心
心とは移ろい行くものです。この世界も移ろい行くものです。この私も移ろい行くものです。眠りの状態で私は消えます、だから私は移ろい行くものです。この移ろい行くものは本当の私では絶対に絶対にありません。なぜならば移ろい行くものは移ろい行くだけに、、儚い存在だからです。儚い存在は、、儚くない存在が存在しなくては現れることも消えることもできないのです。影は影の大元が存在するから影であって、、大元の存在しない影は存在しないのです。
影
影が変幻自在、出現、消滅を繰り返すことが可能なのは「太陽」という存在が存在するからです。その太陽によって影は変幻自在に出現、消滅を繰り返すのですが、、、太陽は全くそこから影響を受けず、、ただ「在り」ます。太陽の存在抜きに影は存在できません。この世界、この心、この私も全く同じで、、、大元の真我が存在するから現れては消えるを繰り返しているのです。私も熟睡時は存在せず、、目覚めと共に現れることができるのはそのためです。
つまり
つまり移ろい行くものは全て真我の影です。真我が影を今も見ています。真我が今もこの影(視界)を見ています。真我が今もこの影(思考)を見ています。何もかもが真我の影です。至福が今至福の影を見ています。愛が今愛の影を見ています。不変が今不変の影を見ています。無限が今無限の影を見ているのです。非分離が今非分離の影を見ているのです。何もかもが影です。心も影、私も影、世界も影です。影しか見えません。全てが自らの影であることに気づいたら、、分離も、時間も、空間も何もかもが消えてなくなります。夕方、、「蛇だと思ったら影だった」になります。その瞬間蛇が消えます。その瞬間、私も心も、世界も消えます。