比較からの卒業

自我は比較が大好き

自我は比較が大好きです、この商品よりもこっちが好き、このブランドよりもあのブランド、あの地域よりもこの地域、、、思考とは比較検討するのが大得意であり、、自我もその思考の一つです。ですから我々人間社会は常に比較比較比較、、です。ですがこの比較精神は悟りには邪魔になります。私は悟って多くの人よりも上に立とう、称賛を浴びよう、人格者と呼ばれよう。。。となります。つまり悟りすらも比較対象の道具にされるのです。

つまり

つまり悟った暁には、、、この自我は、、人よりも優位に立てると、、自我所有の悟りに貶められるのです。これでは悟りはむしろ苦しみの原因にさえなります。自我が抜け落ち、、一瞥体験が起こった際にその経験を所有する自我が君臨し、また自我ストーリーに戻るということです。悟りとは解放とは目覚めとは自我の解放にも関わらずそれすらも自我に所有されるのです。

個体の錯覚

この世界は空(絶対)の影、投影、蜃気楼です。その中に個別存在など実在するわけがなくそれゆえにこの世界はたった一つのエネルギーです、、ですがこの世界は観念、価値観によって個別する存在が多種多様に現れる世界に見ることができます。なぜか????ここは無限の投影だからです、たった一つのエネルギー(空)無限の投影場所なのです。だから観念によって無限の姿を写すのです。その中で偽りの私は比較検討し無限の世界に判断を下しさらに観念を書き換えてまた異なった無限の投影をしていくのです。ですがそれをしている限りは分離緊張の世界から脱出できないのでそこを見抜く必要があるのです。

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