夢の中、夢の外

あなた

あなたは今どこに居るのでしょうか???もしもあなたがこの現実と呼ばれる世界の中に住んでいるならば、というか多くの方は間違いなくそう信じてますが、、、仮にこれが夢だとしたら夢が消えれば、、、あなたも消えます。なぜならば夢の中に居るのですから。これが夢だとしたらあなたは絶対にこの夢の外に存在しなくてはならないのです。

夜の夢

夜の夢を見ている時、、その夢を見ているあなたは間違いなく夢の外に居ますね。だから夢から覚めてもあなたは存在しています。夢が消えたらあなたも消えた、、こんな経験はないはずです。分かってきましたか???つまり夢とはあなたの存在を脅かす存在ではなく夢こそが消えては現れ、、あなたは不変なのです。あなたは夢の現れに一切影響を受けないのです。

この現実

この現実で何が起ころうともあなたという存在は一切影響を受けません。この体のあなたは影響を受けますが本当のあなたは微塵も影響を受けないのです。この体も夢の一部でありこの体は不便よりも便利、不快よりも快適な方が良いでしょう。ですがそれも夢の一部です。快不快も夢、不便便利もまた夢です。

夢から覚める

夜の夢が夢だったと気づくのは夢の中ではありません。朝目が覚めた瞬間「夢だった」と気づくのです。ですがそれが夢だったと気づけるということは「夢という存在が存在する」ことに気づけます。この現実が仮に夢だとしてもそれは夢の中では気づけないのですから、、だからこそこれは夢だと気づけるのです。夢から覚めることができないからこそこれは夢なのです。

絶対に消えないこと夢

この夢は消えません。絶対に消えません。なぜならばこの夢は「神の生き写し」だからです。神が鏡の前に立った時に現れる姿がこれです。これは消えません。これが夢化して今ここに現れています。神の生き写しがなぜ夢なのか???それはこの生き写しが人間という存在を利用したものだからです。人間は言語を操りあらゆる知覚を生み出すのです。これは人間の絶対的特徴です。人間だけが夢の中でハワイ旅行に行けます。人間ストーリーが夢として現れるのです。人間とはこの夢を見るために現れた現象です。

自由意志があるなら

大谷翔平

自由意志があるならば大谷翔平と全く同じトレーニングをプロ選手は全員取り組めるはずです。にも関わらず誰も同じトレーニングができません。お酒も飲むし、暴飲暴食もしちゃうし、トレーニングもしっかりと休みます。確実にこれ自由意志がないのです。自由意志があるならば全員が成績優秀者です。なぜって勉強を毎日4時間すればいいのですから。つまり自由意志がないからできないのです。ゲームしたりTVを観たりしちゃうのです。

ないないない

これさえやれば儲かるのは分かっている、、、そうです。できないのです。自由意志がないから。同じような曲を出せば儲かるのは分かっているんです、でも出来ない。そうです。できません。つまり自由意志がないのです。本当は全員が分かっています。ですがこの世界で何かを成し遂げた人は「自由意志」があることにした方が都合が良いのです。だって自身が優秀だと言い切れるじゃないですか????だから自由意思があることにしたのです。

ボーナス

あいつは自由意志でしっかりと勤勉に働いている、、、だからボーナスを多くしよう!!!!これ自由意志がないとなったら難しいのです。自由意志で勤勉に働いていることにしなかったら個人を特別視してボーナスを渡せない。資本主義ではなぜ富の格差を許すかと言えば自由意志をどう使うかは個人に委ねられているということにしたからです。だから年収1億円も居れば何十万円も居る、、そしてそれを法律が保証します。

本当は自由意志がないにも関わらず、、、

この資本主義世界では自由意志があるということにして法律が組み立てられ、、成り立っています。ですが本当は自由意志はないのです。これはパラドックスです。国家政府は自由意志がないとは絶対に言えません。犯罪者の処遇に困ります。富の格差を許せなくなります。このメッセージがマジョリティに届くことはまずないでしょう。この夢の中でそのような流れになることは考えにくいものです。ですが同時にこれは夢ですからもしかしたら大変化があっても不思議ではありません。

夢の巧妙

それが分かって???

