怒り狂う

マリオゲーム

マリオゲームの際に友人のプレイが悪質で大喧嘩、、最終的には絶縁、、、、これ子供ならばあり得ますが大人の場合、、、あまり聞かない、、なぜ?????だってマリオゲームはマリオゲームであって、、そこまで本気になれません。なぜ本気になれない???だってだって実在しないから。なぜ日々現実と戦う大人が、、ゲームごときに本気になれるのか???という話です。

ゲームごとき、、、

ではこの現実世界、、、この超現実世界、、、は何でしょう????ゲームじゃないならば何????実在です!!!!リアルです!!!!そう確信する人をジニャーナヨーガは、、アジニャーニ(無知な人)と表現します。なぜリアルと言い切るのですか???なぜですか????だって周囲の賢い大人が口を揃えてそう言うのだから。。。。。その周囲の大人が、、、クッパ、ピーチ姫、ノコノコの可能性がありますよね、、、。。。そうです、、、もしもこれがゲームだとしてですよ、、、クッパ(賢い大人)が本当のことを言う保証はありますか???ないんです。

まさかの

まさかのまさかのこの現実と呼ばれるゲームの展開はあなたの固定観念が握るのです。あなたの固定観念イコール世界の模様です。クリエイターはあなたです。だからあなたが深く深くで思い込んでいる通りの世界が発展します。それだけです。自我OS=心です。いやいや、、、私はこんな複雑怪奇な政治事情を何も何も知りもしないですよ、、、、なぜ?????そうです、、、複雑化=心の様です。心が関心を向けた場所が複雑化するのです。心とは、、無限性をそこに表すのです。なぜ????なぜならば「真の心」=無限=真我だからです。

常に眠った状態

全てが夢ならば

現実があって夢があって熟睡があって、、この現実だけが実在、、、これが一般的認識です。ですがこの現実はこの粗大な体が主人公の夢です。精神的体が主人公の場合は一般の夢見です。つまり夢が二つに熟睡が一つです。これを三つの状態と言います。えええええ?????夢二つに、、熟睡一つじゃ、、、全部眠ってんじゃん!!!!そうです。その通りです。全部眠った状態です。起きる時はいつ?????ありません。。。え??????ないんです、起きる時は。。。。。

回答

いつもいつも眠った状態ってヤバくないですか?????そうです。やばいんです。。。。。というよりも、、、現れる現象は、、幻影、幻であって、、それが不在が熟睡で、、、、我々の本質はこの現象を支える土台(真我)です。これに気づくことを「目覚め」と言います。つまり目覚めるとは、、、この三つの状態が、、、自我の産物に過ぎないと気づくことなのです。自我というプログラムが生み出す膨大なプログラムが現象であって、、それはプログラムゆえに実在しないということです。

基盤

パソコンがなかったらプログラムを組んでもそれを映像にすることができません。そのパソコン本体こそが我々真我です。そしてディスプレイに現れた映像がこの世界です。内部OSが心です。画像が現れたり消えたりはしますが、、その画像は、、、、実在とは呼べません。これに気づくことを悟り、目覚め、真我実現と言います。パソコン本体にとっては映像はただの、、映像に過ぎず、、OSのアウトプットに過ぎないのです。世界とは自我OSによるアウトプットに過ぎません。

結節

自我

自我とは結節とも呼ばれます。何かと何かの繋ぎ目です。では何と何の繋ぎ目か?????それは真我と体の繋ぎ目です。真我という唯一無二の実在と、この粗大な体を繋ぎ合わせるもの、同一視するものが自我です。「真我=体」この=を司るのが自我です。ではこれは本当でしょうか???本当ではあり得ないですね。真我は唯一無二であり、、、つまり何かと=であるわけがないのです。真我=真我、、これだけが正解です。真我=体となってしまったら、、真我はその時点で真我ではなく、、、この世界は瞬時に崩壊します。

真我

真我は真我でしかないことから、、真我=全部、、、これならば正解です。真我=世界、、はどうですか???これは違います。世界とは全てではないからです。真我=真我(絶対的意識・気づき+世界)これならば正解です。真我は形あるのもではないので、、真我=体という形あるもの、、は不正解です。自我はこのように全く違う真我と体を結節、結び目として現れました。ですが事実ではないので、、、そこから現れる自我を取り巻くプログラムは全て間違っていることになります。だから自我OSプログラムによって生み出される世界も問題だらけになります。

