主体客体

立ち上がる

自我OS(心)に生気が流れた時、、、主体客体のストーリーが立ち上がり世界が立ち上がりこのゲームがスタートします。地球というゲームのスタートです。自我はこの粗大な体と同一視することで粗大な世界が広がります。このゲームを動かす電流は「生気、プラーナ、ナディー」などと呼ばれます。スマホに関しては電流です。スマホは充電時間が必要になりますが、、この人間の体は眠りがそれに当たります。眠りとは自我OSの充電期間です。

この世界で

この世界でどんなドラマが繰り広げられようとも、それはあくまで自我OS内での話、、、実在には何一つ影響を与えません。スマホのディスプレイで流れる映像がスマホに何も影響を与えないように、、真我に、、この世界は何一つ影響を与えません。虚しい????いいえ、、、実在が完璧不変で最強だからこそ毎日のこの二元性世界が立ち上がることができるのです。二元性の世界によって1ミリも侵されない実体だからこそ毎日このゲームが立ち上がるのです。

面白い????

この世界は面白いですか???面白いですよね、、、だって何かに関心を向ければそれが広がっていくのですから。昆虫に関心を向ければ無限の種類が誕生し、宝石に関心を向ければ無限に現れ、車、洋服、政治、、全て、、無限に広がっていくのです。自我OSとは多様性が特徴なのです。ですが、、、疲れるんです。この自我OSが作り出す世界は同時にしんどいんです。そうなってるんですから当然です。なぜ????だってこの世界の中には幸福がないからです。

なぜ生きるの???

なぜ生きるの???と問われれば、、だってたまには幸せを感じるから、、となります。そのたまに訪れる幸福は、、、この世界のものではありません。この世界には幸福はなくて、、、この世界が消えた時に幸福が現れます。。。。え???????そうです。大笑いした瞬間、、、心が休止しています。究極のスイーツを食べた瞬間、心が休止しています。金メダルを取った瞬間、、心が休止しています。そうです、、、心の休止、自我OSの休止こそが、、、至福です。眠りの状態の時、、心、自我OSは休止しています。つまり世界が休止しているのです。スマホで言えば画面の休止です。

見えてくる

見えてきました????そうです。この世界が消えている熟睡は至福です。大笑いして世界が消えている時至福です。ギャンブルで大当たりした瞬間、世界の休止です。画像が消えています。その瞬間至福が訪れます。訪れる?????いいえ至福に吸い込まれています。本当は至福しかなくて、、そこに自我OSが生み出す世界が現れています。至福の中に世界が現れ、、苦しみというエンタメが起こるのです。悲しみというエンタメです。ですがこのことに気づけない時、悲しみ、苦しみ、孤独、妬み、、などは、、、しんどいのです。

不動

真我

あなたはここから東京駅に移動する時、視界が変わるから移動しているという実感を持ちます。これ当然です。ですがもしも、、、体を含めた視界が変化しているに過ぎないという気づきに至った時、認識が180度変わります。何も動かないディスプレイの中の内部映像だけが変わっているという真実に気づくと世界が180度変わるのです。そして真実はまさにそうです。ただ画像だけが変わり五感だけが起こるのです。「私は在る」というう究極の感覚の中でそれだけが起こるのです。この感覚を相対性意識と呼んだりします。

不変

真我は不変であり、、、その不変の真我の中を、、、この映像だけが変わります。この映像の変化を担うのが自我OSです。私というプログラムを中心にしたOSが稼働して、、、全映像、全五感、が生み出し続けます。思考も感情も何もかもこの自我OSによって生み出されるのです。だからつまり実は何も起こっていません。この自我OSは電流が流れなくなれば終わるのです。眠りとはまさに電流の休止、自我OSの休止です。そして再び自我OSに電流が流れれば、、自我OSが起動して世界が現れます。夢見では精神的体が現れ夢が起動します。

