人間とは夢遊病者のこと

人間は夢の中を必死に生きている

人間とは夢遊病者です。夢の中を生きています、そんなことはないはっきりと意識がある、、、その通りです、はっきりとした意識で夢を生きているです。夢を見ることを全力で行っているわけです。そしてその夢の中があまりにも居心地が悪いのでドラッグやお酒、タバコなどで脳を緩めこの夢から覚めることをしています。ですがこれもそれが切れればそれで終わり、そこからまた夢の中の住人に戻ります。

真面目な人も不真面目な人も夢の住人

真面目に見える人はこの夢の中で真面目に生活しています。不真面目に見える人は夢の中で不真面目に生きている、、ここに何も違いはありません。どちらも同じです。真実はこの夢の中にはなく、、この夢の中は居心地が悪いというだけです。真面目な人はなんとかしてこの居心地の悪さを解消しようともがいている人とも言えます。

夢遊病者を卒業する

ではどうしたら夢遊病を卒業することができるか??これが夢であると疑うことからスタートします、その視点で人間、自分というものを観察していきます。人間を自分という檻の中に閉じ込めているシステムを理解していきます。自分とは全体をこの体の中に閉じ込めこの体の外に居心地の悪さ解消を求める夢です。体の中に全体を閉じ込めておいて体の外に不快感解消を求めていく夢です。そこに真摯に向き合うことでこの夢が壊れてきます。

真理は信念ではない

信念の中に真実はない

真理は信念ではありません、信念こそが人間を人間たらしめている存在です。信念が今見える世界を構築します、そしてそこに人間は閉じ込められているのです。真理とはその信念による閉じ込め行為が嘘なのだということを露わにすることです。真理がこの信念のメカニズムを壊すのです。真理は信念ではないのです。過去の偉大な偉人たちが、、、生前に何かしらの信念を残していきますが、、、これはまだ真理に行き着いていない証拠なのです。

信念こそが我々をこの幻想の世界に閉じ込める

信念とは間違いなくその人の人生に基づいて打ち立てられます。その人が歩んできたことをベースに作り上げられていきます。これこそが実は見える世界、本質の世界の脳の解釈を構築します。脳がその信念をベースに本質のエネルギー、本質の世界を変化させるのです。本質のエネルギーはただそれだけです。それを信念が脳内で書き換えるのです、デフォルメします。

大きなことを成し遂げた人には信念がある

信念とはこの人間社会では大人が持つようなモノと称されます、ですが信念とはこの個人が確実に居てその個人が歩んできた人生が確実にあるという大誤解がベースになっているのです。ただしこの誤解が悪いということではありません、大誤解こそを真理がむしろやりたかったのですから。真理が大誤解のメカニズムを作り遊んでいるのが事実です。

苦しみの本質は真実ではないものを真実と思っていることから生まれる

苦しみとは回答結果

今苦しみがあるならば簡単、それは真実ではないことを信じている証拠です。苦しみとは真実が教えてくれる警報みたいなものです。真実ではないことを真剣に信じたり誤解することから生まれます。逆に言えば真実を理解できたら苦しみは湧いてこないのです。ではその真実は一体なんでしょうか、、真実とはこの個人という概念が概念に過ぎずそれが錯覚であることを見抜くことです。逆に言えばこの個人という存在を強く信じてれば信じるほどに苦しみは湧いてきます。自分を信じる、こんな綺麗な言葉が実は真実ではないのです。

世の中99.99999%の人は実はこの誤解を真剣に信じている

世の中のほとんどの人はこの誤解を完璧に信じています、ですから自分自身が今苦しいんだ、他の人は楽しそうだ。。。そういう孤独感に苛まれているなら安心してください、、、ほぼ全員が苦しんでいます。もしも今楽しいと思っている人がいればそれはその苦しみを上手く回避できているだけです。例えば夢中になれる対象や趣味、人が生まれた時などです。もしくは夢中になれる対象がたまたま続く時なのでしょう。ですがこれはラッキーでしかなく本質的な部分では常に不安を抱えています。なぜならば苦しみの根本原因を知らないからです。