それでいい

自我が作り出す方程式(真我=体)が完全に間違っていることから、、それを土台にした全思考(プログラム)は間違いです。よってそれによって反映された世界もまた間違いです。だからこの世界は問題だらけなのですが、、、それでいいのです。なぜ?????問題だらけの世界がなぜ問題だらけなのか???それを「私」が考えるからです。そして問題だらけの世界の根本原因にいつか気づくことになります。「私」こそが問題だったと。

無知に無知

多くの方々は無知に無知な状態です。無知であることに無自覚です。ですが悟りの勉強をする方は自身が大前提で無知であることには気づいています。既に成功者です。無知を自覚した方は、、無知を叡智(ジニャーナ)に切り替えるだけですから。叡智とは何か???叡智=真我です。真我を知るとは無知を根絶することです。無知が根絶された時、、自我(結節)は滅び、、真我だけが残ります。

平和

自然な状態

平和こそが我々の自然な状態です。平和でない状態は、、、真我が平和ではなくなったのではなく、、幻想の苦しみが起こっているだけです。平和という自然の状態の上に、、苦しみという自我OS活動が起こった時のみ苦しみます。そして自我OS活動が休止したら、、平和が再び起こるのです。平和が平和ではなくなるとことは決してなく、、平和の中に、、苦しみという現象が自我OS活動を通じて起こるのです。だから苦しみは目覚め、夢見の状態以外では絶対に起こりません。

自我

自我という精妙なプログラムが起こる以前にプラーダプタ(因縁)、、サンスカラーラ(過去世のデータ)、ヴァーサナー(過去世のデータによる癖)と呼ばれるさらに精妙なプログラム(心)が存在し、、、そこから自我は現れ続けます。この根っこの根絶こそが真我実現、サマーディと呼ばれる状態です。この根っこが根絶されない限り自我エゴは現れ続け、自我OS活動(心)が起こり世界が映す出されます。ですがこの真実に目覚めたとき、、自我が現れようが、、エゴが現れようが、、自我OS活動が起ころうとも、、それに気づく真我として、、自我超越体験を楽しむのです。マリオを画面外で楽しみまくる子供と同じです。

無自覚

目覚め、夢見、眠りの三つの状態が、、、真我の上に現れでる現象に過ぎないという気づきに至った時、、、途端に、、、全現象への関心が消えて行きます。なぜならばこれまでは目覚めた世界、目覚めて現れる世界を実在と勘違いしていただけなのですから。これらは実在ではなく真我の上に現れた自我OS活動です。自我OS活動の中に幸福があるわけがなく、、そこに関心が向くはずがないのです。我々がずっと探し求めていた幸福はまさかの世界の土台だったのですから。上の中をもがき苦しもうとも、、意味がないのは明白です。

マリオが先?プログラムが先???

日本最大のスター

日本人で最大の有名人は大谷翔平ではありません。井上尚弥でもない。マリオです。マリオの方が100%有名です。その誰もが知っているマリオ、、このマリオは、、、TV画面上に現れますが、、、プログラムが先ですか???映像が先ですか???生まれたのはどっちが先ですか????簡単です、、プログラムです。プログラムが先でマリオが後です。。。プログラムなしにマリオは100%誕生できません。マリオの生みの親は誰かは知りませんが任天堂という会社のゲームクリエイターによってプログラムされてから誕生したのは間違いないです。

では、、、

この世界はTV画面上の3D映像です。ならば、、、この世界の登場人物で、、プログラムされていないにも関わらず登場できる存在は存在しますか???????不可能ですね。。。。そうです、、、、全て最初にプログラムがあるのです。この世界が登場できるのは「私」というプログラムが最初に起動し、、自我OSが稼働し、、、世界が画面上にガツンと起こるのです。ですから我々の世界はプログラムのことです。世界中が知っているマリオはプログラムです。ですが子供は「マリオ!!!!」と叫び、プログラムとは言わないのです。

この世界がプログラム????

そんなこと学校で、、、習ってないけど!!!!!そうです、習うわけがないのです。だってこの世界を生み出したのは過去世が脈々と続く記憶(プログラム)のデータベースだからです。だから朝起きればしっかりとそれが起動して世界をあっという間に作るのです。蜘蛛が朝巣を作り出して夕方には回収するように、、人間も朝世界を立ち上げて夜回収します。その姿を見ることが不可能だから、、知らないのです。パソコンボタンを押すとディスプレに画面が立ち上がるように自我が起動ボタンになって世界が立ち上がります。

波に自由意志??????