じゃあ

我々は一度も移動などしたことがないのですか???そうです。全く一度も移動などしたことがありません。だからここからヨーロッパに大移動しようとも画像は変わってもスマホ(真我)は微動だにしません。スマホ内の映像だけが変化しスマホはそのままです。真我もまた同じで何も動かず、、今ここにドカンと鎮座します。自我OSの動きだけが起こり、、そこには五感が生み出されるのです。二元性の世界も自我OSによって直接起こるのです。なぜ二元性の世界を自我OSは生み出すのか???だって二元性の世界を生み出さなくてどうやって「私」を存続させるのですか???ディスプレイ上の私は二元性の世界だから維持されます。私以外が存在しなくて私は存在できません。

180度の大転換

天動説が地動説

天動説が地動説に切り替わるには何百年の時間が必要でした。なぜ????なぜならば人間の固定観念はそのまま映像として現れるため、、天動説を確信した人々の前には天動説前提の画像が起こるからです。つまり彼らにとっては天動説を証明するような現象は起こり続けるのです。故に地動説が現れても、、それは構造上無視されます。科学的に無視されるのです。当然です。そして今地動説を私はこのブログで否定しています。ですがこれを読む方々が地動説を確信していれば当然その確信がこの画像に反映されて地動説を証明するのですから無駄な議論になるのです。

つまり、、、、

スマホ上の画面を眺めて「どっちが正しい????」という議論は全くの時間の無駄です。スマホ上の画面は「OS」の動きによって生みだ出されます。そのOSが固定観念ですから、全人類が全く違う世界を見ているのです。ディスプレイの状態は90億通りです。だからこの物質世界の中でどっちが正しい???という議論自体が不毛であることの自覚がスタートです。自我OSがこの世界、画像を生み出す、、という真実に立脚しない限り、、話は進まないのです。

ですが

この真我実現ゲームに、、他人の力は全く必要ありません。他人も画像上でしか登場できず、、画像の奥、自我OS(固定観念)の部分まで入ってはこれません。ですから、、真我実現は、、ただ自身がそこに向かうだけです。画面上の全員を説き伏せていく必要が全くないのです。自我OSが変われば全員が変わっていきます。そして固定観念が変わっていき、、自我OSが変わり、、、最終的には自我というプログラムのみが残されます。自我というプログラムがそれだけになった時、、そのプログラムはスマホ本体(真我)に再吸収されるのです。

友人

生きていく気力

こんな世知辛い世界でなぜ僕達は生きているんだろう???そんなことを友人から打ち明けられたとしましょう。問題しか起こらないし真面目に働いたって何の保証もありゃしない、、と。。。ですが、、、それスマホのディスプレイ上の話ですよね????スマホのディスプレイに世知辛くて重苦しい世界が今映像として流れているという話ですよね????スマホ本体(至福)であるあなたと何か関係でもあるんですか???これが覚者の伝えたい本音です。スマホ自体(あなた)が幸福なのになぜディスプレイ映像に関心があるんですか???という話です。

いやいや

その世知辛い世界にこの体がガッツリ存在していてこれも食べさせないとダメじゃないですか!!!!!そんな悠長なこと言ってられないですよ!!!!!この体がディスプレイ上で大変になろうともスマホ本体(あなた)が何も変わらずに至福でしかあり得ず、、それが何を影響するのですか???何度も言いますがあなたはスマホ本体であり至福であり気づきであり電源です。ディスプレイ上の動きがなぜあなたに影響を与えることができますか???与えることは構造上不可能なのです。それは分かりますよね???

でも、、、、

この体がブラック労働で睡眠も十分に取れていないのだから、、辛いの当たり前ですよ!!!!いやいや、、、何のためにブラック労働に従事するのですか????あなたの体が何を活動しようともスマホ本体自体(あなた)が至福なのだから何を無理して行う必要がありますか???辞めればいいのです。画面上で何かを叶えようとか、何かを達成しようとか、、、全く意味がないのです。だって何が画面上で達成されようがスマホ本体(あなた)には何も影響がないのですから。

