私とは本当は誰だ????という憤り

中学生ぐらいになると

中学生ぐらいになると、、、どうやら大人になると、、社会人にならないといけないようだ、、、どうやらどこかに勤めていかないといけないようだ、、とこの自分を社会にぶち込んで社会に順応させ生きていかなくてはならないことを悟ります。ですが同時にこの「自分」とやらが本当に自分なのか????という奥深くに憤りを感じています・両親から周囲の大人から「この体この思考が自分」と学びはしたが、、、なんかしっくりこないモヤモヤが残るのです。

憤る

このモヤモヤに対し正しく教えてくれそうな大人皆無であり、お坊さんはなにやら死生観について語ってそうではあるが近付き難い、、、新興宗教も近寄り難い、、とこのモヤモヤを抑えて生きていくことになるのです。このモヤモヤは憤りになり、、、、あらゆる感情にシフトしていきます。学生時代から暴力映画、暴力漫画、攻撃的な音楽などに興味を持つのは根本にこの憤りがあるのは間違いないでしょう。

従順にならざるをえない

とはいえ大人に順応していかんければどうやら生きていくのは難しそうだと、、、悟り、、憤りをなんとか誤魔化しながら生きていくことになります。ですがエックハルトトールのようにその感情はどんどん増えていき、増殖しコントロール不能な状態にまでなることもあるのです。それが鬱や体調不良、アレルギー症状、アルコール中毒、、、などなどでしょう。

私とはこの体、この思考ではない

表面上、社会でこの体この思考を生き伸ばせるようになったのならば、、、もう「この体この思考が自分」という思考を信じるということを辞めてしまっていいのです。本当の自分は誰だ???に真剣に向き合う時です。「この体、この思考が自分」ではないのならば「今在る」という感覚は一体何なんだ????となります。答えを言ってしまえばまさにその「今在る」という感覚こそが自分自身であり、、それがこの体、この思考に気づいているのです。そして周囲の現象の全てにこの「今在る」は気づき続けます。つまりはこの現象の全てに気づく存在こそが自分であり、、この現象の全ても自分です。「この体この思考が自分」は間違いであり、、全部含めて自分なのです。

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