100円ショップも高級ショップも

存在の現れ

個人は常にもっともっと良いものが欲しいと願います。私はもっと良い物に囲まれたら幸福になるに違いないと考えます。ですが実際には100円ショップの商品も高級ショップの商品も同じ存在の現れです。原材料は全く同じです、さらにそこに囲まれているとされる自分(思考)も存在の現れです。どこに行っても存在しかそこにはなくそのことが分かると、、、ただ静寂が起こります。もう私は良いものに囲まれなくても良いのです。だってどこに行っても存在以外がないのですから。

安物に囲まれた私

「安物に囲まれた私」という思考が存在から現れでた時だけ悲壮感が起こります。この悲壮感が現れることで「安物」を避けようとする動きが起こります。ですがその動きこそが不快感を起こすのです。安いものは気分が上がらない、高級品は気分が上がる????では原始人がタイムスリップしてそこに着いた際に本当にそこには差が生まれるのでしょうか????生まれませんね、つまりは思考がそうさせているのです。