両親の面倒

両親の面倒、家族の世話、、私にはあらゆる重責があるんです、、だから、、そんな現実逃避的な行動できませんよ!!!!違います、現実とは、、、「あなたがスマホ本体」だという揺るぎない事実です。あなたの中で自我OSが動き、、画像上に「体、世界」が起動しているのです。あなたはこの画像上で何を成し遂げても本体には影響しないのです。そしてあなた(スマホ本体)は最初から至福なので、、、画面上でしか不幸を生み出すこともできません。つまりあなたは画面上の体を私(スマホ本体)と勘違いし、、苦しんでいるだけです。両親の面倒を見るなとか家族を無下にしろと言いたいのではなく、、そこであなたが幸福になることはないのです。何かを期待すれば必ず裏切られます。

画像上の変化

あなた自身が画像上の体ではなくスマホ本体(至福)であるという自覚が生まれてきますと、、、自然と画像の動きが変わります。なぜか???なぜならば画像の動きは自我OS(固定観念)が支えているからです。固定観念(自我OS)が変わって画像が変わらないのは不可能です。世知辛い世界、重苦しい世界にスマホ(電源)から電流が流れ画面が明るくなるでしょう。「スマホ本体であるあなた」の存在を完全に忘れ、、画像に夢中になった状態が「不幸」と呼ばれます。「スマホ本体=私」が思い出され、、画像の動きに関心がなくなった時、、真の幸福だけが残されます。

電流が流れOSが立ち上がる

スマホ

電源が落ちたスマホは、、、ディスプレイ上に何も画像が映し出されません。なぜ???当たり前ですよね。OSが起動しないからです。全プログラムが稼働しないのですから、、ディスプレイには何も映し出されません。電源が入り、、画像が映し出されても、、機能によって画像だけをオフに出来ます。画像はオフになってもスマホの機能は全く損なわれず音楽も映画も音声で楽しめる状態です。つまり画像は動かなくとも中身は完全に動くのです。そしてOSは確実に稼働しています。当たり前ですがOSが最初に起動し画像がそこに映し出されるであって画像が起動するからOSが稼働するのではありません。

この世界

この世界も世界が最初にあるから自分が生まれたのではなく自分というプログラムに電流が流れることで自我O S(心)が稼働し世界がディスプレイとして動きます。目を閉じた状態であって音声、香り、触感は動きはじます。全てスマホと同じです。このOSの稼働には電流が必要なように自我OS(心)の稼働にも至高の力が必要になります。それを生気、ナーディ、プラーナなどと呼びます。万物を動かす電気です。この電気の流れが自我プログラム、自我OS(心)を生み出すのですから、、自由意志というのは実は自我OSが生み出す感覚でしかありません。構造上理解できるはずです。

二元性の世界

ディスプレイに画像が現れ、、視覚、聴覚が稼働するように、、、この世界が立ち現れれることで、、自由意志という感覚が起こるのです。そして自由意志の力で幸福を手に入れようという感覚も起こります。ですが幸福とはスマホ自体のもの、真我自体のものであり、、映し出されるディスプレイの中に幸福があるわけがないのです。勿論ディスプレイ自体も、、スマホ、真我のものであり、、その一部です。ですがそれは機能の一部であってその一部に幸福が存在するという勘違い行動(自我OSの動き)こそが苦しみです。真の幸福とはスマホも真我もディスプレイの一部ではない、、と目覚める以外にないのです。人間は自身を(気づき、幸福の所有者)と勘違いした自我OSの動きでしかないのです。

桃源郷

どこにある???

あなたが大金を手にして桃源郷のような街を発見、そこに住むようになるとしましょう。その桃源郷、、その桃源郷の創造主はまさかの「あなた」です。あなたが目覚めた瞬間にその桃源郷も立ち現れ、、、あなたが眠りにつけばその桃源郷も消えるのです。その証拠にあなたの眠りの状態にその桃源郷は登場しません。その桃源郷はあなたという自我が生み出すのです。自我OSの活動がディスプレイ上に現れた姿がその桃源郷です。

