中国語

何一つ認識が起こらない

私のマンション横には中国語学校があり毎日生徒さん先生の言葉が聞こえてきますが、、何も認識が起こらない。。。さっぱり内容が理解できません。言葉とはとんでもないもので、、意味を覚えるとそのままに「認識」が起こるんです。これを多くの方は無自覚です。40人の生徒の前で作文を披露します、すると40人に認識が起こります。40人それぞれの認識が起こります。つまり言葉とはそのままに全員に認識を起こさせるのです。

私は居る

「私は居る」この言葉を唱えればそのままに認識が起こります。この言葉こそが認識を生み出すのです。この言葉の意味を知らなければ認識が起こりません。私という言葉と居るという言葉が合わさって認識が起こるのです。「私が居る」という事実はこの世界には全くありません、この言葉が起こった瞬間にその認識だけが起こります。だからこの世界には私は絶対に居ないのです。この言葉が起こった時のみ認識が起こります。

太郎も次郎も、三郎も

太郎という人間も、次郎も、三郎も、、、その言葉が起こった時だけその認識が起こります。その言葉が起こるまではその認識は起こっていないのです。だからそもそも誰も居ないのです。その言葉が生まれその言葉の認識が起こった瞬間にこの世界にその認識だけが起こるのです。だから今もこの世界には誰も居ません。言葉が生まれた瞬間だけその認識が生まれます。

私が居るという思い込み

起これば起こる

私って居ますよ、だって認識がありますから。。。。違うんです。「太郎ちゃんが壊した」という思い込みが起こった瞬間にその認識は起こるんです。「私が居る」という思い込みが起こった瞬間にその認識が起こるのです。あなたが居るという思い込みが起こった瞬間にその認識が起こるのです。その認識があるから私が居るのではなく、その思い込みが認識を起こすのです。

私がコーヒーを飲みました

コーヒーを飲む時「私」という感覚など存在しません。ですが飲み終わった直後に「私が飲んだ」という思い込みが起こり、、それによってその認識が起こったのです。思考を多くの方は理解していません。思考とはそれが起こるとそのままに認識されるのです。世界の王である私がコーヒーを飲んだという思考が起こると、、そのままに認識されるのです。

読み上げているのは誰だ?????

私がそもそも居るんではないのです「世界の王」が「私はこの体だ」と読み上げた瞬間「私はこの体だ」という認識が問答無用で起こるのです。「世界の王」が「私は〇〇○男だ」と読み上げた瞬間問答無用でその認識が起こります。「世界の王」が「私は世界一のサッカー選手だ」と読み上げた瞬間問答無用でその認識が起こるのです。認識があるから「私はこの体だ」は真実なんではないんです。その言葉が現れた時そう認識されるのです。我々は周囲の呼び掛け反応によってその言葉を起こし認識が起こるようになってしまったのです。

無我

実は

芸術家は無我に入って作品を作り上げます。完全な無我、、その状態で作った作品は「周囲」から評価をされる。。周囲が「無我」で作った作品に評価を下すことができるのは「周囲」はただの自動反応だからです。つまり評価を下していない。ただ反応を起こしているだけです。自身は無我に入って作品作りをし良い作品を作り上げます。ですがここで本当は無我に入ることを決める自我は存在しません。つまり勝手に入り勝手に評価を受け「私が無我に入って作った作品なんです」という思考が勝手に起こったのです。

どこにも自我が居ませんよ

昨日は本当に集中して無我に入れ「良い作品」を作れました。昨日は良いコンディションでした。。。いやいや本当は無我に入ることができる自我は存在しません。行動をコントロールできる自分は居ないからです。つまり勝手にそこに入ったのです。評価を受けて「日々無我に入って作品を作りたいと思います」という返答が起こりますが、、それも勝手に起こるのです。

集中できない人

何かに集中できない人は「一人一人の顔色」を伺っています。1作品ごとに、、課題者に対してただ反応を起こしているのです。テクニックで個別対応を起こすのです。個別対応をする時、、相手には確実に自我があってそれを満足させようとする動きが起こります。「自由意思」ありきの動きです。

無我しかない

本当は本当は無我しかありません。この世界は無我であり、、、その中に「自由意志がある自分が居る」という思考がただひたすらに起こるのです。その認識が起こった時だけ自分が現れます、自由意思が現れます。ですが自我も自由意志もないのでこれは思考の中のみで現れるのです。実際にはないが「あるという思い込み」のみが起こるのです。

