは好んで被害者になろうとします。被害者になるということはこの私は確実に居ることを証明できるからです。医療ミス、金銭トラブル、ストーキング、、、なんでもいいのですが被害者という周囲から間違いなく認められる地位を獲得したいのです。何かを達成して地位を得るよりもはるかに簡単に自己を証明できるのです。自我は幻ゆえに、、その存在を証明してくれることならば何にでもしがみ付くのです。渡る世間は鬼ばかりというドラマがありますが毎週毎週誰かが被害者、加害者になることで自我の存在を明確にしているのです。そしてなぜそこまでしなくてはならないかと言えば自我とは非連続性の存在つまり雲なのです。

時に加害者(雲)、時に被害者(雲)

渡る世間は鬼ばかりでは出演者が上手に交代しながら、、加害者被害者役を繰り返していきます。時に加害者、時に被害者、、と回りに回っていくのです。重要なことは常にどちらかの役をやっていること、、やっていれば自分という存在を証明できるからです。ですがなぜ毎回毎回忙しくそれをやるかと言えば自分を証明し続ける必要があるからです。つまりドラマを引き起こしていないと自分を証明できないということこそが本当は幻想である証拠なのです。

空(本当の自分)以外は全員幻雲

この世界において空以外に絶対的な存在は居ません。空に浮かび上がる現象の全て(人、物、思考、感情)は現れては消えていく幻雲です。本当はそれが分かっているからこそ人はお互いの存在を記憶に留め、、幻ではなく絶対であると相互に錯覚しあっているのです。錯覚共同互助組合です。この動き(雲)が自我(雲)同士で起こるのです。

称賛されるよりも被害者は簡単

大谷翔平のようになれば自我は大大大満足で、、誰も大谷翔平の自我を幻とは思わないでしょう。ですがこれは最大限の努力が必要になり手間がかかるのです、そこで自我は被害者になり簡単に自身の存在を証明するということを学習したのです。あれ???私の存在薄いかも????そうだ被害者になろう!!!です。この動きを見抜いた時被害者になるという自我の動きが止まります。

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