次元が違う
海にとって波は海の一部です。波にとって海は何でしょうか???波の本体です。波が荒れ狂った時、、海に何か影響しますか????海にダメージを与えることができる波はありますか???そんな波は存在しません。なぜならば波自体が海だからです。波というのは実は存在せず、、海が表す表現でしかありません。波とは海の表現です。表現は海自体に影響を与えません。波の様子が今日は違ったからその影響を受けて海は変化したということは起こり得ないのです。
海から波を取り除く
海から波だけを取り除くことはできますか???できませんね、、なぜならば「波」という実在が存在しないからです。「これが波だ」という実在がないのです。この世界とはまさに真我にとっての波なのです。真我の中に現れた「波」です。波がなくても真我は存在しますが、、波がなくても真我は存在できます。世界とは真我の表現なのです。実体のない表現です。完全な無風状態で、、波は消えますが、、海は消えません。ではその波はどこに行ったのか????どこに行きはしません。海が波という表現を辞めただけです。
この世界
本題に行きます。世界は真我が現したり消したりする表現です。そしてその表現に自我という表現が関わります。自我という表現が最初に起こって、、その表現が表現を呼び、最終的にこの世界として表現されたのです。表現の連鎖です。最初の波(表現)が「私」です。次の表現が私の世界(表現)です。一つ波が起こると次の波を起こすように波が広がっています。固定観念とは自我が起こす表現が固定化されたものです。この波がそのまま世界という波(表現)になるのです。
眠り
眠りの時はこの自我が起こす表現が休止した状態です。波(世界)が一切起こっていない状態です。するとまさかの海(真我)は至福でしかないので、、至福そのものになってしまうのです。熟睡中が至福なのはそのためです。ですが再び自我(波)が起こり固定観念(波)が起こり、、世界が現れます。自我OS(波)の表現が起こるのです。ですから自由意志というのは存在できません。波の連鎖に全く関係のない動きを起こすことが不可能なのです。海の中に周囲とは全く異なった波の動きは作り出せないのです。