真我
あなたはここから東京駅に移動する時、視界が変わるから移動しているという実感を持ちます。これ当然です。ですがもしも、、、体を含めた視界が変化しているに過ぎないという気づきに至った時、認識が180度変わります。何も動かないディスプレイの中の内部映像だけが変わっているという真実に気づくと世界が180度変わるのです。そして真実はまさにそうです。ただ画像だけが変わり五感だけが起こるのです。「私は在る」というう究極の感覚の中でそれだけが起こるのです。この感覚を相対性意識と呼んだりします。
不変
真我は不変であり、、、その不変の真我の中を、、、この映像だけが変わります。この映像の変化を担うのが自我OSです。私というプログラムを中心にしたOSが稼働して、、、全映像、全五感、が生み出し続けます。思考も感情も何もかもこの自我OSによって生み出されるのです。だからつまり実は何も起こっていません。この自我OSは電流が流れなくなれば終わるのです。眠りとはまさに電流の休止、自我OSの休止です。そして再び自我OSに電流が流れれば、、自我OSが起動して世界が現れます。夢見では精神的体が現れ夢が起動します。
じゃあ
我々は一度も移動などしたことがないのですか???そうです。全く一度も移動などしたことがありません。だからここからヨーロッパに大移動しようとも画像は変わってもスマホ(真我)は微動だにしません。スマホ内の映像だけが変化しスマホはそのままです。真我もまた同じで何も動かず、、今ここにドカンと鎮座します。自我OSの動きだけが起こり、、そこには五感が生み出されるのです。二元性の世界も自我OSによって直接起こるのです。なぜ二元性の世界を自我OSは生み出すのか???だって二元性の世界を生み出さなくてどうやって「私」を存続させるのですか???ディスプレイ上の私は二元性の世界だから維持されます。私以外が存在しなくて私は存在できません。