イチロー

分かりやすい

イチロー選手は「自我の説明」を分かり易く解説しやすい一人です。彼は小学生時代から自主練自主練自主練の鬼です。自主練をしっかりやっていれば「結果」はでることに早くから気づきます。「周囲は関係ない」「自分がやるべきことをやると」「結果」が出ることに気づきます。結果とは何か??????反応です、、、、自分がやるべきことをやると「良い反応」が出るのです。つまりこれは化学反応でしかないということです。反応を起こすか起こさないかに「周囲は無抵抗」であるということです。つまり周囲には反応を起こすか起こさないかの自由意志はなく「全てこちらに委ねられている」という気づきです。これ悟りです。完全に悟りです。彼は小学生時代にこれに気づいたのです。

自分がやるべきとをやればいいんです

チームメイトがどうであろうと対戦相手がどうであろうとも「ただ淡々とやるべきことをやれば」結果(化学反応)は起こる、、という悟りを開いたのです。周囲には反応をどう起こすかを決める自由意志がないことを見抜きました。と同時にこの体には「究極の自由意志」がありこれをどう使うかに全てはかかっている、、だから自分が大切になるのです。彼はこのスタイルで大リーグ記録を打ち立てたのです。

しかし

同時に彼はインタビュアーやチームメイトの行動にも厳しいという矛盾点を持っています。「周囲は反応でしかない」ことを野球を通じて悟ったにも関わらず、、、インタビュアーやチームメイトの練習態度に厳しいのです。これ矛盾です。周囲には自由意志はないのですから勝手に勝手にそれが起こるのです。彼の言論からは「しっかりと各々に自由意思がある」という意味の発言が多くみられます。

なぜならば

「究極の自由意志を所有した自分」という存在を認識しながら、、、周囲には「自由意志はない」は思えない。ここが矛盾です。結果を出す時「周囲は反応でしかない」ことを悟り練習に打ち込むが、そこを離れれば「完全な自由意思を持った人々」として付き合うのです。苦しい世界に逆戻りです。

本当は

誰にも自由意志はなくさらにイチロー選手にも自由意志はありません。イチロー選手のバッティングに周囲は反応ししそれが結果になり、、その結果がイチロー選手に影響し彼の中でただ反応が起こるのです。その反応の一つが「俺には自由意志はありし周囲にもある、、だから全員が自己責任だ」です。この思考は勝手に勝手に起こる時「苦しみ」が起こります。

自我肥大

イチロー選手の体の中には「自由意思を使い倒す俺と俺よりも使い倒せない周囲の自我」という認識が起こっていたはずです。その場合野球では結果を出せるがストレスも多いとなるのです。チームメイトにも記者にもストレスが溜まるのはこの認識ゆえです。ですが本当は「イチロー選手にも周囲にも誰にも自由意志は存在しない」です。この認識まで起こるようになりますと練習にも打ち込める、、さらに結果に対して自分を責めることも周囲を責めることもないという新たな境地に入ります。

これさえしていれば

誰でもある

玄米食、朝のウォーキング、足裏マッサージ、天然水、人によって勝利のパターンってあります。その勝利のパターンに入れますと結果が出ます。欲しかった結果が手に入ります。順調に結果が出続けさらにその習慣が板につきます。これって実は「周囲はただの反応でこちらの内部環境に反応しているだけ」という悟りの初期段階です。ルーティン、ルーティン、ルーティン、、、です。

この気づきは人生を大きく大きく発展させます。成功者と呼ばれる人は多かれ少なかれこのルーティンを持っているはずです。なぜルーティン、マイルールに固執するか????それは周囲の顔色を伺わずに結果が出るのが早いからです。ですから成功者の多くはマイペースです。マイペースとは一種の悟りなんです。周囲はただの自動反応であることを見抜いたのです。ですがそこには罠が潜んでいます。

俺は見抜いた、お前らは見抜いていない

私はある時見抜いたんです。「これさえやり続けれれば成功できると、、周囲は皆右往左往し行動がふらついている。その点俺は無我になって結果を出し続ける凄い人間だ」とエゴが大きく大きく膨らんでいくのです。周囲の無我には気づいたにも関わらず自身の中に大きな勘違いが生まれました。マイ自由意志半端ない!!!です。すると苦しくなります、分離感が半端ない、違和感が半端ない、、です。

ここにも自由意志はなかった

周囲はただの自動反応で自由意志と呼べるようなものはない、、ここの気づきは完璧です。ですがこの体この体にはハッキリと超優秀な自我が残っています。自由意志を行使し結果を出し続ける自我をハッキリとイメージするのです。周囲からはいつの間にか「嫌な奴」というレッテルが自動反応で起こります。本当は半分悟っているのに、、逆にエゴは拡大拡張です。そこに救いの神「私にも自由意志はなかった」です。ないのです本当は、、ただ周囲からの外部刺激に「この体」は内部反応を起こしていただけなのです。

