個人的実体と悟りは共存できない

ニサルガダッタ・マハラジ

マハラジは「個人」と悟りは共存できないと説きます。霊的探究に成功してきたと自覚する女性に対して「あなたが成し遂げたその全てを失うことが悟りである」と説きます。主体の欠落、行為者の欠落こそが悟りです。ですから悟りを成し遂げた個人というのは不可能であり、、、多くの探究者はその矛盾に気づきません。では行為者が居ないにも関わらずなぜ勘違いを起こすことが可能なのでしょうか?????それはその思考を信じたからです。

どうやって信じるの??????

思考とはイメージです、、、思考がそのままに認識されればそのイメージが認識されます。そのイメージがまさに起こるのです。「私は悟りました」という言葉の認識はそのままにイメージ化されます。ただそれが起こっているのです。ですがそのイメージこそが苦しみを作り出しますから今まさに苦しんでいるのです。だからそれは悟りではない、、となります。

直感的認識

マハラジ曰く「そのことの直感的認識」が起こる時、、苦しみがなくなっていくと説きます。個人が成し遂げた、個人が成功した、、、それが苦しみを生み出す幻想に過ぎないことに気づいた時、、、苦しみがなくなります。それは誰に起こるのか???????誰にではなく、、ただ直感的認識として起こるのです。

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