思考の否定は「偽りの自分」の否定

絶対に負けられない戦い

人と議論をする際に、、、負け戦になりそうになると瞬時に逃げ出してしまうか怒り出してしまうか、、とにかく冷静な話し合いになれない人っています。こちらはただ議論を重ねて整理したいだけにも関わらずこのまま行くと自分の意見が否定されることになるという雰囲気を感じた途端に怒りだすか逃げ出すのです。結局重要な部分を話し合えないがために問題が解決しない方向に行くのです。なぜ、、、話の内容、意見を否定されることを極端に恐れる人が存在するのでしょうか????

思考=自分自身

「この体この思考が自分」という固定観念を持っていますと、、意見を否定される=自分自身を否定されるになります。自分自身の存在そのものを否定されることになることから、、負け戦には参加しないとなるのです。自分自身の存在(意見)を否定されるぐらいならば、、この場からは撤退させて頂きます、、です。意見を否定されると生きていく自信すらなくなる、、当然です、その人の全て(思考)を否定されてしまったら何を頼りに生きていけばいいのか???です。

偽りのアイデンティティ(思考)の過剰防衛

「この体この思考が自分」これが真実ならば、、、議論で負けたぐらいでは自分の存在はビクリともしない、崩壊しないはずなんですね!!ところがなぜ過剰防衛をしなくてはならないかと言えば、、それがフェイクだからです。フェイクだからこそ思考を否定されてしまうと存続できないのです。偽りの自分(体と思考)を維持していくためには「私=思考」を否定されてしまっては困るのです。急所をナイフで刺される前に怒り出して撤退するかそのまま撤退すかになるのです。

本当のアイデンティティに居る場合

「この体この思考が自分」という概念から脱出できて、、大いなる存在こそが自分という境地にいる場合、、この体この思考が否定されても全くダメージがないということになります。なぜならばそれは大いなる存在(真の自分)から湧き出た現象でしかなく全体の一部でしかないからです。そこ(体と思考)にアイデンティティがないからこそどれほど攻撃を受けても傷つくことができないのです。

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