夢なのは分かりました。それで何があるんですか???目覚めて何がメリットがあるのですか???これ圧倒的に多い質問です。結論から入ります。夢と分かって深刻に捉えれることありますか???夢って分かって何を深刻に捉えることができるのでしょうか????夜の夢で自分が末期癌になった、、でも目覚めてそれが夢だと分かった、、、、さて目覚めた後に末期癌について悩めるでしょうか???悩めません。夢ということはそれは存在しないという意味です。

ですが実際にはこの体は続きます

この体でもしも末期癌になればそれが仮に夢だろうと末期癌は末期癌です。何も深刻さは変わりません。違うんです。これが夢だと分かってしまったら末期癌だ!!!というこの感覚は夢を見る存在から起こっていることに気づくのです。これに気づいたのは自分ではなく神です。そして神はこの体の所有者ではないのです。つまりこの体が末期癌になろうと、、神は何一つ傷つきはしない、、これが真実です。

そうかもしれないが、、

そうかもしれない、、でもこの体が朽ち果てるのは間違いなく事実です。だからそれは辛いのでは????勿論です。それが楽しいことは全くありません。ですが末期癌でこの体が朽ち果てても、、神である私は何一つ失わないという真実に気づくと、、この体に対する執着は著しく消えて行きます。この体でのこの夢が消えるのです。ただそれだけです。

じゃあこの体が消えても何も問題がない???

神である私は何も失いません。何もです。なぜならばこの体は夢であり夢ということは実体が全くないのです。夢の中のお金????それも実体がないのです。勿論それはこの夢の中では使えます。使えはしますがそれで潤うのはこの体でありこの夢を見ている神とは全く関係がないのです。神にとってはこのお金は完全に幻想であり、ただお金を手にした自分という夢が起こるのです。その時幸福感らしきものが起こりますがそれは実はお金を追いかけていた自分が消えたからです。これを幸福と勘違いするのです。つまり体の死とは究極の幸福でもあるのです。

夢と夢

朝起きたらまた夢

我々は夜は夜で夢を見て朝は朝で夢を見ます。実は全く同じ夢です。そして夢を見ているが本当の自分です。夢の中では誰かに普通に話しかけられます。その結果反応します。その反応する誰かは夢の中の主人公です。この主人公とは別に本当の自分が夢を見ます。我々は夢を見ているのが「この体の私」だと勘違いしています。ですがそれは違います。夢を見ている存在は夢の中には存在できません。なぜならば夢が消えてもその存在は絶対に消えないからです。

つまり

映画を見るとき見ている存在は映画の中には絶対に存在しません。だからこそ映画が消えても見ている存在は残ります。この夢も全く同じです。夢は消えても見ていた存在は消えません。この体が消えても絶対に消えない存在こそが我々の本質です。夜見る夢が消えても絶対に消えない存在が我々の本質です。

では

では、、、この体を操っているのは誰でしょうか???主人公である私です。主人公の私がこの体を操ります。実はこの説明は嘘です。実はこの体は勝手に勝手に操られています。本当は誰もこの体を管理などしていません。ただ思考が現れ感情が現れ行動が現れているのです。そのことを自覚していないだけです。この体の動き、思考の動き、感情の動きには主体が居るはずだという思考があるのでそう思っているだけです。

夢と夢を行ったり来たりしているだけ

これは夢です。夢と夜の夢が存在します。夢が終わると夜の夢が起こります。そこに熟睡が入ります。また夢が起こります。目覚めるという夢が起こります。何をしているのでしょうか????ただ夢が続くだけです。夢が切り替わるだけです。記憶が生み出す継続的な夢と記憶が断片的な夢が交互に起こります。そしてこの夢を見ている存在は全く同じでありそれはこの夢の中には存在しません。それが神と呼ばれる存在です。