苦しみから逃げるか、苦しみに向き合うか

苦しみから逃げ続けるのもよし、苦しみに立ち向かい苦しみを根本的に解消するのもよしです。私は昔から本質的に部分に入っていくのが好きなので常に戦ってきました、時には苦しみから完全に逃げてきた時期もありました。今は苦しみの本質に常に触れることを楽しんでいます。苦しみは湧いてくる場所、こここそが我々の本質です。本質は我々が誤解をしている期間はいつでも苦しみを湧き出してきます。

最後はテクノロジーが人間を解脱させるのか??

テクノロジーの進化が解脱を生み出す

マトリックスという映画の大成功、ポケモンGOなどのリアリティーを取り入れたゲーム、バーチャルリアリティー、グーグルグラス、、、、あらゆるテクノロジーが人間というシステム、脳が作り出している世界に類似した世界を作り出します。テクノロジーが脳の機能をまるで模倣しているかのようなゲーム、ソフトが日々誕生していきます。悟りの学びをしてきた人間からするとこれってもう答えだよね、、という驚きです。

今までも人間を驚異的に変えたのは技術

考えてみれば産業革命が起こり人間の生活は圧倒的に変わりました、そして次が今起こっているIT革命、そこからのAI革命、、恐らく今回の技術革新は人間を悟らせる、解脱させるとこまでいくのではないか???そんな感覚を強烈に覚えます。バシャールが言うにはテクノロジー改革はハイアーマインドの物質化とのこと、、これも理解できます。オーバーソウル、集合意識との繋がりが強固になってくるとそこから情報が降りてきます。自我という思考の分断が緩めば全体との繋がりが強固になります。IT革命は人間としての生活を大きく変えていきますから自我の緩みを生み出す可能性があります。

悟り、ノンデュアリティがYahooニュースに載る時代が来るかも

YOUTUBEの視聴回数などを見ていても悟り、ノンデュアリティに関する動画の再生数はそれほど多くはありません。まだまだ世間のこの分野に対しての理解は少ないようです。これからどれほど技術が進みこれらの分野に対する関心が増えていくかが楽しみです。

人間GOからの脱出

人間は人間GOから脱出できるのか???

ポケモンGOの良いところは飽きたら一瞬で辞めることができます、ですが人間GOは同じように辞めることができません。人間GOは飽きても、苦しくても、辛くても終わらせてくれません。これこそがこの人間GOの本当の恐ろしさです。人間は人間GOがしんど過ぎても、、死ぬのが怖いのです。これぞ八方塞がり、これぞ七転八倒、、、人間GOは本当に恐ろしいゲームです。

だが人間GOは見破ることができる

人間が人間GOを辞めることができないのは、、このゲームの仕組みを知らないからです。知らないから死ぬのが怖い、老後が怖い、人生が怖い、、、この順です。ですがこの人間GOの仕組みを理解してしまうと、、、我々は死ぬことができないことが理解できます。この体が死んでもこの意識、「私が在る」という絶対的意識は消えないことが腹落ちできます。人間GOを楽しくやるコツは人間GOのカラクリに気づいていくことです。カラクリの気づき方は百万通りあります。このブログもその一つです。

他人を見て人間GOを理解する

この人間GOの面白いところは、、、ゲームの中に同じような境遇の人間がたくさんいます、みんなこの人間GOをプレイしています。どんな人がこのゲームを楽しみ、苦しんでいるかが一目瞭然で見えます。ここはポケモンGOとは全く違うのです、ポケモンGOは敵しか出現しませんが人間GOは敵が実はいないのです。敵を作り出しているのは自分の価値観です。そう思えば人間GOは平和なゲームです。

人間GOの問題点

問題を解決しても満たされない

ポケモンGOにおいて最初のモンスターを倒したらもう満足、あとは何も倒したくない、、、こうなってしまったらゲームが成立しません。人間がポケモンGOを楽しむわけですが人間とは目の前のモンスターを倒してもお腹いっぱいにならない生物なのです。目の前のモンスターを倒したら次々に他を倒したい、、倒した快感は一瞬で過ぎ去ります。これが人間の面白さでありかつ大変さです。

