全ては手放すことのトレーニング

誰かが奪いにきても

仮に誰かが私からお金なり何かを奪いにきたとしましょう。これも手放すトレーニングになります。なぜ見かけ上のその人は私から何かを奪いたいのか???それはその人が盲目だからです、「この体、この思考、この感情こそが自分」と信じているために、、常に憤りを感じ、、それを解消するために苦しんでいるのです。これだけ私は苦しんでいるのだから奪ってもいいという思考が湧いてきます、そして奪いにきます。そして私からなにかしらを奪うことに成功したとしてもそれを享受するのは「この体この思考この感情が自分」という思考ですから、、憤りは当然消えることはなくまた人から奪うが続くのです。

この経験を活かす

人から奪われるという経験をいかに活かすか????貧しさの根本原因です。「この体この思考この感情が自分」という信念、観念を持つ限りこの貧しさを解消できないということ、、そしてこのドラマの中で誰かが私から何かを奪いにきたということは、、私の信念が投影されているという事実です、そこに気づくのです。この現象が一番教えてくれていることは自身の観念です。

人から何かを奪うなんてありえない

「この体この思考この感情が自分」という観念が緩んできますと、、人から何かを奪うなんてありえない、、、そういう観念も現れます。そうなりますともう私の周りでそのような人が登場することはないでしょう。そして仮に現れたとしても感情ではなく冷静に、、「NO」を突き付けれるはずです。なぜならばこちらは既に精神が豊かだからです。豊かな状態で感情的になるのは不可能です。

今に居るその瞬間までこのトレーニングは続く

「この体この思考この感情が自分」という観念を持っていると、、そのままドラマに入り込みます、そのドラマは自身の観念が投影された世界が広がります。このドラマの中でこの観念のトリックを見破らない限りはエージェントスミスが観念を投影した役として登場し続けるのです。好ましくない状況が起きた時こそこのトリックを見破るチャンスです。

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