神はこの夢を見る

神はただこの夢を見ています。それが私です。この夢の主人公は見られる側です。だから主人公は現れては消えるのです。夢が切り替われば主人公も変わります。この主人公の動きは実は全自動です。そのことは自覚すれば直ぐに分かってしまいます。そして神がそれを見ています。そして神がこの夢の創造主です。つまり私こそがこの夢を創造しこの夢を見るのです。

自由意志がないのは困る

自我

自分とは自由意志を使ってこの体を守っていることになっていたから価値がありました。にも関わらず自由意志がないという事実はこの大前提を覆します。根底から覆します。つまり自我が存在しないに等しいということにしてしまうのです。自我はこれを受け入れ難いのです。ですからこの世界では自由意志がないという事実はタブーです。これは自分を抹殺するに等しいからです。

自分は死んだ

自由意志がないことを認めた自我は自殺をしました。この体を自由意志で守っていることになっていたから自分はこの世界の王だったのです。にも関わらず自由意志はなかったのです。実は実は自由意志で仕事をしていなかったのです。つまり何もしていなかった、、ただの呼称だったのです。では思考とは何のか???これはチャットGTPのようにただ最適解が湧いているのです。

最適解が湧いてきてそれを「私」が考えたと嘯く

最適解はここでは勝手に自然に何の努力もなく出現します。それを自分がやっていると嘯くのです。これは嘘です。構造上の嘘です。事実ではありません。事実では全て勝手に現れます。今から1ヶ月何も思考しないでいたら1億円プレゼントします、、こう言われて、、、、誰が達成できますか????1億ですよ、、、、つまり自由意思など存在しないのです。

自分というのが自由意志を持っているならば

思考を止めることなど絶対にできるはずです。できないのです。1億円貰えると分かっていてもできないのです。不可能です。つまり自由意志など一切なく勝手にチャットGTPのように湧くのは事実なのです。ですがこれを認めてしまったら自分は何か????という究極の問いに入らなくてはならなくなります。社会の根底が崩れます。法律が崩壊します。

ここから自分が消えてしまったら

どうなりますか???当然周囲にも自分が消えます。何が残ります???ただの映像です。移り変わる映像です。これは神から現れる映像です。神と映像だけが起こります。そこに思考は現れますがこれも勝手に現れるのですから映像みたいなものです。感情も勝手に現れますがそれも映像みたいなものです。神と現れしか存在しません。そしてそれに神が気付くのです。

神と現れしかない

事実を突き詰めていきますとここには神と神の現れしかないことが分かります。自分も世界も存在せずただ神と神の現れだけが存在するのです。これが事実です。この現れの中で自分という感覚が現れ世界という現れが起こり夢が起こっていたのです。ですが原料を確認すれば神と神の現れ以外は何も存在しません。私も世界も存在しないのは明白です。私とは現れだったのです。世界とはこの現れだったのです。この現れは現れては消える幻想です。

夢の活用方法

マントラ

これが夢だと気づけば「ありがとう」「ついてる」「楽しい」などのマントラが使えることにも気づきます。これは夢です。ですから夢の中で「ありがとう」と呟けば次にはそれに関する出来事が起こりやすくなります。これは夢です。何となく分かりますよね。楽しいと呟けば、、次は何が??となります。するとその何かが起こるのです。

ハッピードリーム

これが夢だと気づけばできれば楽しい夢が見たいものです。そうなったら「辛い」「苦しい」「悲しい」「地獄」のような言葉は吐かないことです。何が???となり次にその内容が現れるのです。その内容はイメージだろうと現実と呼ばれる夢だろうと同じことです。だって同じ夢ですから。現実と呼ばれるこの夢も頭の中のイメージも同じ夢です。同じです。

妄想

じゃあ一日中楽しいことを妄想すればいいんじゃないですか????そうです。その通りです。まさに同じ夢ですから妄想でいいですよね。。ではなぜ人は楽しい妄想を続けないのでしょうか????ここ最重要ポイントです。楽しい妄想もまさかの苦しいのです。楽しい妄想には必ず自分が存在しますねよ????この自分という存在が登場すること自体が苦しいのです。

では????