人間GOでもこれは同じ

ポケモンGOをやる人間は次々にモンスターを倒したいという衝動があって成り立っています、このことに人間は気づきません。一体何匹のモンスターを倒せば気が済むのか???答えは何匹倒しても気が済まない、、倒すのに飽きるまでこれが続きます。お腹いっぱいになるからゲームを辞めるのではなくゲーム自体に飽きるから次に行くのです。これを人間G Oでもやります。人間GOも次々に目の前の問題を解決していきます。ですが一切お腹いっぱいにならないのです。

しょうがないから問題を無理くり作る

人間GOにおいてモンスターは出現しませんが、、お腹が一切満たされない人間は問題を無理くり作り出し、これを解決して生きていきます。友人グループによくある出来事ですが、、誰かを必ずヒールにします。あいつのあの行動は問題だ、、そしてそれをみんなで話題にして解決を図って遊んで行くのです。何人か人間が集まれば必ず誰かが問題児扱いされそれを話題にして解決を図ります。こんなことを職場でも家族でも芸能界でもやっています。モンスターの代わりに問題を創造するのです。その土台になっているのが価値観というプログラムです。

価値観(プログラムの集積)越しに世界を眺めるから問題(モンスター)が出現する

そろそろクライマックスになってきました。ポケモンGOではモンスターが分かりやすく出現することでそれを倒して人間はゲームに興じます。人間GOでは価値観というプログラムの集積が本質の世界を独自の世界に変化させ問題に映るように作り出すのです。そうです、価値観というフィルター(プログラム)が問題(モンスター)を創造するのです。何もないたった一つのエネルギーが人間の価値観(プログラム)にかかれば独自の世界、独自のモンスターを創造しそれを解決して一瞬お腹を満たしているのです。これが人間GOのネタバラシです。

ポケモンGO、人間GO

ポケモンGOは絶賛ネタバラシ

ポケモンGO、5年ぐらい前に大ヒットした任天堂のゲームです。スマホ越しにこのアプリを起動しますと、、、一般道、一般通路、私道、部屋の中、建物の中、、、リアルな現実の世界の中に、、モンスターが出現します。そしてそのモンスターをアプリの中で倒すのです。ゲーム業界の革命です。リアルな世界をゲーム化してしました。このリアルな世界のゲーム化、、、これこそが人間様が今絶賛やっていることです。このゲームは人間様が脳内でやっていることをまさかゲームとしてやってしまったのです。

人間GO

人間GOはゲーム内に出てくるキャラ(両親)が、、、あらゆる言語を、、、子供の脳に呼びかけることでインストールさせていきます。これはコップ、これはスプーン、これはおもちゃ、これは犬、これは猫、これは鳥、、、これを延々と行っていきます。これによって脳内に言葉がインストールされていき、、この言葉が、、、見える世界の中にその物体を作り出すのです。全体からそれを切り抜きます。日本語というプログラム言語です。ポケモンGOもエンジニアがモンスターを言語で作り出していきます。人間がやっていることと全く同じことをエンジニアはPC内で行っているのです。

人間GOその2

両親からあらゆる言語をインストールされた子供は生きる世界に名前がついた生物、植物、物体が出現していきます。川を眺めればそこにフナやコイ、金魚が現れ出すのです、それまではただ動く何かがあっただけです。名前を記憶することでそれが子供の世界に現れたのです。クワガタという名前を覚えることでクワガタが世界から切り抜かれ存在を認識します。カブトムシという名前を覚えることでカブトムシが子供の世界に切り抜かれ出現します。あらゆる登場キャラが揃ったところで、、小学校に入学しそこからはプロの先生がこれを引き継ぎます。

