そこから悟りへ
私は今とんでもなく腕が痛みます、、この状態で、、真の癒しとか真の安らぎとかありえるんですか?????あります、、ありえます、、、なぜかと言えば、、痛い=不幸ではないからです。例えばウィンブルドン決勝戦で腕を負傷してでも勝利したプレイヤーは翌日ベッドの上で真の安らぎを得るはずです、痛いにも関わらず。これと同じこと、、痛み=不幸ではないのです。
では
痛いのは誰でしょうか????「私」ですね、、、この体が痛み、、その体の所有者が「私」ということです。痛みの所有者が居るというこの思考こそが不幸を生むのです。。癌になった「私」エイズになった「私」このストーリーが不幸を生み出します。事実は、、ただこの体に痛みが生じたのです。ただそれだけ。痛みがあるのは100%真実です、、ですがその痛みを所有するこの体、この私は思考です。この思考の部分が不幸を生みます。
痛みがある
痛みがただある、、、ここから思考を起こさない時、、、まさかの安らぎがあります、、、痛みは痛みでしかなく、、痛み以上の何かを運んではきません。雨が降る、風が吹く、痛みがある、、そこに不幸はないのです。この痛みを私が所有し、、この痛みを所有しながら生きていくというストーリーが生まれると苦しみが生じます。
動物
野生動物は怪我をすると不幸、怪我をしなければ不幸じゃない、、などは起きません。怪我の有無と幸不幸は関係ないのです。これは人間も全く同じです、、痛みの有無は幸不幸とは全く関係ないのです。痛みがあるから不幸で当然、、という概念はまさにそこに潜む執着を露わにします。私が何と同一化しているかを露わにします。