私が起動すると前に向かう

PCは私に解決させようとする

この世界に私という概念がプログラム起動されますと同時に憤り、違和感が生じます。それはこの自分というプログラムがPCをこの体の中の存在であるという錯覚を起こさせる動きだからです。するとこの私を使ってこの違和感憤りを解消させようとする動きが起こります。「私はこれを達成する」「私はこの夢を叶える」「私はこういう生活をする」です。ですがこの主語である私というプログラムこそが憤り、違和感の根源ですからこれで解決することはありません。

天才子役の末路

幼少期にこの自我を形成する動きが起こりますが天才子役などは、、自我形成を通り越して自我がさらにスターになるというところまで自我が肥大化します。これほど大きな自我は同時に大きな憤り、違和感を発生させるのです。本当は存在しないからです。多くの場合天才子役は人間関係につまづき不幸な人生を歩みます、自我がかえあ生じる憤りが全てを打ち壊すのです。

大スターはいつも機嫌が悪い

大スタートは、、どこでも「この体この思考が自分」というプログラムが起動しやすい状況です。それはそのはず道を歩けばエンドレスに周囲から指を指されるのです。この憤り、違和感は相当なものです。ゆえに彼らはいつもピリピリしています。しかもその理由が分からないのです。「この体この思考が自分」というプログラムの過剰起動がこのピリピリを生み出すのです。

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