一瞥体験=飲酒体験

同じ

毎日毎日新橋で気持ちよく酔っ払っている人は一瞥体験者です。お酒を使ってトリップしているわけです。お酒を使わないでそれが起こってしまうとそれは一瞥体験です。何これ???この軽い感覚?????何もしていないのに、、「軽い」そうか、、、何にもしなくていいって本当なんだ。。。。。好き嫌いって全部思考がやってただけだった、、、、これが分かっちゃうわけですが、、これ飲酒時と全く同じですよ。

子供

子供には大人がお酒を飲む理由がわかりません、、何をしたいんだ、この人達は。。。。。です。そうです、、既に軽いので「重い」という状態が想像つかないわけです。つまり悟っているのです。最初から軽いのですから。大人は「重い」がデフォルトだからお酒で毎日「偽りの軽い」を求めます。一瞥体験者がそこから急激にそこに戻ろうとするように、、、飲酒体験も本来はそうなんです。

体で悟る

一瞥体験

一瞥体験とは真実を垣間見るがまた元の生活、元の重さに戻ってしまうことです。これってお酒を飲んで、、気持ちが良い状態があるんだ!!!って気づいたが朝起きたら普通に戻っている、、と全く同じことです。お酒を飲んだ時、、そうか、、、こんなに気分が良くなる状態ってあるんだ!!!に気づき、、、だったらお酒を使わないでこの状態を目指そう、、は健全です。

垣間見たら、、、、

悟りに関する書籍などを読んでいると、、実際に垣間見れたりします。私の場合も、、夜本を読んでいたら急に数秒ごとにフロー状態に入り、、、最終的にはその状態で安定しました。そういう経験は二度あります。次の日になればスッカリ元どおりであり、、これって本当お酒と全く同じです。そして一度でもそんな状態があることが分かれば、、、それで終わり、、、悟りへの探求に戻ります。

悟らせない何か

一瞥体験が起ころうが、、お酒で「軽い」を体験しようが、、、朝起きれば重いのですから、、、この重さを取っていきます。食事、ヨガ、ストレッチ、マッサージ、、、、あらゆる方法で重りを溶かしていきます。本を読んで軽くなるの思考の重いエネルギーを溶かしたのです。実際にこの体から重いエネルギーを取り除いていきます。体を軽くすればするほど、、根源への帰還欲求が強まっていくのが分かります。

既に死んでいる

大丈夫、もう死んでいますから

私物語の主人公にとっては死は一番怖い存在です。最も避けたいことそれが死です。ですが実を言えば既に死んでいます、自我とは幻想であり、、つまり生きてもいないのです。この世界に自我とは存在しない存在なのです、、あるのは「私が居る」という思考のみです、この思考の経験、それが自我です、そうです、自我とは思考経験なのです。

だから

死を恐れている時点で、、勘違いが起こっているのです。勘違いだから、、死ねないわけです。この世界に思考以外では一度も登場していないのですから退散もできないということです。自我とは思考が作りだした幻想である、、このことが分かった時点で既に自我は消滅したようなものです。自我は幻想であると見抜かれた時点で本来の自我は自我ではありません。自我とは「この体の中に実在する」という誤った誤認識だからです。

頭で悟る

頭ではそれ分かるんですよね!!!!!!そうですか、、、それは良かったです。先ず大前提として頭で悟りを開く時点で凄いことです。多くの場合、、頭ですら悟らせてくれません。私物語が実は幻想であることはどこかで既に気づかれていますからこの手の内容のメッセージは強烈に拒絶されます、それがされない時点で準備ができています。

体で悟る

頭で悟ったら次は体で悟っていきます。重い重いエネルギーを積極的に排除していきます。食事内容、ヨガ、ストレッチ、、、やれることは何でもやっていけばいいでしょう。体が軽くなっていきますとメッセージの響きが変わっていきます。ただし自由意志は全く存在しませんからその流れに入れなくてもそれは何も問題はありません、そうなっているだけです。

今既に完全完璧であることに気づく

いつか???????????

