雲(自我)の最後の抵抗

固執している関心ごと

本当は私はこの体(雲)ではなくて空だ、、、この体(雲)この思考(雲)この感情(雲)が私(雲)なのではなく、、空そのものなんだ!!!!この気づきがある日突然起きます。ですが、、、それと同時に、、日々の関心ごと、将来への不安、両親との確執、本当はやりたかったこと、、などがフラッシュバックのように流れ(雲)また私(雲)にしがみ付く、、、が起こります。この全ての出来事は全て雲であり、、、この私(雲)を維持するための連発雲(記憶、思考)が起こるのです。

エージェントスミス

マトリックスの映画ではこの状況をエージェントスミス(雲)を使って表現しています。友人知人、両親、、、あらゆる人がエージェントスミス化して攻撃してきます。主人公ネオは彼らと死闘を繰り広げるわけですがそこの関心が行っている時点で実は負け戦なのです。個人の関心とは個人をこの世界に留めておくための戦略なのです。お金、ギャンブル、お酒、異性、マンション、アクセサリー、SNS、、、その人の関心が実はこの世界にその人を留めておくツールなのです。

全ての関心ごと

全ての関心ごとを観察し、そこの執着しない、、そして自身は空であるという自覚で過ごすことができるようになりますと、、過剰な関心攻撃は無くなっていきます。恐らくこれは自我に関心がむかなくなる時の自我の悪あがき、反抗期なのでしょう。本当はアピールしたい、だが直接ではバレる、、そこで関心事を記憶から引き出し、、意識をそっちに向けさせます。

勝負の行方は決まっている

どれほどにエージェントスミスの攻撃が半端なく毎回毎回この自我ストーリーに引き戻されてしまったとしても、、、最終的な勝者は既に決まっています。なぜならば、、雲(自我)が空(本当の自分)になるのではなく、、いままでも空(本当の自分)だったのです。生まれてこの方、空(本当の自分)でなかったときは一度もないのです、、、ただ雲(自我)を本当の自分と勘違いする思考(雲)が漂っていただけなのです。そしてそれによって観念という分厚い雲が現れその雲を通じてこの世界を見るという自我ストーリーが生まれていたのです。ただしどれほどそのストーリー(雲)が分厚いものであっても、、空(本当の自分)は常にそこにあって全くなんの影響も受けずにいました。それらが消え去りまっさらになってもやはりそこには空(本当の自分)が残ります。

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