人間GOその3

名前を覚えることで子供が生きる世界にあらゆるキャラクターが登場し始めます。そして次にはそのキャラに対する解釈をインストールしていきます。背が高い、低い、太っている、痩せている、性別、年齢、暑い、寒い、、、これが陰陽・二元の世界です。言葉を覚えることでこの世界を解釈の世界にしていきます。そしてその解釈がまたこの見える世界を変化させていくのです。化させていきます。

人間GOその4

この世界にあらゆるキャラが登場しその解釈まで始まった人間はですが自身の言語、思考がこの世界を変えているということには気づきません。なぜならば大人すらも気づいていないからです。ということでこの延長線をひたすらに辿っていきます。マズローの欲求五段階を登っていきます、生存の欲求、所属の欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求、自己超越欲求、、、動物から人間に進化し、人間独自の進化を繰り返し、最終的には全体に戻るというゲームです。

視点が変わるだけ

PCとしてアプリ操作するかアプリとしてアプリを操作するか

我々はPC内のアプリとしてアプリを操作しているつもりになっている存在です。アプリがいきなりPC内で自由意志を持ち勝手に動き回りあらゆる体験をする(つもり)存在です。ですが実際にはアプリはアプリ単独で動けるわけがなくPCの機能に依存しているのは間違いありません、なぜならばアプリはPCの中のプログラム言語に過ぎないからです。アプリを紐解けば全部が全部プログマム言語でできています。そしてそのアプリに「私が全動作を行っている」という勘違い機能が付加されただけです。それが自分という意思を持ったアプリであり我々「人間」の真の姿です。

アプリは言語をインストールしていく

アプリはPC内で様々な経験をしていくわけですがその度に価値観が変わり、か情報も増えていきます。アプリ内のプログラム言語が増えかつ書き換わっていきます。これによりアプリから眺める全体(PC)の姿は確実に変化していきます。なぜならばアプリが見る世界とはプログラム言語で解釈された世界だからです。アプリとはプログラム言語のことでありそれが書き換わっているにも関わらず見える世界が同じということは絶対にありません。

自我=言語

つまり自我とはプログラム言語です。我々が覚える単語は全てプログラム言語なのです。そして我々が見ている世界はその言語、プログラム言語で形成された価値観(プログラムの集合)で眺められ解釈されています。真実を見ているつもりになっていますが実は全部が全部プログラム言語の解釈が加わっています。ポケモンGOというアプリがあります、、道を歩く際に スマホ越しに見ると、、、道の中にモンスターが出現します。実際は普通の道ですがそこにモンスターが登場します。これを我々はデフォルトでやっているのです。

アプリ独自からPCからのアプリへ

当たり前の話ですがPC内のアプリがPCの機能を使わずにアプリ単独で動けるわけがなくPCのOSから全ての機能でアプリは作動します。アプリを動かしているのはPCです。人間は悟りを開くと自身が実はPCだったという気づきが起こります。なぜならばアプリを起動させているのは事実としてPCだからです、何も不思議なことではありません。自分自身が独立分離した存在だという思い込みが(プログラム言語)そうさせていたことに気づきます。

最終的にはPCの中でアプリが起動していただけという気づき

アプリを動かしているのは機能的にはPCです。それは事実です。アプリはプログラム言語でしかなく機能のほとんどをPCに依存しています。人間も全く同じで人間独自で生きていると思い込まされています、本当はあらゆる機能を全体に依存しているのです。ですがその事実を気づかないようにプログラム言語が働いています。そして本当のことを言えばPCが自主的にアプリを起動させているのではなく操作するのが人間であるように、、、この人間を動かしているのは全体ですが(機能的には)全体が意思を持ってこの人間を操作しているのではなくただその動きが全体を通じて起こっているだけです。人間ー全体ー(操作する人)がいるわけではなく、、、、人間ー全体ー空という感じです。空からビッグバンが起こり、、その起こりを通じて人間はその中で起動しています。全てはビッグバンのごとく空からの爆発で起こっています。