私の夢は、、、あんな家で、、あんな家庭を作って、、毎年旅行に行って、、、これが叶ったら最高です。それは分かりました、、、、ですがですが、、、今が完全完璧だって気づいてますか????????今がまさに完全完璧なんですよ、それを承知で夢を語ってますか???????今が既に完全完璧?????こんな問題だらけの世の中で????ですか。

問題だらけ???????

何がどう問題だらけなんでしょうか??????ここ一週間のニュースを見れば、、、盛りたくさんの問題が山のように確認できますよ!!!!!!!そうですね、、そうです、、、、その画像が見えます、そしてその問題を確認したとしてもそれも画像です。画像以外でその問題をどう確認しますか????「見」「聞」「触」「味」「臭」で問題と「感じる」ことはできるでしょう、、ですがそれだけです。そこは予想です。

予想

我々は見える聞こえる触れる香れる味わえる、、この五感を使ってあたかもそこに問題が実在していると「予想」しているのです。残念ながらその問題は実在ではなく「予想」です。そしてそれは予想を超えることは絶対になく、、、100%実は何も起こっていません。だから我々は最初から完全完璧な世界に居るのです。本当に本当にそのことが分かると、、叶えたい夢って消えます。だって今何も問題が全くない世界がここにあったんですよ。

話さなくていい

あのことだけは絶対

「どうしても言ってやりたいんです、、あのことだけは。あのことは話しておかないと先に進まない気がするんです。だから別れた旦那に最後の恨み節を言ってもいいでしょうか??????」分かります、滅茶苦茶分かります、、、言わないともう破裂しそうなことってあります。ですが同時これだけはお伝えします、、この世界に正しい、間違いは一切ありません。この世界にこれが正義というのもこれが悪もなく、、、全部は全部そのひとの趣味です。それが分かった上でそれでも伝えたいならばやればいいでしょう。

正しいがない??????

何ですか?????正しいって??????いつ誰がどこで決めたんでしょうか??????ないんです、そんなもんは。。そしてそれを行使する人間に主体性が全くないのです。つまり自動で自動で全ては勝手に起こるのです。だから「なんで浮気したんだ!!!!!!!!」という詰問に、、、詰問された側は「分からない」これが大正解なんです、、もしも仮に「どうしても絶対に浮気したかったんだ」という回答が来ても、、、それが勝手に起こったんです。このやりとり意味ありますか???????

そこには誰も居ない

そしてこれが最終回答、、、、それはその人は存在すらしていないのです。私が電話した時だけ「声」のみ現れます、、私が会いに行けばその画像だけ現れます、、、そして目の前に確信犯である元旦那がそこに居ても、、居るように見えるだけです。だってここには空間すらないのです。

思い出の曲

思い出の曲を聞くと

思い出しちゃいます、、あの失恋の時を。。。思い出しちゃいます、、亡くした妻との思い出の旅を。この時意図して何かを思い出すことはありません、、、思い出の曲が記憶に働きかけ「私」と思い出を起こすのです、自動で。そうです、、、記憶は勝手に勝手に自分を思い出させます。TVで家族団欒のシーンを観れば、、、思い出すんです、亡くした旦那との会話を。その時、、こちらには一切の自由意志がないのです。

一日中これをやっている

朝起きて部屋が視界に入ることで「自分」が自動で自動で現れ出します、そして俺は〇〇会社の会社員で、、今日も9時には出社しなくてはならない、、、このことが記憶から自動で起こります。これを毎日毎日行なっています。これが自動で自動で起こるから人間業界は毎日毎日同じ活動が起こるのです。これを当たり前と思ってはいけません、、、こんな奇跡が毎日毎日起こっているのです。自分が居るから自分を思い出しているんではないんです、部屋を認識した瞬間に記憶が「空」から起こるのです。

当たり前じゃない

記憶から自分が現れ出すことが当たり前過ぎて、、、このことに誰も気づいていないのです。毎日「空」から奇跡が起こっているのです。この奇跡が完璧過ぎて「当たり前」という思考が起こるのです。自分という実在が居ないにも関わらず全員が毎日自我という幻想が記憶から湧き出し、、、それで生活しています。これは奇跡です、奇跡が凄過ぎて、、「当たり前」という思考になり、、、退屈退屈と苦しむのです。

苦しみ

何だ???????