じゃあ、、

じゃあ私が死ねばその桃源郷も消えるということですね???そうです。ですがあなたの体が消え去ってもあなたは消えません。あなたの体すらもあなたの創造物ですからあなたが被想像物である体によって消されることもないのです。だからあなたは体が朽ち果てれば新たな体を創造しそちらにシフトします。体が死んだにも関わらずなぜ私はまだ存在するんだ???私が居るんだから私はまだこの桃源郷に存在するんだ、、と勘違いが続いた時、、、浮遊霊のようになって留まります。体が死んでも私が残ることで事態を飲み込んだ場合、、次の体にシフトします。

違う

ですが事実はそうではなく、、ただ自我が残るから桃源郷が残っているだけであり、、そのことには自我は無自覚です。自我こそがまさかこの桃源郷の創造主とは知らず、、もう一度私の依存先である体を探し求めます。夢見から覚めて直ぐにこの体に自我は収まるように、、新たな体を探すのです。真我という土台の中で、、目覚め、夢見、眠りという三つの状態が無自覚に繰り広げられていくのです。自我がまさかの全ての創造者とは知らずに、、三つの状態を渡り歩くのです。そしてあなたは今このブログを読んで真実を知ってしまいました。だからもう元には戻れません。自我の創造活動の観察者「真我」が現れます。

全て逆

世界

世界というの最初にあって、、その世界の中に突然我々はポツンと産み落とされた、、これがこの世界の99.99999999%の人々が思っている世界です。ですがこれ全くの嘘です。世界など存在してもいませんでした、、「あなた」という自我が最初に現れそこから世界が生まれたのです。あなたこそがこの世界創造者です。あなたなしの世界は存在しません。世界はこんな感じだから私は一生懸命それに合わせて生きていきます???ちゃんちゃらおかしな話です。

自我OS

人間関係は今こんな感じで、会社の業績はイマイチで、、世界情勢は波乱が続き、、、はい、、、それ全て自我OS(心)が生み出しています。そしてこの私の動きは自我OSから直接起こります。世界が自我OSによって生み出され、、そこへの反応も自我OSによって生み出されるのです。電流がOSを流れることで全てが自動想起されていきます。自由意志という感覚も自我OSによって起こり続けます。

世界への関心

仕組みが分かってきますと世界への関心が薄れていきます。世界とはただの自我OSを通じたディスプレイ映像に過ぎなかったと分かります。そして自我OSは真我である我々から勝手に湧き上がり、、勝手に全てを今も生み出しています。この外側の世界には我々は存在していないのです。だからもう外に外に関心を寄せるのは辞めてください。関心を起こすことでさらなる映像が起こるだけです。関心を寄せた分野がただ広がるだけです。ポケモンカードに関心を寄せればその分野が広がる、、それだけなんです。ならば真我に関心を寄せましょう、、すると真我が広がって、、真の平和が訪れます。

眠りの中の目覚め??

眠り

実は我々はずっと眠っています。悟りを開くことを「目覚める」と表現するのは言い得ていて、、、実はずっと眠った状態だったのです。なぜか????我々が目覚めていると思うことができるのは、、この現実世界が実在と思っているからです。だから朝が来て、、世界の中に我々は意識を取り戻した、、と思うのです。ですが事実は違います。事実は、、、ただこの現象世界が立ち上がったに過ぎません。。それは眠りの中の眠りの状態から、、眠りの中の目覚めの状態が始まったに過ぎないのです。

夢見

夢見とは、、眠りの中で精神的体が立ち上がり世界が広がることです。そして目覚めとは眠りの中で現実と呼ばれる世界が立ち上がったのです。つまり、、何も起こってもいないのです。全ては眠りの中で状態が変わっているに過ぎないのです。眠りの中で目覚め、夢見、眠りが無自覚に連鎖しているに過ぎません。そしてこのことに目覚めることが真の目覚めです。そうか、、実は眠った状態のままだった、、、という気づきです。あなたが今このブログを読んでいるならば、、それは眠りの中の目覚めの状態でこれを読んでいるということです。

ならば、、、

ということは、、この全ての根底には何かが存在します。何かが根底に存在しなくては三つの状態が入れ替わることは不可能です。その何か、、、が真の私、真我です。この三つの状態に気づく絶対的意識、純粋意識が真我です。その上で三つの状態が入れ替わり立ち変わるのです。そして自我こそがこの三つの状態の変化の主要想念、根っこの思考です。

自我は必要悪

必要悪??????