じゃあ実際にこの現実と呼ばれる夢で、、、成功しても同じでは????その通りです。全く同じです。妄想とこの現実は同じです。ん?????じゃあ成功者は苦しいのですか????当然です。だってそこには自分という存在が妄想されてます。同じなんです。妄想での成功もこの現実と呼ばれる夢も、、、自分が現れれば苦しいのです。

そこから

悟りに入ります。目覚めに入ります。つまり夢の中でも妄想でもこの現実でも成功は苦しいのです。幸福と呼ばれる状況は苦しいのです。それは妄想でも空想でも現実でも実証されます。その時この夢から覚めるしかない、、という気づきに入るのです。これが夢である以上覚める以外にないのです。夢の中では至福には至れないのです。

どうやって目覚めるの???

なぜ妄想でも夜の夢でもこの現実でも自分は苦しいのでしょうか???それは自分という存在自体の意味がこの世界とは分離した自分だからです。つまり自分という登場自体が苦しみを生み出すのです。この自分という感覚は同時に世界という存在を証明します。本当はこれは夢で夢の中に分離はあり得ません。夢はそのままで夢だからです。夢には実際には何も存在しません。夢とはそれを証明することです。だから朝目覚めて「昨日の夢で出会ったあの人は咳き込んでいたが大丈夫だろうか???」とはなりません。存在しないことが証明されたからです。

苦しいことが証明

成功しても地獄でも同じように苦しいのです。なぜならばこれを夢と見破らない限り自分が現れてしまします。自分という存在こそが苦しみを生み出すのですからこのゲームは終了がありません。だから夜の夢でも妄想でも苦しみます。この苦しいということがこれが夢で自分なんて存在しない証拠なのです。そして夢だと分かれば自分が現れても苦しくありません。自分が登場しても世界が登場しません。世界とは夢であることが見抜かれています。

自分とは世界を生み出す道具だった

自分とは世界を生み出す道具だったのです。自分とは世界の中を生き抜く存在です。自分が現れれば世界も同時に現れます。ではこれが夢だと見抜かれた場合どうなるか????自分が現れても世界が現れません。だから自分も自然に消えます。「自分ー世界」システムが現れても消えていくのです。「自分ー世界」システムが苦しみを生み出し、、その苦しみこそがこれが嘘であることを証明します。本当は神と神の夢しか存在しないのでそこには苦しみが生まれないのです。にも関わらず苦しみが生まれるのは「自分ー世界」システムが発動するからです。これは苦しみを生み出す妄想です。

苦しいからこそ夢

神はここに神の投影を表します。それだけです。この時点では何も苦しみはありません。神が居てその神の鏡に映った姿が現れます。そこに苦しみは起こりません。ですがなぜかここに苦しみが起こっています。今まさに苦しみが起こっています。なぜ???それは夢が起こったからです。夢化です。自分という存在が現れる夢がここで記憶によって起こったから苦しいのです。苦しみが起こっているからこそこれは夢なのです。

自分が現れたとて

本性が暴かれている

本性が暴かれますと自分という感覚が現れようと現れまいとどちらでもいいという状態になります。なぜならば自分という感覚は本当の私ではないことがはっきりと分かっているからです。その上で自分という感覚は起こります。自分という感覚が起ころうと起こらまいと本当の自分にとっては全く関係ないのです。そしてその中で自分という感覚が起これば苦しみも起こりますが既にそれはパニックではないのです。

実は

実は自分という感覚が現れた時に苦しみが起こるわけですがそれがパニックだったのです。誰も教えてくれないのですから。自分という感覚が起こるとなぜ苦しみが起こるのか???全く分からないままに人生が進みます。進みはしますがひたすらにパニックです。ということでそれ戦いが終わります。本当の自分の発見は自我の出現問題を終焉させます。

自分はそれでも現れる

自分という思考感覚はそれでも現れます。慣性の法則で現れます。ですがそれでいいのです。本当の自分の存在に気づきながら現れる私はもう苦しみを伴いません。私という現れはパニックにはならないのです。テーブルが現れることと同じでそれは勝手に自然に現れるのです。それだけです。それ以上でもなく以下でもなく太陽が現れるように自分も現れます。

