真実を指し示す言葉??????

真実は実感

真実を指し示す言葉とは「騙し絵の老婆を示す言葉」と全く同じです。騙し絵の中には老婆が100%存在しますが、、、、それを言葉で言い表すのがどれほど難しいのか??????ということです。もしも言葉を暗記して、、老婆とは「こうこうこういう人だ」と語っても全くの無駄です。それはイメージであって全く実感ではないのですから。老婆は実感するものであってイメージするものではないのです。

注意点

悟り、ノンデュアリティ、非二元に関する書籍には「老婆の情報」が再三に渡って語られていますから、、、、、そのイメージを強く強く鮮明に描き、、、これぞ老婆だ!!!!!!これぞ悟りだ!!!!!と思い込むことが可能です。「老婆」のイメージ、「悟り」のイメージをまさに徹底的に打ち壊し、、、実感に落としていくのです。

そのために書籍はある

悟りとは圧倒的実感です。イメージではありません。騙し絵には老婆が隠れているらしい、その老婆は目が大きく鼻は切れ長で、口はひん曲がり、、顎はシャープで、、らしいよ、、、、、もっともっと詳細な説明をしてくれているらしい本があるから今度紹介するよ!!!!!!、、、、、これじゃないんです。悟りとはこうでああで、、あんな感じで、、、こうらしいよ、、、この本はそれをかなり詳細に詳細に語っているから今度貸すね!!!!!、、、、、じゃないんです。実感できる老婆を探すんです、、実感できる悟りを探します。

老婆

イメージ???????

これは騙し絵です。。。この中には美女が見えますね、、、そして実は老婆が居ます!!!!!!本当は老婆が隠れています。へー!!!!!!!!!!そうかこの絵の中には実は老婆が居るんだな、、、、多分恐らくこんな老婆だろうなー。。。。。。。。これワンネスをイメージしている人の悟りです。これ無我をイメージする人の悟りです。実感としては見えていないんです、、、だけどイメージは鮮明に鮮明に持っています。

老婆は見える!!!!!!

老婆はイメージではありません、ハッキリと確実に見える人には見えるんです!!!!!!イメージじゃないです、、美女がはっきりと見えるようにその騙し絵には老婆が100%存在しながらも隠れているのです。ワンネス、無我、全体、気づきの意識、空、絶対、、、、これも100%存在しながらも隠れています。全く存在に気づけないにも関わらず存在しています。

どうしたら見える????????

老婆の場合は簡単です、、これが目で、、これが鼻で、、、これが輪郭で、、、、、分かった!!!!!!!突然の分かったが起こります。悟りも全く同じ、、、、100%の実感を繋ぎ合わせた時、、、、、「分かった!!!!!」が起こるのです。100%の実感の繋がりにしかこれは分かりませんから、、、、イメージを繋ぎ合わせても無駄です。

圧倒的実感

ゲシュタルト

ある絵を眺めています、、、しばらくして「あ!!!」これ若い子じゃなくて、、、老婆だ!!!!!騙し絵に気づく瞬間ってあります。それまではその絵の中に老婆は100%存在しなかったのです、、存在しているにも関わらず「実感」として100%存在していなかったのです。ところが、、、、ある瞬間に「見えた!!!!」が起こります。ゲシュタルトと言います、、点と点が繋がった瞬間、、、見えるのです。

サッカー選手

サッカー経験者は、、ゲーム観戦中に「監督の意図」が見えます。今攻撃から守りに移り、、カウンターに切り替えたな。。。。。。。しかし素人は何も分からない。。。。。。つまり同じ画像を見ているにも関わらず全く違うものを見ているのです。悟りとは圧倒的実感で、、「全く違う景色」を見ることです。「分かった!!!!!」は全く違う景色を見ることなんです。

老婆

この絵には老婆が居るんですよ!!!!!!!いやいやそんなこと言われても全く老婆の存在に気づけません!!!!!!「この世界は無なんです」「この世界はたった一つのエネルギーなんです」「この世界は絶対の影なんです」いやいやそんなこと言われても全く全く実感が湧きません。ところが、、、、、突然「見えた!!!」が起こります。突然「分かった!!!!」が起こるのです。最初からそこに間違いなくある老婆が、、、、間違いなくある影が見えるのです。

