幻想の「私」

消える???

幻想の私とは何でしょうか???幻想の私とはこれが夢だと分かった時に残ったこの自分です。夢だと分かってもそこに現れる私は間違いなく実在ではありません。夢だと分かった朝、それまでアメリカ旅行を夢の中でしていた私は確実に消えます。旅行中は100%存在していましたがその私はもう確実に存在しません。今これが夢だと分かったんです。その時もうかつての私は存在しません。

ですが

ですが会話はここでは今まで通り起こります。普通に起こります。その時この体の私が現れます。この体にはかつて自分が居たことは分かっています。ですから普通に自然に会話ができます。ですがこの会話が夢の中で起こっていることは分かっています。ですから会話相手の誰かも存在しないのです。勿論夢では居るように感じます、ですが夢とは居るように感じることが起こるのが夢です。そのことが分かっています。

夢だから

ここに雑踏があって多くの人々が存在するように見えます。感じます。それが夢です。ここでは私も存在するように感じます。それが夢です。ですが本当は夢ですから誰も存在しません。夢だと気づいたらもう誰も何も存在しないことが分かっています。ですがこの夢は続きます。目の前には相変わらずに様々な現れが続きます。

モチベーション

夢を夢と気づいたら何がモチベーションになりますか???この私を有名にしたい、この私を何者かにしたいという欲は消えます。夢ですから。夢とバレていますからそこへの情熱はない、ですがこういうことをしたらこの夢はどういう反応をするのだろう???という疑問はあります。楽しみはあります。そしてどんな反応が起こってそれは夢です。

渋谷駅

何???

渋谷駅とは何でしょうか??渋谷駅とは「あ、渋谷だ」という思考のことです。この思考が起こらない時渋谷駅は存在しません。タワービルだという認識が起こらない時そのビルは存在しないのです。原始人がタイムスリップして渋谷駅に着いた時彼らは「タワービル」も渋谷駅も、若者にも気づきません。なぜならばその認識が起こらないのです。居酒屋も、ファミレスもファッションビルにも気づきません。なぜならばその認識が起こりません。彼らの夢にはそれが現れないのです。

この夢

この夢はあなたは一人のものです。ですから現れた全ては気づかれるでしょう。実際に昨夜見た夢であなたは気づかなかったアイテムは存在しないはずです。全てに気づいたはずです。つまりあなたが気づいたアイテムだけが現れたのです。これが夢です。あなたは唯一無二の存在でありこの体も夢に現れた瞬間だけ認識されます。あなたは体を超え思考を超えた存在です。

どこで目覚めるか???

目覚めた瞬間、全ての知覚、現れに対して深刻さがなくなります。一瞬それを実在だという知覚が現れようとも直ぐに夢だという気づきが起こります。夢の中で現実という夢と夢という夢を行ったり来たりします。この状態は不思議な状態です。ですが答えはもう分かっていますから最終的には何が起ころうとも夢だと気づきます。夢という自覚の中で全ては起こります。

好きなタレント

会ったら???

大好きな大好きなタレントにあなたがいきなり飲み屋で会ったとしましょう。あなたはその人を夢の住人と思えますか???思えません。間違いなく興奮しファンです、と伝えます。その時あなたは手に汗を握りその人の存在を実在と信じます。それがエージェントスミスです。この夢を夢と気づかせない動きです。

弱み

エージェントスミスは必ず弱みを利用します。その人がお金に関心があれば金銭問題。異性に関心があれば異性問題。名誉に関心があれば名誉問題です。関心がそこになければ問題にはなりようがありません。ですから次々に問題という人参をスミスは垂らすのです。そしてこれを夢とは到底思えないという状況に導きます。

宝くじ3億円

もしもあなたが宝くじ3億円に当たったとしましょう。その時にこれを夢とは絶対に思いたくないはずです。半端ない興奮が襲うはずです。そうです。これが手口です。ですがこれを夢と見抜いたとき、夢の中で3億円をただ使います、楽しみます。あったらあったでいい、なければなければいいという状態になります。それを頭で考えてそう思うようにしよう、という話ではありません。これが夢だと分かってしまったらそうなります。

主要人物

今この私にとってかけがえのない人は実在ではありません。実在ではないも関わらず実在と信じる動きが起こります。これがエージェントスミスの罠です。実在しないのです、ですが実在するかのような存在になってしまうのです。夢を思い出してください、間違いなくそこにはその時に関心が高い人物が現れます。だから騙されます。分かります????関心が高いからこそ騙されるのです。その存在を嘘とは絶対に思えないから現れたのです。

ジャニーズ

ジャニーズファンにとって中居くんというのは確実に実在です。実在だからファンなんのです。実在しないと思っている人のファンになる人は居ません。ですからジャニーズファンにとって中居くんは実在なのです。ですがそれは事実ではありません。中居くんは夢の中に現れた空想、妄想です。実在はしないのです。だから今回の問題で困った中居くんも当然存在しません。だから気にしなくて大丈夫です。

ではどうやって生きればいいのですか???

