電流が流れOSが立ち上がる

スマホ

電源が落ちたスマホは、、、ディスプレイ上に何も画像が映し出されません。なぜ???当たり前ですよね。OSが起動しないからです。全プログラムが稼働しないのですから、、ディスプレイには何も映し出されません。電源が入り、、画像が映し出されても、、機能によって画像だけをオフに出来ます。画像はオフになってもスマホの機能は全く損なわれず音楽も映画も音声で楽しめる状態です。つまり画像は動かなくとも中身は完全に動くのです。そしてOSは確実に稼働しています。当たり前ですがOSが最初に起動し画像がそこに映し出されるであって画像が起動するからOSが稼働するのではありません。

この世界

この世界も世界が最初にあるから自分が生まれたのではなく自分というプログラムに電流が流れることで自我O S(心)が稼働し世界がディスプレイとして動きます。目を閉じた状態であって音声、香り、触感は動きはじます。全てスマホと同じです。このOSの稼働には電流が必要なように自我OS(心)の稼働にも至高の力が必要になります。それを生気、ナーディ、プラーナなどと呼びます。万物を動かす電気です。この電気の流れが自我プログラム、自我OS(心)を生み出すのですから、、自由意志というのは実は自我OSが生み出す感覚でしかありません。構造上理解できるはずです。

二元性の世界

ディスプレイに画像が現れ、、視覚、聴覚が稼働するように、、、この世界が立ち現れれることで、、自由意志という感覚が起こるのです。そして自由意志の力で幸福を手に入れようという感覚も起こります。ですが幸福とはスマホ自体のもの、真我自体のものであり、、映し出されるディスプレイの中に幸福があるわけがないのです。勿論ディスプレイ自体も、、スマホ、真我のものであり、、その一部です。ですがそれは機能の一部であってその一部に幸福が存在するという勘違い行動(自我OSの動き)こそが苦しみです。真の幸福とはスマホも真我もディスプレイの一部ではない、、と目覚める以外にないのです。人間は自身を(気づき、幸福の所有者)と勘違いした自我OSの動きでしかないのです。