不都合な真実

真実とは

真実にまつわるメッセージがなぜ世界に広がっていかないかといえばそれは「不都合な真実」だからです。真実とは多くの場合不都合なのです。先ず第一に真実を受け取る自分という存在が存在しないのです。多くの場合「この私」のために全情報はあるのですから、、、それとは全く異なるメッセージは脳がパニックを起こします。今まで全部「自分」のためにと行われてきた行動と「真実」は180度異なるため、、脳がパニックを起こすのです。

引き戻せない

偏差値が高い学校に行けば収入もそれに準じて多くなる、、、こう信じて生きていた人が「フェラーリの所有者のほとんどは中小企業の社長である」という真実を目の前にした時脳がパニックを起こします。中卒、高卒、大卒とは全く関係のない、、、中小企業の社長こそが高額納税者であるという事実は、、脳をパニックに陥らせます。その結果、、、先ずはその情報は横に置いておこう、、となるのです。

実は自分が居ない

自我が形成され、、この自分を守らなくては、、、という言動が起こり、、、そのための行動がエンドレスに起こり続けていた先に「実は自分が居ない」というメッセージはパニックになります。だからこのメッセージは横に置いておこうとなる最強バージョンです。この自我にとって「不都合な真実」に興味が起こるということは大きな意味を持ちます。

ありのままの自分で?????

ありのまま

ありのままの「自分」という存在は存在しません。ですからありのままの「自分」というのは理屈として破綻しています。ただしありのままが「自分」という概念を起こし、、「ありのままの自分」という概念を起こするのはできます。イメージとしてそれが起こるのです。イメージとしての「私」がイメージ上の「ありのままの自分」に近づく努力をするというストーリーが生まれるのです。

ですが

ですが多くの場合そのありのままの自分は周囲とは個別分離した自分でありよってその自分のなれた(イメージ)としてもそこから出てくるのは個別感、分離感という拭い去りたい感覚です。だからどれほど完全完璧なセルフイメージになっても(想像)結局はこの違和感、不快感を拭い去れず絶望します。

絶望

絶望、、、これ以上にこの私物語を終わらせる完全完璧な動機はありません。もうこの私物語の先には先がない。。。これです、、、ここに至ることがいかに重要か、、いかに大切かです。絶望が起こると、、ありのままの自分、完全完璧な自分、、、自己実現を成し遂げた自分に「興味」が湧かなくなります。だって意味がないのですから。。。。。すると素直に、、「悟り」への関心が起こるのです。

影の分離

実際には

ここは絶対の影ですから何一つ分離など存在しません。何一つです、、、ですが人間の目には明らかに分離しているように見える映像がまさにここに広がっています。だからこれは脳が作り出した幻想なのです。この世界は無限の影ですから影という表現として「分離映像」が今まさにここに流れています。全く分離などありえない分離映像がここに流れます。

分離して見えていることが凄い

なぜそのような映像が起こり得るのか???????簡単です、だってここは「絶対」の影だからです。存在できない映像は存在しないのです。ゆえにこの超分離風映像も確実に流れます。何も問題はありません、、、ですがこの超分離風映像があまりにリアルだから、、、、それを現実と思う思考が現れ出て、、この体を自分とする思考も現れでて、、、「問題問題」とする思考も現れでます。それがこの超分離風映像内「人間物語」です。

ただし

その超超分離風画像内「人間物語」で起こる、、、、感情思考の全ては絶対から「分離」など一切せず、、、絶対の完全完璧な影として起こります。だからそれすらも何も何も問題ではありません。それを深刻深刻深刻とする影の動き(思考)は起こりますが、、、、それも「絶対」の影の動きです。何一つ「絶対」が損なうことはないのです。

影に主体はあるか?????

ここは影

ここが「絶対」と呼ばれる存在の影です。影の中に個別分離した存在があるわけがなく、、よって、、、ここには「自分」と呼ばれる存在は存在しません。ですがこの影の世界では「名前」で呼ばれる機会が多いので「自分」とは存在する存在なのだとする勘違いが生まれます。「この勘違い」こそが分離感、孤独感、悲壮感、無力感を生み出す根源です。

影は自由自在

影の動きを見てください、、常に予想不可能、想定不能、、、、自由自在です。これです、、、これがこの世界なんです。「絶対」「空」の影であるここは完全完璧に予想不能です。そこにこの体も現れ、、あらゆる五感が起こりますが、、何一つ想定不能です。そこに「思考」も起こり、、この「思考」も想定不能です。唯一の安定とは全くもって想定不能の自然現象(影)が不断に起こり続けるということです。その視点に立った時この世界は究極の安定とも呼べます。

