なぜ認識できる?????
この世界は常に移ろってるなー、、、、公園に行けば、、あらゆる植物が風によって動き、花が開き、葉っぱが落ち、、変化しかありません。一週間後に行けば枯れている花をある、、あらたに開花した花もある、、、変化を我々は「認識」できるのです。一方車に乗っています、全く同じ速度の車が横を走ります、、その車が1ミリたりとも動いているようには見えません。認識とは同じように動く存在では認識できないのです。?????????何を言いたいのか????????公園に行って変化を感じた「この体」が全く木々花々と同じスピードで変化していたら???????認識はできますか???????
体は変化に気づかない
体が「変化」に気づくには体が「ビタ一文動いていない」というのが絶対条件です。ですが実際にはこの体も全く同じように変化をしています、実は。つまり体は、、、、環境の変化に気づくことはできません。え????????では公園に行って木々の動き、花々の動きの変化を認識したのは何か????????「全く微動だにしない存在」です。どこに居るの?????どこのあるの????????
どこにもない
そんなものはここにどこにもありません、どこにもないが絶対にあるのです。なぜならばその存在なくして、、、変化の認識は起きようがないからです。それは体でもなく、、、体すらも認識の対象です。変化する体が在ると言い切れるのは「認識」されちゃっているのです。分かりますか???????体もこの景色も認識できちゃっているのは、、、、我々の本質がこれとは全く違う変化しない存在だということです。