大人になる????

矛盾に気づく

大人になるって簡単にいうと「矛盾に気づく」ことです。「学校にはいきたくない、でも友人とは遊びたい」「親を頼りたくない、でも一人では頑張りたくない」「友人はウザい、でも一人は寂しい」「見かけでは判断されたくない、でも注目はされたい」「勉強はしたくない、でも学歴は欲しい」、、、、分かりますよね???????そうです、、、、我々はこの矛盾をたくさんたくさん抱えて生きています。この「矛盾に気づく」これが大人になるとうこと、、、悟るということです。

そう思えば

そういう意味で言えば大人になるって簡単です。自身の矛盾点に気づいていけばそれで終わりです。終わり??????でも矛盾点に気づいても矛盾点は無くならないですよね???????勿論です、当然です、、、、、、じゃあなんで自身の矛盾点に気づくことに価値があるんですか????????簡単です、超簡単です、、、、矛盾点があることに気づくと、、そのことで悩まなくて済むからです。

大人とは自身の矛盾に自覚的であること

ここが本当に本当に分かってきますと、、生きるのが楽になります。つまり我々は矛盾を矛盾と気づかずに生きている時「苦しい」のです。気づいていない矛盾が多いと苦しいのです。人格者とこの矛盾に多く気づいた人間のことであり、、、見かけ上の覚者とは全矛盾に気づいた者です。

最終的な矛盾

矛盾を生み出すラスボス、それが「この私」という存在です。「この私」こそが矛盾なのです。人間業界ではこの私がないとやっていけません、、、私の責任、私の仕事、私の義務、、、、、これが100パーセント降りかかってはきます。。。。ですが同時に、、、私は概念でしかありません。私とは空想、妄想、幻想なのです。この「空想妄想幻想を在る」としてやっているのが人間業界だとういとです。この矛盾に気づいた時、、、矛盾からくる苦しみが完全消去します、、これが悟りです。

頭の中でお金持ちになる?????

私絶対に絶対にお金持ちになりたいんです

例えばあなたが貯金1億円を貯めたとしましょう。。。。完全完璧に銀行口座に「1億円」と記載されています。だからあなたはそれを見て「私は1億円の貯金がある」と思考できます。思考??????いやいや事実として私は1億円持っているんです。思考なんかじゃなく、、事実として私は1億円持っているんです!!!!残念、、、それ事実ではありません。

預金通帳に

結論を言いましょう、、、、、預金通帳に「1億円」と記載がされている、、、、その預金通帳には名前「〇〇太郎」と記載されている。これだけが事実です。。人間業界ではこれを「私が1億円持っている」と考えるのです。だから人間は1億円所有しても幸福になれないのです。「私が1億円持っている」というのは概念なんです。だから1億円貯金があっても自殺する人が現れるのです。そのような概念をたくさんたくさん集めても幸せにはなれないことがわかる時、、、苦しさが半端ないから。

ちょっと待ってよ

何を言っているんですか???????毎日毎日お金を事実として使いまくれるじゃないですか!!!!!!これでなぜ「私は1億円の貯金がある」が概念と言えるのですか?????????では答えを言いましょう。原始人に「私は1億円の貯金があるんです」と話をしても伝わりませんね???????もしも原始人にこのことを伝えるには、、、、お金という概念、私という概念、所有するという概念、、この全てを覚えてもらう必要があるんです。。。。この三つの概念を覚えた時「私は1億円の貯金がある」という概念が理解されます。つまり「私は1億円の貯金があるんです」というのは概念の組み合わせです。

人間業界

私は1億円の貯金があるんです、、、というのは人間業界が作り出した概念なんです。。。。この概念を持っても、、、それを所有する「私」も概念ですから、、、、概念が幸福になることは構造上不可能です。

世紀の大発明

何が起こる?????