影の一部

この体はその「絶対」から起こる影の一部に過ぎず、、、よってこの影に何があろうとも「絶対」は「絶対」でなくなることなどあり得なく、、体を消失することは何の意味もありません。何の意味もありませんがこの体がなくなれば、、この五感が作る世界も同時に消え去ります。そういう意味ではこの体の価値は壮大です。マリオが登場しなくてはスーパーマリオの世界が現れ出ないことと同意です。

心の問題は心では解決しない

人類の大問題

私の悩みはモテないことです、、、モテさえすればこの不快感は絶対に絶対に治るはず!!!!!!こう考える男性が居るとしましょう、、、これ絶対にモテることでは解決しません。なぜ?????????だって不快感という心の問題を「モテる」という心の動向で解決しようとしているからです。いやいや、、、、モテるって事実であって心の話ではないですよ!!!!!!!!!!違うんです、、、「モテてるなー!!!!!!!」という心の実感がなければ感じることができません、、、つまり俺はモテてるぞ!!!!!!!というのは心の動きなんです。

不快感を心で解決は不可能

言ってること分かります???????「俺はクラスで一番モテている、、、なぜならば全員から告白された」これ、、、、、心の動きなんです。この心の動きで、、、不快感を解消しようということは、、、心の動きの問題を心の動きで解消しようとしているのです。残念ですがこれ不可能なんです。不快感と「モテてる!!!」という心の動きには全く関係がないからです。

その証拠に

クラスでダントツでモテていたあの子は、、、何の悩みもなく生涯を終えると思いますか???????全く全く関係なく悩みが起こります。だって不快感が全く消えないから、、、次の課題を必ず作るのです、心は。やっぱり収入がないとこの不快感は消えないよね!!!!!!となるのです。そして「俺は金持ちになったぞ!!!!!」と心が動いてもその動きと不快感はまるで関係がないのです。

心の悟り

ああなってこうなって

心がこうなってああなって、、、そうしたら悟りが開くだろう!!!!というのは妄想です。心という妄想の変化の果てに悟りが開くというのは、、それも妄想です。真実では、、、ただ「在る」だけが存在し、、その中で心が起こり、そこに自分が起こり、、、その存在が幻想であると見抜かれたその時、、その幻想は「存在」に吸収されるのです。

心は激しく動くが

心は激しく動きます、、、この不快を消すために、、、激しく動いて見かけ上次々にこの不快を解消しようとします。ところがこの心の動きその動きこそが不快感を作り出す根本原因なのです。だから、、、全ての不快症状は心の動きによって、見かけ上消え去りながらも、、見かけ上さらに起こるのです。不快感が現れては消えてをただひたすらに繰り返すのです。このことにどこかで気づいたその時、、、不快感を解消しようとする心の動きが止まるのです。

その動きこそが

不快だからお酒を飲もう!!!!この心の動きが起こり、、実際にお酒を飲むことで、、、一時的に不快感が消えます。ところがそれと同時に次の日にはさらなる不快感が襲ってきます。するとまた心の動きが起こり、今日も飲もうという動きが起こり、、、これを死ぬまで繰り返すのです。心は常に一時的解消に向けて動き回り、、、ただ不快感が消えては現れるを繰り返すのです。

興味がない、、に困る?

何にも興味が出ないんです

最近何にも興味が湧かなくて困っています。非二元を学び始めて、、全部が幻想だと知ったら、、何にも興味が湧かなくなってしましました。。。。。。あ、それ、、、全部が幻想っていうイメージが湧いているだけで、、、、実は何も分かっていません。。。。だから大勘違いです。大勘違いだから今も苦しいのです。

私もあなたも一つなんですよね??????

だったらコミュニケーションを取る意味ってないですよね????????それも同じ、、、私とあなたは一つってうイメージを起こして、、だったら意味ないよね!ていう思考が湧いたのです。非二元とはこの全てが幻想と見抜くことであってイメージではありません。

困るとか意味ないとか

困るとか意味ないとかって「私」にとってですよね???????要は「私」という概念が概念と見抜かれずにがっつりそこにあるわけです。だから非二元のメッセージの内容に困り、意味ないと嘯くのです。その主語は主体は「私」です。。。。非二元とはまさにその主語である「私」が居ないことに気づくことであり、、、、、興味がでないとか、困るとかが起こらないことです。