構造上不可能

波に自由意志はあるか????この波は今は伊豆半島だが、、明日は向きを変えて、、北海道沖に向かうかも???ないですね。。。ないんです。。。。なぜ????だって波は人間が勝手に海の一部をくり抜いて、、「波」と呼んでるに過ぎず、、海にとってはそんなものはないからです。実際には海にとって「波」というパーツなど存在すらしないのです。そして海に自由意志がないのだから当然波にもないのです。

では、、、、

本題に映ります。我々は真我にとっての波です。真我という唯一無二の実在があって、、我々はその影です。影に自由意志があるには、、真我に自由意志が絶対になくてはなりません。ところが、、真我はまさかの不動です。動きも変化もしないのです。ゆえに、、、、事実では自由意志は100%存在しません。ですが影は動くし変化します。。。つまり我々は、、海がまるで動きもしないにも関わらず動くように見える「波」なんです。どんなに波が動いているように見えても海自体が「不動」ならば波の動きは蜃気楼です。我々の動きは蜃気楼として動いていえるのであって事実では何も動いてさえいないのです。我々は蜃気楼の動きの部分です。

つまり

この体は動きはしますが蜃気楼として動きます。そしてそのことを動いたという心の動きが伴うのです。これも蜃気楼の動きです。蜃気楼の動きを見て「生まれた」と表現し、蜃気楼は衰退して「死んだ」と言うのです。これも蜃気楼の動きです。思考を含める全ての動き、動きの全てが蜃気楼、影の動きだということです。自我プログラムが発動(影)すれば自由意志という感覚は100%起こりはしますがこの起こりも影、蜃気楼の動きです。「私」という感覚の動きも蜃気楼、影の動きです。海、真我が不動で「波、人間」が実在として動くというのは不可能なのです。

波の次元、人間の次元

波の次元、人間の次元ではガンガン動くし、ガンガン自由意志は働きます、全て動きです。ですが大元の「海」「真我」が不動ならばその動きは完全に別次元の話なのです。海、真我は知っています、、、何も動いてさえいないと。。。真我の影が太陽の光で動きまくり、、その「動き」を自由意志だ!!!とする動き(影)がさらに起こります。私が存在するぞ!!という影の動きも起こります。それを前提とした世界(影)が起こります。何でもかんでも起こりはしますが、、全て影の動きです。

表現不能

波を使って海を現す

波とは海の表現です。その波を使って海を表現することは可能でしょうか???世界中の波をかき集めても海を正確に現すことはできません。金細工を使って金を説明することはできますか???これぞ金!!!という説明を金細工を使ってできるでしょうか???不可能です。真我とは言葉を超えた存在です。言葉を超えた存在を言葉を使って現すには限界があります。

最後は感じるしかない

「ハタヨーガをすると呼吸が制御されて心が落ち着くんです」と宣えば、、、なぜですか???と聞かれても、、、、とにかくやってみてください、、、としか言いようがありません。心が落ち浮いた状態を言葉で説明するのは不可能です。心が落ち着くというのは体験でしか味わえないのですから。つまり真我も「体験」でしか味わえないのです。ですが我々は実は毎日真我を体験しています。それが熟睡、眠りの状態です。

熟睡とは何か???

熟睡の感覚って、、言葉で伝えれますか???不可能です。熟睡は、、、言葉を超えています。それを言い表せる言葉がないのです。眠りに落ちる方法も全く同じです、、眠り方を正確に言葉で伝えることはできません。思考で考えてこうすれば確実に寝れる、、はないわけです。言葉の完全停止が眠りですから。

外は悲惨

幸福

人間とは幸福を外に求める生き物です。幸福って、、友人がたくさんいて、信頼できる奥さんが居て、愛すべき子供がいて、、、それさえあれば、、あとは何も要らない、、、、こうやって各々が幸福を外に外に求めます。そこに関心が向かいます、、、ですがその関心の先には複雑化が起こり、、それに苦しむのです。心とは多様性であり、、そこに関心を向ければそれが拡大し複雑化するのです。ですから外に幸福を求める限りその関心分野で苦しむことになっています。

株さえ上昇すれば

他のものは何も要らない、、株さえ上昇してくれればいいんです。。。そう思えば株式市場が複雑化して右往左往するのです。仕事さえ上手くいけば、、、パートナーさえ上手く付き合えれば、、、その関心こそが拡大複雑化し、問題となるのです。外の世界とは、、、もう諦めた、、、そうなるまで問題を起こし続けます。外の世界の役割とはまさにそれです。関心を内側に向けさせるために、、、外側の世界は常に問題だらけなのです。

