幸福というコンピューター

至福

我々が普段使うコンピューターがもしも幸福で出来ていたら、、、どうでしょうか????幸福という原料で構成されていたら????ですが、、、事実としてこの現実(実在の現れ)を生み出す実在コンピューターは「幸福」で構成されています。原材料が幸福である実在コンピューターの現れがこの現実です。つまりこの実の現れの土台は、、幸福でしかないのです。そして現実と呼ばれる実の現れはコンピューターのモニターに映し出された幻影です。

幻影の中

この実の現れ、現実の中に幸福が一切存在しないのは、、、コンピューター本体ではなく、、モニター画面の中だからです。残念ながらその中だけには幸福は存在しないのです。その中だけです。その証拠にモニター画像が消え去った状態(眠り)は、、、至福です。至福以外の熟睡をあなたは体験できません。これが決定的証拠です。コンピュータ本体(至福)以外が消え去った状態で至福以外を体験するのは不可能なのです。人間とはまさかの唯一の至福が存在しない場所『モニター内映像』の中でのみ至福を探し求める愚かな映像(生物)なのです。

ただし

肉体(映像)が幸福を求めることはできません。肉体は何も思考できません。肉体を「実在」と勘違いする思考が起こり、、、この現実(実在の現れ)をリアルと勘違いする思考が起こり、、、肉体こそが至福(コンピュター)の所有者だ!!!!という勘違いが起こった時に、、、、この画像の中で幸福を探すというおかしな行動が起こります。全て思考の動き、言語プログラムの動きです。コンピューター自体が至福なのですから、、、コンピューター本体(真我)がこの勘違いをするわけがありません。

何?????

コンピューターの電源がONになり(この意識)、、、、私というプログラムが起動し、、モニターがONになり、、、世界というプログラムが起動した時、、、「分離感」という感覚が動き出し、、苦しみの連鎖が起こります。全ては幸福(コンピューター)内でのプログラム(心)の活動です。だから大元が幸福であることがバレてしまったらこのゲームは終わりです。この事実を知らない期間だけ一生懸命幸福をモニター内で探すことが可能です。

真逆

プログラム(思考)がフル稼働すればするほどに、、苦しみが起こり、、、疲れ果てます。プログラムの稼働が止まれば、、、本体の至福が現れます。真逆です。プログラムは活動以外に幸福を得る方法はない!!!と決めつけ、、稼働を緩めません。今もだから世界中の人々の心は動いています。ですがこの心こそが不幸を生み出す動きであることを知りません。無知(コンピュータの存在を知らない)プログラムの動きこそが不幸なのです。