ノンデュアリティ には「私」「時間」「空間」が消える

なぜ????

美味しい料理を食べている最中に起こること「パスタという画像」「パスタからの香り」「パスタの食感」「パスタの歯応え」「パスタを食べる際の音」これだけです、、、これらをつなぎ合わせて「私はパスタを10分間ぐらいかけて食べました、本当に歯応えも香りも良く最高でした」となります。事実をつなぎ合わせて、、、「私が食べて、、感想を述べるという一連のストーリーを作り出したのです」、食べ終わった時に。幼稚園児はこのストーリーをまだ上手く作れません、ですから彼らには数々の経験しかないのです。。

「パスタ」すらも後付け

幼稚園児には「パスタ」すらも後付けです、、そして「香り」「歯応え」「食感」「音」これらの言葉も食事中は起きていません。大人には信じられないですが、、実は何も起きていないのです。ただあらゆる感覚というものが連続するだけです。そして食べ終わった際に10分間を過ごした、、という「思考」もない、、、時間も存在していないのです。言葉にできない感覚(これも言葉にできない)が連続してあったというだけなんです。

それが起こった

「私」がパスタを食べている最中実は、、、それが起こり続けた、、、、だけです。それ以外は全部言葉です。言葉が指し示す「何か」が起こっただけです。こっちが真実です。言葉が紡いだストーリーは後付けの妄想、空想です。この言葉が紡いだストーリーを真実であると思うと「緊張感と分離感」が起きるんです、これが真実です。ノンデュアリティ とは『言葉が作り出した空想、幻、概念の世界が「苦しい」』ならそこから出ちゃいましょうという真実からの提案です。

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