「ゴミを無くす機械」これをあなたが開発しちゃった時「世間から大喝采」が起こる前に命を狙われるでしょう。ゴミ回収ゴミ処理業界の方々から、、、、、あらゆる邪魔を受けるはずです。、もしもそんなものは発明されてしまったら、、、その次の年から生きていけなくなる人が大量に現れ出し、、結果とんでもない抵抗にあうはずです。その時に「命を狙われるなら冗談じゃない」と引き下がるのか、、、、「所詮私の命なんてくれてやるわ!!」になるか、、、、ここが大きな大きなポイントなんです。

実は分かっている

「命を狙われてでもやっちゃう」が見かけ上起こる時、、、、、実は、、、、、「この体は、、、、、本当の私ではない」がもう既に気づかれています。どこかで「本当の私はこの体ではない」がきづかれちゃってるんです。だからだからやれちゃうんです、、、やるが起こるんです。全然違います、、、、「私の命を大切にしながらも、、、人の生命も大切する」この発想では、、不可能なわけです。だってだって構造上命を狙われるのですから、、大事を起こせば。

頭で考えて

「本当は私はこの体ではない、、、よし、、命を捨ててでも大事を起こすぞ!!!!」これは起こらないのです。。。。概念として、、、「本当はこの体は私じゃない」を暗記しても、、、、概念が増えるだけ。これを実感に落としているかです。

異なる二つを同時に手に入れる????

お金持ちの売れない画家

私のタイプは、「全く今は評価されていないアーティストで、かつお金にゆとりがある人、、、、だって貧乏は嫌いだから、、そして既に売れちゃってたら退屈だから今は売れていない方が良いんです」何か違和感感じませんか?????????そうです、、、無理です、、、、構造上不可能なんです。だって売れていないけどお金があるって、、、、不可能ですよね、基本。ですが人間業界ではこれあるあるです。

貧乏は嫌なんです、、でも安定は退屈で

つまりはこうなんです、、、「不安定は嫌だけど安定は退屈なんです」二つの全く違う状況を求めています。これを叶えるのは不可能です、、だから苦しい、、、、、。そしてこのことを笑っている人はビックリしますよ、、、人間の思考は基本こうなっています。見かけ上の釈迦はこれを見抜き「人生とは苦である」と悟ったのです。

答え

では答えを言いましょう。。。。。。「徹底的に分離した個人がこの分離感が苦しくて苦しくて嫌だから、、、、徹底的に分離して、、、私だけが全部を手に入れたい」これが起こっています。「世界の中のこの小さい小さい私が、、、この小ささに嫌気が差しているから、、、、私だけが努力して(もっと小さくなって)、、、全部を手に入れたい(大きくなりたい)んです」、、、、、、、どうですか???????達成できますか?????これ、、、、、、無理です、、、無理なんです。。。。。「苦しみを作り出す原因と、、解決方法が一緒になっているんです」

痩せるためにガンガン食べたいと思います!!!!!!!

いやいや、、、、おかしい、、、、徹底的におかしい!!!!!これを人間は朝から晩までやっています。苦しみを生み出す原因で、、苦しみを解消しようとするのです。これでは、、、苦しみは絶対に絶対に消えません。ですがこんなことが普通に普通に起こっています。じゃあじゃあなんでみんなみんなこのことに気づかないの??????気づく誰かも居ないのです、、、、ただその現象だけが起こっています。

誰かが何かをすることではない

悟り

悟りとは「誰かが何かをする」ことではありません。悟りとは「その誰かが実は居なかった」という話です。ですから「何をしたら悟れますか????」「どんな方法で悟れますか????」という質問、発想はそもそも悟りとは全く関係ない概念です。人間業界の常識が全部崩れ去る、、それが悟りです。そういう意味では人間が一切予想できない何か=悟りです。