仮面ライダーが存在するためには悪役が絶対的に必要です。悪役が存在しない仮面ライダーは役立たず、むしろ社会悪でしかない。。。。そうです、悪役が存在しない仮面ライダーはお役御免どころかむしろ邪魔でしかないのです。全く生産性のない穀潰しです。自我とはまさにそれ、、、自我が登場しなくては真我発見は存在しません。真我実在が存在しません。つまり自我とは真我実現の最重要ファクターなのです。

だから

自我を悪者扱いするのも無知です。その時点で苦しみ絶賛継続中です。自我とは、、、真我実現の必要悪であり、、、、それ無しに真我実現はあり得ないのです。だから自我はそういう意味で必然的に今ここに現れているのです。そして自我を根幹にした固定観念が現れそれがそのまま世界を構築します。この世界が存在できているのは自我のお陰です。自我OS無くして、、ディスプレイの映像は起こり得ないのです。

では、、、

自我が必要悪であることが見抜かれたら何が起こるのか???真我が真我であるための真我の影がただ起こるのです。この映像は真我が真我を自覚するための幻影です。無限の現れは心の現れであり、、心が無限を表すのは真我こそが無限だからです。この世界はただ真我の存在を証明するための世界になります。そして世界は独立した世界ではなくこれも真我の一部に過ぎません。ディスプレイがスマホの一部であることが自覚された上で写されます。そこに何が映し出されようとも、、スマホの一部であることは疑いようがありません。

画面がないスマホ

存在しない

実は俺のスマホ画面がないんだよ、、、聞いたことがありません。画面が拡大されてPC 並みの機能を持った時からスマホと呼ばれる電話が生まれました。実際には中身はPC であり、持ち運びできるPCです。そしてどんなにその機能が進化しようとも「画像」がなくなることはありません。スマホとは画像をいかに見やすく、スマートに使えるかだからです。ではなぜスマホに画像が必要なのでしょうか???スマホ=真我になぜ画像が必要なのか????全て苦しみはこの画像=世界が誕生したからであり、、、スマホ=真我=至福ならば、、どう考えてこの画像=世界って無駄でしかないはずです。

そうなんです

イエスも釈迦も、老子も荘子も、、、結局はこの見える世界こそが苦しみの根源と言い放っており、、だったら世界消えてよ、、というかなぜ生まれたの???となります。そうです。その通りなんです。にも関わらず必ず朝になると自我が芽生え世界が誕生するのです。これってスマホがOSの起動を止めれば済むように真我が自我を吸収すれば即終了です。ではなぜ????答えを言いましょう、、、自我というプログラムが起動しなければ、、、私とは誰か????という疑問すら起こらないのです。私とは誰か????と疑問を持てるのは「私」以外にないのですから。。。

つまり

つまり自我のミッションとは真我の発見です。そうか、、私は真我だったんだ、、、という自覚を生み出すために生み出されたプログラムだということです。スマホから生まれた自我というプログラム、そしてi OS(自我OS)が生まれだし、、その中で私とは誰か????という疑問が起こり、、、最終的には私はスマホ本体で、、かつての私はそこから現れたプログラムだったと気づくのです。その瞬間自我プログラムが画面の中の何かになろうとするはずもなく、、、画面の中の誰かに憧れることもないわけです。これが真の無欲です。無執着です。

画面の中の何かじゃない

スマホの画面とは私は画面の中の何かじゃないという気づきのために存在し、、、この世界も本当の私はこの世界の何かじゃないという気づきのために起こるのです。そしてこの世界は何が生み出した???自我が生み出した、、ではこの自我は何が生み出した???となり最終的にこの自我に気づく気づきが私だ、、という自我の没収が起こるのです。