自分が現れることができる理由

自分が現れることができるのは本当の自分が存在するからです。そこから投影として現れます。そしてなぜ自分という感覚は気づかれるのか???それは本質が気づきだからです。自分という勘違いの感覚が存在できること自体が本当の自分、真我の存在を絶対的にするのです。つまり自分とは本当の自分の現れに過ぎず、だからこそ存在を気づいてもらえるのです。

自分が現れるからこそ

自分が現れるからこそ本当の自分の存在が露になります。その存在が存在しなくては自分なんて感覚は存在できないのです。自分という感覚が登場し気づかれるこの仕組みこそが本当の自分が絶対に存在する理由です。だから自分という感覚が戻ってきたからこそ本当の自分が露になるのです。全ては気づきの対象であり気づかれる対象は絶対的に真我ではないのです。なぜならば真我に気づかれてしまっているからです。

理解とは何???

このブログの内容

理解とは何でしょうか???目覚めについての理解はどこで起こっているのでしょうか???気づきが起こります。突然の気づきです。これって夢じゃん、ですがこの思考での理解が起こる前に気づきが起こっています。その気づきから「思考の気づき」が現れとして起こります。言語化が起こる前に気づきが起こりその後に言語化での気づきという現れが起こりそれも気づかれるのです。

つまり

覚者の本を暗記しても無駄なのはそれは思考での理解ではないからです。東大生が悟り本を読めば文章としては理解できます。楽勝でしょう。ですが何かが変わるのでしょうか???恐らく何も変わりません。つまりこの理解は気づきから自然と現れなくては意味がないのです。これは完全に実感の世界です。実感を伴う気づきが起こった後に言葉での理解が起こります。

ではこのメッセージに意味はあるのか???

勿論あります。究極の存在を概念として理解することは重要です。ですが同時に概念として理解するだけでは真の癒しには辿り着かないことを実感することも重要です。つまり概念として理解しそれがどういうことか実感し次に進むのです。理解が進んでいきますと本のメッセージがどこから現れているか気づきます。そのメッセージが真我、神、絶対的存在から起こっていることが分かるのです。

私はあれ、私はこれ

いつの日か

生まれてまもない時「私はこれ」という感覚など全く出現していません。全くです。いつの間にか「私はこれ」という感覚が生まれたのです。いつの間にかです。それまでは全く出現などしていません。この夢が出現しいつの間にかその感覚が生まれたのです。にも関わらず我々はこの感覚を絶対的なものにし、私と世界は絶対的な存在とみなすのです。そんなものは無かったのです。

最初

世界と私は確実に存在するがそれには気づく能力がなかった、、そう思考します。その思考が湧きます。その感覚すらも出現したのです。にも関わらずそれにも気づきません。本当は世界という感覚と私という感覚が起こっただけです。にも関わらずその感覚が起こったのはそれが存在するからだという思考が起こるのです。夢の中ではっきりとラーメンを味わます、味がするのだから確実にラーメンは存在するという夢です。

本当は

本当は感覚だけが起こるのです。五感が起こり思考感覚が起こります。感情感覚が起こります。それだけです。世界が存在するはずだというのは思考感覚です。世界とは思考感覚のことです。私も思考感覚です。これは私のものというのは思考感覚です。あれは私のものというのは思考感覚です。それがただなんでもないものから起こります。それだけです。夢はなんでもないところから起こります。夢の原料は何でもないものです。

奇跡

それが分かると我々は常に奇跡の中に居ることが分かります。何が起こってもそれは感覚です。感覚に過ぎないのです。それが何でもないところから起こります。そしてそのことに気づくことで常にこの現れをなんでもないものとして気づくのです。何でもないものは何が現れても気づきです。変化しません。何でもないものは現れによって気づきが鈍ることがないのです。現れに対する気づき能力は何も変わりません。