全ては夢だと自覚してその上で夢を楽しめばいいのです。全ては夢だと分かったってこの夢は現れ続けますしこの私も現れます。会話中に私は現れるでしょう。それでいいのです。どうせ夢ですから何が現れたって深刻さはないのです。中居くんがここから1年間トラブルが続いてもそれも夢です。それでどう深刻に捉えますか???

この世界を憂う

小さい子供

公園で遊ぶ小さい子供はこの世界を憂いているでしょうか??いませんね。彼らは今ここにある遊具でただ遊びます。そしてそれを見守る母親はどうか???母親は世界を憂いていたりします。ではどちらが正しいのでしょうか????母親は子供よりも知識があるのだから世界を憂うのが正しいに決まっている???だとしたら世界とは憂うべきが正しいのでしょうか???

答え

では結論から入りますね。母親は間違った、勘違いの概念を吸収していき「世界を憂う」のが正しい態度と教わって真面目にしっかりとそれをしているのです。あくまで夢の中でのことですが。世界とはこうなのだから憂いて当然だと学びそうしたのです。ですがその学びの内容は全くの嘘ですからその憂う態度も間違っているのです。

フジテレビ問題

今フジテレビ問題がニュースで流れています。これをどう捉えればいいのでしょうか????古い体質の上場会社、世間では立派な会社ですらこんなものだから我々は酷い世界に死んでいるのだ。これが世間では正しい態度です。ですが残念ながら違います。そのニュースは私が関心を持ったから現れた夢です。その夢の内容には私の関心が大きく影響しています。夢です。夢の内容には個人の確信が影響するのです。

何も起こっていない

フジテレビ問題は夢です。夢ですから実際には何も起こっていません。ですが内容が夢として現れています。確実に現れています。この内容には個人が存在するという観念を含め記憶が大きく影響するのです。その内容は再び個人と個人以外の世界という催眠を生み出します。もしもこのフジテレビ問題を憂うのならばそれは催眠作用が働いているのです。夢の内容は催眠を促します。その夢の内容には個人が記者会見をし周囲から責め立てられるという個人ストーリーを起こします。この内容は個人という催眠を促すのです。

ですが

ですがこれは夢です。実際には記者会見で責め立てられる社長は存在しません。記者も存在しません。ただ個人と個人が存在するという内容がここで起こっていてその内容は催眠を促しています。このニュースを観てもそれもまた夢だ、、という気づきに至った時それはただの夢のエンタメになります。世界を憂うことも消えます。何が起こっていても全て夢です。

孤独

存在しない

神と神の夢しか存在しないのですから本来孤独など存在しません。孤独とはこの夢の中で孤独、という感覚が起こる時にのみ現れるのです。孤独は最初から存在などしません。動物は孤独など感じません。人間だけがこの世界に一人存在するのだという思考を生み出し、、孤独を作るのです。神の夢にのみ現れるのが孤独です。神の夢にも関わらずそれが忘れ去られ個人がこの世界を生きると確信した時「孤独」が起こるのです。

じゃあ

これが夢だと気づくまで「孤独」は絶対に消えないですよね???当然です。何をしても仲間を1万人作っても消えません。なぜならば孤独とは仲間が居ない状態ではなく世界とは分離した自分という夢こそが生み出すからです。1万人の仲間を作った「自分」は今も確実に世界とは分離しているという夢の中です。1万人も友人を作った揺るぎない存在の疑いようのない「自分」となり益々孤独になるのです。

成し遂げた「自分」

何かを成し遂げた自分は「この世界で偉業を成し遂げた」のですから「自分」は絶対的に確立されます。その時、神という感覚と自分という感覚のダブルスタンダードは強固になり違和感も増大します。起きている状態ではこのダブルスタンダードが強固になります。苦しいのです。ですからこの苦しみを解消しようとしてさらに偉業を達成しようとするのです。ですが動けば動くほどにこの自分という感覚は増えます。つまり催眠作用が起こります。苦しくなります。

夢の中の覚醒体験

みんな大好き

どんな体験で覚醒に至ったのですか????みんなみんな大好きです。どの体験をしたら覚醒に至るのでしょうか???どんな勉強をしたら100点取れるの???全く同じ発想です。因果の中で生きているのでこうなります。確信したいのです。「あのやり方をすれば悟れる」という確信が欲しいのです。その確信は新しい現象を生み出すことを知っていますから。ですが目覚めとは確信によって新しい現象を生み出すことではありません。その仕組みから目覚めるのです。