空からの爆発=ビッグバン

ビッグバンとは宇宙の起源、爆発です。どこからこの爆発が起きたのか??空、THE ONE、絶対、無ということになります。ここからの爆発によってこの宇宙、色の世界、現象界、全体が起こりました、、、その延長線上で生命が生まれ、植物が生まれ、動物が生まれ、人間が生まれ、、、と進化は続いていきます。そしてその延長線上で人間は言語、記憶能力を身に付け、、人間が居る世界すらも作り出したのです。ポケモンGOの世界(現象界に独自の視点を加える)、人間GOの世界です。

思考の目的は気づかれずに同一化すること

いつの間にか考え込んでいる

思考は意識的に意識をジャックします。思考は意識をジャックすることで自我を存続させます。思考の動きに意識が意識的に観察すると思考は困ります。思考は無意識を狙って意識をジャックするのです。困ったことが起こった、、この隙を狙って思考は意識をジャックします。コロナで会社が大変だ、、この好きを狙って思考は意識をジャックします。思考のフル回転が続きます。友人から冷たい態度を取られた、、この瞬間を狙って思考は意識をジャックします。

意識は思考の手口を完全に把握する

意識は思考に対しどう対応すればいいのか???思考の手口を完璧に把握してしまうことです。思考は何かしらの事件を突いて必ず意識をジャックしようとしますから何があっても思考の動きに敏感になるべきです。思考の湧き出しを敏感に感じるようにします。万引き犯の動きに敏感になるコンビニの店長のように、、、思考の動き、無意識を突いた動きにしっかりと冷静に対応します。

思考の手口はいつも同じ

思考の手口はいつも同じです、、最初はさりげなく、、徐々に大胆に意識をジャックします。いつの間にか考えごとをしている、、そんな際には意識的にその敗北を認めてください、、思考にジャックされたなと、、そしてそこからは意識的に反復作業や、何かに熱中すること、五感を感じることに集中します。ラジオ体操など簡単な運動でもいいかもしれません。ほとんどの方は思考にジャックされてもそれを問題にもしないで常にジャックされ続けます。

PCの機能は全部プログラム言語で成り立つ

言語は言語ではない

人間は日常生活で使う言葉を無意識に使います、言語とは仕事やプライベートを円滑に進める道具だと思っています。ですが実際にはそんなモノではありません。言語とはこの世界を構築しているのです、この世界は実はあなたが使っている言語でできています、意味不明ですね。なぜならば、、、もしもあなたが言語を何も知らなかった場合、、、、全くの別世界に住んでいるからです。そんなはずはない、、、同じ人間が見る世界が、、異なるはずはない、、そう思っていますよね、、全然違うのです。実は我々はたった一つのエネルギーを言葉によってモノ化、者化しそれを見ているのです。例えば宇宙人が地球に降り立ち人間を見れば眼鏡は体から特出しているように見え、洋服は体の模様として移ります。そしてスマホは完全に体の一部、、、全く分離していないのです。靴を脱げば、、、足が取れたと驚くはずです。

価値観は、、、

それらの言語、そして自分としての積み重ねが、、、価値観として形成されるわけですが、、、これらは我々が世界を見る際に大きく影響します。例えばBMWを買いたいと思っていると街中にBMWが溢れてきます、ミニクーパーを買いたいと思うと街にミニクーパーが溢れます。ナイキの靴が欲しいと思うとナイキの靴が街で溢れます、、、つまり人間とは意識したモノしか視界には入っていないのです。価値観とはそのままその人の世界なのです。何に注目するかで視界に入る情報が全く変わってしまうのです。言語、そして言語で成り立つ価値観は、PCのプログラム言語と全く同じでPC内の環境を全く違うモノにします。

最後は言語を超える

悟りとはこの言語を超えた場所になります。言語は単純にこの大いなる一つ、まっさらなPC環境を独自の世界に変える力です。言語には半端ない力がありますがその言語を超えた場所こそが悟りです。見ている世界、構築されたシステムが言語、プログラミング言語で設計されていることを見抜くことが重要です。どの言語を選ぶか、どの言語で新しいシステムを構築するかに意識が向かっている間は人生ゲームのデザインに興味があるということです。これは悟りの本質ではありません。