絶対に変わらないもの

ここで核戦争が起こるとしましょう、何が起こってもそれは気づかれます。ここで映画が上映された時それも何も変わらずに気づかれます。めちゃくちゃ退屈な映画だとしましょう。それもしっかりと気づかれます。そうです。気づきには衰えるということがありません。老人は絶対に衰えているではないか????いやいや気づきは絶対に衰えないのです。この体が衰えたということも気づきます。変化は平等に均一に気づかれています。

何でもないものは気づきのこと

何でもないものは気づきのことです。なんでもないものから様々なあらゆるものが現れますがそれは全て気づかれます。あらゆるものの原料は何でもないものですからそれは同時に何でもないのです。そのことに気づいた時、ここでもあらゆる理解が現象として起こります。そして愛の中に包まれていきます。なんでもないものは愛なのです。あらゆるものも当然愛です。ですがあらゆる思考感覚が起こることでその愛が消されてしまっているのです。

継続したい夢

夜の夢

夜夢を見ている時それが夢だと気づけますか???不可能ですね。なぜでしょうか???なぜ不可能なのでしょうか???それは次々に関心のある登場人物が連続で出現するからです。これ気づけます???例えば異性に関心があれば連続して異性が現れ続けます。お金に関心があれば連続してお金のチャンスが起こります。友人に関心があれば連続して友人にまつわるトラブルなどが起こります。こうして「私」は夢の夢中になり夢だと気づけないのです。

??????

あれ???この現実も全く同じなの分かります???仕事に関心が向けば就職情報誌が現れて転職活動が現れ会社が現れます。お金に関心があればお金のまつわる話が現れ、誰かを紹介されて投資話を聞けます。何が違うのでしょうか???何も変わりません。この世界も関心が向く世界が広がっていきます。あれ????じゃあこの世界も夢だと気づかれないように次々に関心が広がるだけ???そうです。この夢も全く同じメカニズムで関心が広がるのです。

確かに

今日あの店に行こう!!!そう関心を持たないでどうやってその店は現れれるでしょうか???不可能です。あの店に関心が現れ次にその店が現れます。つまり関心が次の夢を表すのです。そして関心あるアイテム、人物が現れ続けるからこれが夢だと気づけません。そのことに気づいたら分かります????関心を目覚めに向けるのです。関心を目覚めに向ければ目覚めに関する情報が現れるのです。関心という武器を利用するのです、目覚めに。

なるほど!!!!

そうです。関心が夢を生み出します。ならば悟り、目覚めに関心を向ければそれが広がります。ですがそれはフェイクの関心では無駄です。関心とは本音です。故に関心は実は選べません。つまり放っておいても同じです。ですが今あなたはこのメッセージに触れています。ということはあなたは確実に目覚めに関心があるのです。ですから目覚めに関する世界が広がっていきます。

夢を継続させるための人物

株に関心があれば株は乱高低しあなたを株という夢に夢中にさせます。異性に関心を持てばそこでトラブルが発生しあなたを夢中にさせます。名誉に関心を持てばそこでトラブルが発生し夢中にさせます。家族に関心があればそこでトラブルが発生しそこに夢中にさせられます。夢中とはまさに夢の中に埋没させるテクニックです。関心が夢中化を生むのです。

それが分かってしまえば、、、

つまりネットニュースはあなたをこの夢に埋没させるために次々にニュースを生み出します。その仕掛けが分かってしまえばもうニュースへの関心は消えます。そして目覚めへと関心がシフトします。目覚めに関心が向くと夢は「目覚めた私の物語」を創作しさらに夢に止めようとします。目覚めた暁には大衆が押し寄せて私を担ぎ上げグルとしての人生が始まるのだ、、という更なる夢です。これが夢のテクニックです。夢のサバイバルです。

それもまた夢

そこまで分かってしまいますともうこの夢の中で何かを成し遂げることに関心が向かなくなります。この夢は覚めるために存在するのだ、、、だからただ覚めればいいという境地です。夢から覚めた「私」は夢の中であれを達成するぞ!!!はおかしいのです。夢と見抜かれた夢はもう力を失います。そして夢と見抜かれた夢はただそのままで安らげます。もうこの夢の中で何かを成し遂げなくていいのです。