途中

外部刺激に対して突然「周囲ってただの反応だろ」という気づきが起こりました。これが最初の悟りです。一気に楽になる、、全く周囲にエネルギーを注がなくていい。。。楽チン、楽チン、結果も出まくり、、です。ところが気づいたらエゴ拡大、、苦しい苦しいに逆戻りです。。。評価はされるんです、、でも苦しいんです。最後の気づきが内部環境「この体」に起こります。。。この体の中もただの反応だった、、全く自由意志なしに全ては起こっている、、、だからもう「自分」のことも何もきにしなくていい、です。これまでも周囲には気を使わない感覚は手に入れた、、これからはこの「自分」にも気を使わなくていい、、が分かります。気づきます、悟ります。

悟り

「成功者ほど悟りの道は遠い」多くの覚者がこう曰うのは「自由意志をフル発揮した自分」が強烈に強烈に強いからです。だから「あなたなんて居ないんです」というメッセージには拒絶反応です。ですが実は本当は周囲には「自由意志」がないことを悟っているからここまできたんです。じゃあ自分だけ自由意志あるっておかしくないですか?????なぜ自分だけ特別なんでしょうか?????気づきます、ここから気づくんです。最後の悟りが起こりますよ。

自由意志はないから諦めろ????

ではない

友人が最近「財布からお金を盗む」んです。これも相手には自由意志はないから許すしかないんですよね、諦める以外にありませんよね?????全く違います、自由意志がないから諦める許すべき、、、というのは全然違うんです。自由意志がないという前提で「お金を盗む友人」に冷静に対処するということです。ハッキリと「辞めて」と伝える、警察に連絡する、学校に連絡する、相手の両親に連絡する、などなど。。。最も適切な対処をします。そしてここ最重要ポイント、、その行為が「平和」の中で行われるのです。

保健所に連絡する

隣のドーベルマンが毎日毎日吠えつづえて、、怖いんです。ですが当たり前ですがドーベルマンにもそれをコントロールできる「誰か」は存在しない。。。。だから「平和」の中で保健所に連絡する、飼い主に連絡する、、が起こるのです。そして飼い主が無視を決め込んだところで「そこにも自由意志はない」のですから「平和」の中で「保健所」に連絡する、、、が起こります。

平和の中で

全てが「平和の中で」行われていきます。喧嘩も注意も争いも全部が全部平和の中で行われていきます。平和に思おうという認識の中でではありません。その気づきが起こると、、、全く憎めない全く責めれないが起こるんです。だって自由意志がないのですから。。。だから逆に冷静に冷静に動けます、対処ができます。

浮気

女性は厳しい

浮気、、それだけは許せない、、、女性の多くはこういいます、、それ以外は許せても浮気は許せないと。どんな理由があろうともそれだけは許せない。そのことをとやかく言うつもりは全くありません。「浮気だけは許せない、そのような思考が女性の体を通じて勝手に起こる」のですから。ですがなぜ???そのような思考が起こるのでしょうか????

女性は弱い立場

歴史上女性は長い期間「男性に支配」されて生きてきました。男性に頼らないでは生きていけない時代が長く続きました。だから男性に捨てられたら終わり、、、この根強い危機感が体に備わっていると思います。だから「私を裏切った」と強く強く感じることができる「浮気」に生命の危機を感じるのだと思います。「他の女性に行く」=「私を捨てて行く」です。

自由意思

真実だけを言えば浮気する男性の行動に自由意志はありません。その行動を制御する自由意志がないのです。いやいや一生浮気をせず奥さんだけを大切にする「男性」も沢山いますよ、、、そうです、、そういう行為が起こる男性も当然居ます。そしてそれが起こらない男性も当然居るんです。制御が起こるか起こらないかは完全自動です。「だから全部許せ」ということではありません、真実ではそうなっているその上で「判断」が起こればいいのです。「自由意志なく浮気をした男」として判断すればいいのです、、つまりこれからも自由意志なく浮気はあるかもしれない、ないかもしれない、、、が答えです。その上でどうするか???です。そしてその判断も勝手に起こります。