ならば、、、

外側の何かで幸福になるのはさっさと諦め、、、内側で幸せになることを覚悟決めてください。内側にしか幸福はないという事実を潔く認めるのです。真我以外に幸福は存在しません、真我しかないのですから。。。外側の世界を実在と勘違いしている期間は、、、外側に幸福を求めますが、、、全部間違っています。外側の対象であなたを幸福にできるものは一つもありません。早くそこに気づくのです。真我=幸福であり、、真我以外が存在しないのです。

海と波

次元が違う

海にとって波は海の一部です。波にとって海は何でしょうか???波の本体です。波が荒れ狂った時、、海に何か影響しますか????海にダメージを与えることができる波はありますか???そんな波は存在しません。なぜならば波自体が海だからです。波というのは実は存在せず、、海が表す表現でしかありません。波とは海の表現です。表現は海自体に影響を与えません。波の様子が今日は違ったからその影響を受けて海は変化したということは起こり得ないのです。

海から波を取り除く

海から波だけを取り除くことはできますか???できませんね、、なぜならば「波」という実在が存在しないからです。「これが波だ」という実在がないのです。この世界とはまさに真我にとっての波なのです。真我の中に現れた「波」です。波がなくても真我は存在しますが、、波がなくても真我は存在できます。世界とは真我の表現なのです。実体のない表現です。完全な無風状態で、、波は消えますが、、海は消えません。ではその波はどこに行ったのか????どこに行きはしません。海が波という表現を辞めただけです。

この世界

本題に行きます。世界は真我が現したり消したりする表現です。そしてその表現に自我という表現が関わります。自我という表現が最初に起こって、、その表現が表現を呼び、最終的にこの世界として表現されたのです。表現の連鎖です。最初の波(表現)が「私」です。次の表現が私の世界(表現)です。一つ波が起こると次の波を起こすように波が広がっています。固定観念とは自我が起こす表現が固定化されたものです。この波がそのまま世界という波(表現)になるのです。

眠り

眠りの時はこの自我が起こす表現が休止した状態です。波(世界)が一切起こっていない状態です。するとまさかの海(真我)は至福でしかないので、、至福そのものになってしまうのです。熟睡中が至福なのはそのためです。ですが再び自我(波)が起こり固定観念(波)が起こり、、世界が現れます。自我OS(波)の表現が起こるのです。ですから自由意志というのは存在できません。波の連鎖に全く関係のない動きを起こすことが不可能なのです。海の中に周囲とは全く異なった波の動きは作り出せないのです。

宇宙で唯一のTV

誰が見る????

あなたの部屋にテレビがあるとしましょう。。TVを観ることができるのは誰ですか???誰がテレビを観ることができますか????「あなた」だけですね。テーブルはテレビを見れず、コップもテレビを見れず、カーテンもテレビを観れませんから、、唯一観ることができるのは「あなた」のみです。では、、、、宇宙にTVしか存在しない時、、、誰がテレビを観れますか????この唯一のTVは誰が観ることができます???誰も居ないのですからそのテレビを見ることができる人は「ゼロ」です。つまりそのテレビで流れる画像は誰にも観られません。

では、、、

絶対に絶対にこのテレビの画像を見ることは不可能にも関わらず、、、画像の視覚が現れてしまったら、、どうしましょう。。。。。。突然画像が現れてしまった、、、、、そしてこの宇宙にはテレビしか存在しない、、、起こってはいけないことが起こっています。画像が突然現れたとしたらですよ、、、、誰がこの画像を観ているのですか?????人間は絶対に存在できません。。。。。答えを言いましょう、、、TV 本体です。TV本体しかこの画像を見ることは不可能です。

今ここ

本題に移りますね、、今あなたの目の前にその「画像」が現れています。宇宙で唯一の画像です。この画像以外が宇宙には存在しないのです。はい、、、では誰がこの画像を観ているんですか????あなたの体では絶対にないですよ、、、だって体は画像の中ですから、、、、。。。。そうです、、、この画像はテレビ本体が観ているのです。この画像を観ているのは本体です。つまり「あなた」は体ではなくテレビ本体です。そしてこの画像は付いたり消えたりします。画像の中身が夢に変わったりします。

本体

テレビ本体はこの画像の中で何が起ころうとも、、何も影響を受けません。受けることができないのです。だからここでどんな争いが起ころうとも、、何もあなた(本体)は影響を受けません。あなたが夢の中で、、ハワイに行こうとも、、目覚めれば一瞬でハワイは消え、日本が現れます。そして眠りに入ればその日本は消えます。そしてこの本体のあなたは一言も発せず、何も思わず、何も感じず、、、ただ「在る」のです。ただ「見る」のです。