でも

でもだとしてもこの目覚めたいという欲望が起こってしまった以上どうしたらいいのですか???どうしたらいいか???という疑問が起こり、それに対して何かを俺がするから目覚めるというものではないという新しい気づきが起こります。気づくのは俺ではなくてこの気づきはそもそも神だったという突然の気づきが起こります。そしてこのメッセージは悟り本と呼ばれる本には既に書かれています。ですがこのメッセージは届きません。自分が全てやっているという催眠状態に入っている時、無視されます。

個人が気づくのではないというメッセージに気づくまで

悟るのは個人ではない、、、このメッセージに気づくまでこの迷走が続きます。ずっとメッセージは伝え続けています。個人ではなく神が気付いているのだと、、、同じです。ですが個人はひたすらに無視します。違います。個人が気付いているという確信が起こっている時、、ひたすらそのメッセージが無視されます。そのメッセージは実はどこにも落ちています。ですがなぜか無視されます。だから今こうして「どうしたら覚醒するのか???」という質問が起こる時も再びこのメッセージを伝えます。「気づくのは個人ではなく神なのだ」と。そしてこのメッセージに今気づくのも神です。無視して違うメッセージを求めたのも神です。

夢の住人

存在しない

夢の住人は実は夢の中でしか存在しません。夢の住人は夢ゆえにこの夢が消えれば全て消えます。ですがこの夢は消えません。なぜならばこの夢の創造主は神だからです。神はこの夢を辞めた、とはしません。神はこの夢を作り続けます。ですからこの主人公の私が消えてもまた夢が起こります。そして今この夢を見ているのは私ではなく神ですからこの夢自体は続くのです。主人公のこの体は消えます。ですが夢が消えることはありません。今も主人公は全くこの夢を見ていません。今も神がこの夢を見ます。

今ここで

今ここでどんな夢が起こっていてもいいのです。その夢を生み出したのは神ですから。誰一人この夢に責任を取れる人間などいません。人間は常に夢の中で見られるのです。神だけがこの夢を見ています。神だけがこの夢の傍観者です。神ゆえにこの夢は永遠に続けれます。だから心配しないでください。この体、この私が朽ち果てようともこの夢は続くのです。そしてその時もその夢を見るのは「神」です。

夢を変えたい

いやでも今この置かれている状況は辛いからこの夢の内容を変えたいんですけど。。。。そう思っていますよね、間違いなく。だとしたらまだこの夢を「私」が見ていると確信しているのです。だからもっとこうなればという欲が勝手に生み出されるのです。神が神自身が生み出す夢を見ているという自覚に入りますと映像に対する好き嫌いが消えていきます。

残酷????

これは夢です。東大に入るには血の滲むような努力が必要と確信すればこの夢はそうなります。自身が大天才であっても東大に受からないという現実が起こります。日本一の天才が東大に受からないという事実が生まれます。なぜならばこれは夢だからです。一方センター9割取れれば楽勝という確信を持てば天才でなくても受かります。なぜならばこれは夢だからです。これが夢である以上何でも起こります。因果を超えています。

安定収入がないと幸福になれないという夢

安定収入がなかったら幸福にはなれないという確信を持てばこの夢はそのように動きます。不安定収入者はこの夢では惨めに映ります。そして私は「やっぱり」と嘆くのです。ニュースでは不安定収入者が無惨な死を迎えます。孤独死、餓死、、など。「やっぱり」です。これは夢です、信じればそうなります。

努力????

じゃあじゃあ努力もしないで幸福になれるのですか???これは夢です。何でも起こります。努力しないと幸福になれないと固く信じれば努力しない人間はその夢で無惨な死を迎えます。そんな固定観念を持たない者の夢では全く違う夢が起こるのです。ですから完全に公平です。この夢は公平すぎるのです。この夢にはルールはないのです。ルールこそがこの夢の中でルール化します。ですから本来は何もルールはありません。

え?????

働かないといけない、結婚しないといけない、お金を払わなくてはいけない、、、全て夢ですか???そうです。そういう夢が起こったのです。全部確信が生み出した夢です。因果とはこの勝手に決まったルールに則ったものです。本当はそんなものはありません。時間すらないのです。空間すらないのです。夢ですから。夢の中には時間はないのですか???ありますよ、夢として。

なんでもないものがなんでもあるものに

無が有に

この世界は何でもないものが何でもあるものになったものです。最初は何でもないのです。何でもないものが何でもあるものとして現れます。ですがなぜ何でもないものが何でもあるものとして現れ気づかれたのでしょうか??それは我々の本質が何でもないものであり、かつ気づきだからです。だから何でもあるものとして現れた時それが気づかれるのです。

有は気づかれてこそ

テーブルがある、椅子がある、パソコンがある、カップがある、、この認識、知覚は気づかれてこそ成り立ちます。もしもその知覚が気づかれなかったらその知覚は存在しないのです。つまりこの有は無によって気づかれるからこそ存在します。有とは無という気づきによって気づかれる無なのです。つまり有とは無です。