クズ

価値観

クズと呼ばれる行為とは何か??????「本当の自己中」です。自分のこと以外何も何も考えていない行為、、これをクズと呼ばれます。自分さえ良ければいい。です。人間業界では勿論これをやられしまうと周囲は迷惑をするのですから「疎まられて」当然でしょう。ですが全く新しい真実の視点でこれを解説します。クズ行為をコントロールできる「誰か」は居ない、これです。そのクズ中のクズ行為、自己中の自己中行為を誰がコントロールしているのでしょうか?????居ないんです。だとしたらそのクズ中のクズ行為は勝手に勝手に自然現象として起こっている、だけとなります。

分かっている

周囲からしたらこれってクズ行為だよね!!!!!分かっているんです、実は、、、、でも辞められない。。。そしてそのことに悩んでしまったら病気になってしまう、、だから気にしないようにしよう!!!!これがクズ行為者の深層心理です。分かっているんです、でも辞められない、、だから悩まない。。。その様子を周囲はさらに「クズ」と呼びます。自然現象である以上、これが無くなるほうがおかしいのです。

クズ以外しか居ない世界

クズが全員全員消滅し全員がクズじゃなくなってしまうとしましょう。。。。。生き易いですか?????全く生き易くないですよ、、、、だって「クズじゃない」ことを拠り所に生きている人の土台が崩れますから。みんながみんな奉仕の精神に溢れってキツくないですか??????私はキツいです。だから有難いんです、他称「クズ」と呼ばれる人が存在するのは。

自己責任

この世界を生き辛くしているのは「クズ」の存在ではなく「体の中にそれをコントロールする存在」が居るという大大大勘違いです。これです、、これがあるから、、、苦しくなります。これがあるから半端なく首を締め付け合っているのです。なぜ????なぜ???そんなことをしたんだ????この問い掛けが重い重いルールとなって締め付けているのです。だから人は「クズ」行為に敏感なんです、、俺はやらないがあいつはやったと。

世知辛い世の中やなー

という思考が起こっているだけ

「世知辛い世の中やなー」という認識を持つオッサンの横で「半端なく可能性にあふれた世界やなー」と認識する少女が居ます。。。オッサンは『この少女は今はまだ何も知らないから「純粋無垢」で居られるんやでー』と上から目線で思うでしょう。。。ですがですが全く違います。オッサンの認識も少女の認識も「勝手に起こった」だけです。そういう世界が最初にあって「それを指し示した」のではなく「その認識」だけが起こったのです。「最初にある世界」は全く全く存在しません。

確認

経済不況経済不況経済不況と唱えられた世界で、、、、本当にあなたの見える世界で「食べれない」は起こったでしょうか????本当にあなたの世界で「給料未払い」は起こりましたか????本当にあなたの世界で「餓死者」は現れましたか????起こっていないはずです。。大切なのは「実感」なのです。目の前、、、ここで起こっていないことを信じることは自由ですが「それは信仰」ですよ。

世界は全く貧しくない

本当のことを言ってしまえばこの世界は「完全完璧の存在」の鏡に映った姿であり、、、人間様が思っているような貧しい貧しい世界では全くないのです。人間様が「貧しい世界よのー」と判断することは勿論可能ですがなぜそのような判断が可能かと言えばこの世界がそれほど豊かだからです。要は完璧な勘違いを起こせるほど豊かだということです。「豊か」を人間様は食べ物が溢れ物質で溢れることを「想像」しますが、、「本当の豊か」とは全く違います。

二元性を指し示す思考

それを否定する思考

悟り系の書籍、ノンデュアリティ メッセージとは『「二元性を指し示す思考」を否定する思考』です。この中にはこれしか存在しません。「私が居てあなたが居る」と「思って」いるはずですが、、、本当は居ません(否定)。自分で全部コントロールしているつもりでも実はしていません(二元性の否定)これらの文章を全部丸暗記しようとも「二元性を指し示す思考」が現れ続ければ何も変わりはしません。

お経のように

お経のように「二元性を否定する思考」を唱え続けようとも、、、二元性を指し示す思考が起こり続ければ「苦しみ」が減ることは決してありません。重要なことは二元性を指し示す思考が現れたその時そこに「気づく」が起こることです。これ全く違います。180度違います。天と地の違いです。ノンデュアリティのメッセージをお経のように24時間唱えても「苦しみ」は全く変わりません。

実感実感実感

「俺が今の行動を決めた」っていう思考が今起こったぞ、、この瞬時の気づきが現れ始めますと、、世界が変わり始めます。重りが見えないところで減っていきます。焦りが減っていきます。?????大丈夫か?????全然不安じゃないけど、、、、が起こります。何を周囲はこれごど深刻に生きているんだ、、が起こります。実感として「お気楽」になっていくのです。それまで何をそんなに深刻に捉えていたんだっけ????が起こります。