音がなったその瞬間

考え事をしていたら突然「バコン」という音が外から聞こえます、、、その瞬間が消え去り、「バコン」だけになります。「私が考え事をしている」のが事実ならば、、、「バコン」という音でそれが消え去るのは本来不可能です。「私が考え事をしている」というのが実在が起こす事実ならば「バコン」にはそれを消し去る力はないはずです。ところが実際は「バコン」で全部が吹き飛びます。人間業界ではこれは常識だから誰も何も気にしないのですが「バコン」で全部が吹き飛ぶことが真実を教えています。

同じ次元じゃない

「私は考え事をしている」からの「バコン」、、、、この二つが同じ次元にあるならば「バコン」に「私」が影響を与えますが実際にはそうではなく、、「私」は消し去られるのです。同じ次元には居ないのです。そうです「私」とは思考が作り出した概念でしかありません。「思考」が「バコン」に切り替わることで、、、同時に「私」も消えたのです。だから「バコン」が認識されれば「私」も消えます。にも関わらず「私がバコンという音を聞いた」という概念がそこから生まれます。この概念は真実ではありません。

認識の境目

ない

認識には境目がないんです。何かを食べて何かを聞いて、何かを味わって何かを見て、、、この境目、分離が存在しません、全く。だから我々は全く境目がない、、認識の中に居ます。ですが同時に認識は変わります。変わるにも関わらず境目がないという究極のパラドックスです。つまり変化、、これだけがあるのです。「変化があるから、、、時間があるのだ」という概念が生まれますが実際には違います。ただ境目がない変化があるのです。

時間

何かが起こって、次に何かが起こるから、、、時間が存在するという概念が生まれますが、、、、何かが起こった次に何かが起こるという事実は一切なく、、そこに境目が存在しないのです。だから時間はないんです。出来事が次々に起こるのではなく、、全く境目のない変化が起こるのです。だから時間というものが存在できません。移り変わる今しかないからです。

思考

思考が次々に湧くと言ってもその思考と思考の境目が存在しません、、、だから思考も厳密に言えば、、、ないのです。これぞ「思考」という境目が一切ないにも関わらず、、でも間違いなく何かが起こっていますよね、、、そうです、、起こるんです、、、起こりはしますが、、、、ここからここまでが「思考」ここからが違う経験という境目が存在しません。思考が起こり、感情が起こり、味覚が起こり、、、という表現も厳密には間違っています。ですがこう表現するしか方法はないのです。

回想シーン

ドラマ

我々は過去を思い出す時、回想シーンを描きます。「あの人があの時こんな顔でこんな話をしていたっけ」、、、です。そしてその瞬間に注目くください、、、感情が湧きます。過去の回想シーンが起こる時、、同時に感情が湧くんです。そして今日これからその人に会うと想像することでさらに感情が湧くのです。我々が感情を起こす時「必ずそこにはドラマが起こっています」

今日

三年前のあの人と、、、、三年ぶりに今日また会う、、、、その時三年前のあの人の笑顔、顔、表情、会話、、背格好が現れでて、、、ドラマが起こります。すると、、、感情が現れ出るのです。そして今日またその人と会うと想像することで、、、また感情が現れでます。。。そして今まさに「その人に会った」というドラマがここで起こり、、、また感情が湧くのです。

あれ???????

そうです、、、我々は三年前のドラマと、、、この目の前の登場人物を重ね合わせ、、、会った瞬間、、というよりもその画像が現れ出た瞬間「スタート!!!!!!」という監督のメガホンが響き渡り、、、ドラマが上映されます。だから会っていると思っている期間は感情が「だだ漏れ」です。なぜならば、、、ドラマが再会するからです。

そのことに気づく

そこに気づきます、、ドラマがまさに今再上映されることにまさに今気づくのです。ドラマがスタート!!!!!されたその瞬間から感情がだだ漏れすることに気づくのです。すると、、、ドラマにリアリティがなくなるのです、、ドラマがドラマと見抜かれます、、、ドラマがリアリティショーではなくフィクションであることに気づきます。

