何が起こってもいい

個人は何が起こっても大丈夫にはなりません、個人はいつだって不安不安不安です。だから状況に常に変動されます。ですが実際には全状況は神のアートであり、それに翻弄される個人がいるというのも神の思考アートです。だから実は何も起こっていないのです。見かけ上の倒産という状況が神アートとして起こり、、それに翻弄される私という思考が神アートとして起こります。騒ぐ家族という神アートが起こり、山のような請求書だけが届き続けるという神アートが起こるのです。この全ては神が起こしたアートです。

神か知らんが

神が知らんが倒産という事実、追い込まれる自分が居るという事実は何も変わらず、、だからなんだ?????って話じゃないですか!!!!!!違うんです、、、、倒産という状況に見せる神アートが起こり、、それに翻弄される自分が居るという神アートが起こっているのです。本当は何も起こっていないにも関わらず起こっているように見えているというのがこの神アートの偉大さです。だって今も神しかここには存在しないのです、それ以外は何も存在しないのに「倒産」って事実はないんです。「神」という事実以外には何も起こっていないのが真実です。

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つまり何も起こっていないにも関わらず常に常に目の前には「倒産」のような事態がアートとして実感できるのがこの世界なのです。それが分かってしまったら、、、拍子抜け、、なんです。本当は「神」しか存在しないここで、、「倒産」というファンタジーを感じれているのが事実なんです。だから対処すべき自分なんて居ないし、困り果てた自分も本当は居ないんです。勘違いに勘違いを重ねて「困った」が神アートとして起こっているのです。

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