私が消えていく

思い込みを維持できない

分かってきてしまいますと、、、、自分という概念が現れ出ても、、、それに気づくという状態に入ります。今がっつり物語入ってたよね、、、という気づきが起こります。あらゆる経験の一つとして、、、、「自分思考」が起こるのですが、、、それに気づくのです。だから多くの時間(本当はない)が全く自分なしで経験だけが起こり続けます。

時間が消えていく

時間が消えていきます、、、というよりも本当はなかったという感覚になります。本当は時間なんてなかったのに、、、、時間が現れ出ていたのです、幻想として。私という主体が存在しないことに気づくと、、、もう時間空間の中でこの私が何者かにならなくては、、、という強迫観念が消えるのです。その時、、静まり返った静寂が起こります。

空間が消えていく

私という主体が消え去った時、、、そこには空間も感じないという気づきをえます。この環境の外には他人がわんさか活動しているという思い込みが抜け落ちた時、、、、焦りが消えるのです。私がいない状況で誰かが何かをやっているという事実が100%ないのです。だから空間という概念が削ぎ落とされていきます。「私」だけの空間、、、という認識も徐々に徐々に落ちていき、、、そこには空間すら無くなるのです。

事実無根

世間話

分かっちゃうと世間話って本当に本当に面白いのです!!!!!分かっちゃうと、、分かっちゃうと、、、、世間話って事実無根の内容をただひたすらにひたすらにしているんです。事実無根???????そうです、、事実無根です、、、、どの点が事実無根なんですか????????全部です、言葉が作り出す全てが全てが幻想です、、ですがこれを幻想と気づかずに話す、、、という幻想が起こっているんです。

何も問題はない

ここには自然現象しかおこりません、、、、ここという場所には自然現象しか起こらない、、、というのではなく、、、、自然現象だけが起こるのです。場所に自然現象が起こるんじゃないですよ!!!!!!自然現象の中に「場所」という幻想、「時間」という幻想が起こるのです。つまり自然現象(空の現れ)だけが起こり続けます。その一つが世間話という思考が起こり、、その内容は全て幻想です。

経験とも呼べないこれ

我々が経験と呼ぶこの「音」「味」「匂」「光」「触」、、、、、これが空からそのままに起こります。その中に「思考」という現象もあり、、、、その「思考」だけはイメージとしてそのままに認識されます。このイメージ自体が「感情、〇〇感」を起こすので、、、、これを苦しみと呼ぶのです。

経験には分離がない

経験にが5種類があって、、、いやいや5という数字は分離です、、分離はありません、、、、ですから「これ」は経験とも呼べないのです。本当に本当にただただ「これ」があります。。。。『「これ」って何ですか???????』今まさにこの『「これ」って何ですか???????』という思考が認識されましたよね、、、、それがまさに「これ」です。だから我々は本当に本当に「これ」でしかないのです。

心配

何??????

今起こっている「問題」は五年前に予想できましたか???????今の悩みを20年前に予想できましたか????????今悩んでいる悩みを30年前に予想できたでしょうか????????できませんね、全くできないんです、、、、、10代に考える50代の俺の悩みは完全完璧にピントが外れているんです。だから将来に対する「悩み」って完全完璧に無駄です。もしも今将来に向けての悩みを持っているとしたら「無駄」です。断言します、無駄です。

子供の将来についても????????

子供が将来抱えるだろう問題を先回りして「悩む」って本当に無駄なんです。自分自身の悩みすらも予想が的中しないにも関わらずなぜ子供の将来の悩みが的中できるんですか?????????もしも子供の将来のために動くのが楽しいならば良いでしょう。。。。ですがそのことで悩むのは無駄です。

究極のメッセージ

究極のメッセージを伝えれば、、、、「子供を含む他人」には悩みが存在しないのです。。。悩んでいるように見えるから「彼は彼女は悩んでいる」ということを信じているんです。実を言うとそのような事実は起こっていません。何もここでは起こっていません。起こっているように感じることができますが、、、、感じるまでが限界なのです。だから誰の心配もしなくて大丈夫です、、「悩み」が起こっていないのです。