苦しみとは、、、悟るための根本解決を図る矢印です。。苦しみとはそこに苦しみの根本解決があることを教えてくれる方向指示器です。苦しみをただお酒、TV、友人と会う、、などで解消すればそれはただの対処療法です。苦しみとはそこに悟るヒントが隠されていることを教えてくれる先生なのです。だから苦しい時、、そこから悟りに入るのです。辛い時、、そこから悟りに入ります。なぜ苦しいのか???????それはこの体の中に自分という幻想を作り出したからに他なりません。

自分という幻想

自分という幻想は記憶から自動で勝手に湧き上がるのですが、、そのことに多くの方は無自覚です。自分という存在が記憶から湧き出る幻想である自覚がないことから、、多くの方はこれを実在と思って生きています。するとこの実在の私が誰からの相手にされない、、この実在の私が評価されない、、この実在の私が他人よりも劣っている、、、という次の幻想が生まれ益々苦しくなるのです。

苦しければ苦しいほどに

苦しければ苦しいほどに、、、そこに糸口があることが分かります。なぜ苦しいのか?????なぜ徐々に徐々に益々苦しくなるのか??????それはまさに幻想が次の幻想を生み出しているからです。ここに気づきます、、最初の幻想が記憶から自動で湧き出し、、、それを実在と勘違いする、、、よって、、その実在の私は人に評価されたいし、人に触れ合いたいし、、人に認められたい、、人に必要とされたい、、、という連鎖が起こっているのです。

自我を明確にする

挨拶

道端で、、知人に会った際に挨拶をすると記憶から自我が現れ出し、、会話が起こります。知人を発見するのは記憶からそれが起こります。記憶を利用して知人を発見しよう!!!そんなことは絶対にありません。自然と記憶から認識が起こり、、、その相手バージョンの自我が出現し、、言葉が自然と湧くのです。相手からもこちらの自我の認識が起こり、、、自我は二人に共通認識されます(見た目上)、、そこから自我が存在することからの安堵が一時起こります。

認識して欲しい自我

サービス業では、、スタッフはこちらに必ず挨拶します。なぜか???????自我が認識されるとホッとする、、という構造があるのです。本当は自我は存在しません、自我とは幻想としてでしか現れません。だからこそ、、、他人から(見た目上)認識されると安心するのです。ですが同時に、、幻想が現実として認識されることは違和感でもあり、、これは苦しみでもあるのです。昨日は認識されたが今日はされなかった、、というこの自我の認識は毎回毎回行わなくてはなりません。なぜならば、、自我は認識されない限り存在していないことと同じだからです。

自我を保つ

今日私一日中誰とも喋っていない、、、こんな時「苦しい」はピークになります。誰にも認識してもらっていない自我は、、、存在していないことと同じです。世界中でたった一人のこの私が誰とも会話をしていないということは完全に忘れ去られているような錯覚を起こすのです。ですがこれは同時に自我のカラクリに気づくチャンスなんです。なぜ苦しいのか????なぜ??????苦しみの原因は何だ??????この体に「私」が居るという幻想を抱き、、その幻想こそがこの苦しみを作り出している、、ここに気づくのです。だからこれは人に会えば良いというその場凌ぎに逃げるのではなく、、、、そこから苦しみの根本的解決に走ります。

恍惚状態

自我の正体

自我の正体が露わになりますと恍惚状態になります。それまで自我を信じる動きが起こり、、これがとんでもない緊張状態を作っていたことに驚かされます。私っているじゃん、、、から始まる緊張、収縮状態が、、、、突然消えるのです。。。勿論徐々に徐々にですが、、、逆に力が入らないのです。この自我をいかに生かしていくかという衝動が起こらなくなります。

そもそも

分かっちゃえば簡単すぎるのですが、、、そもそもこの体が収まる場所というのが存在しないんです。場所がこの世界にはないんです、、、、、この世界と表現しましたが、、この世界ってないんです。「見」「触」「味」「臭」「聞」という経験、、、、これしかないんです。さらに「思考」「感情」という経験これだけです。これ以外を探しても全く全く見つからないのです。私とは「思考」という経験、、以上、です。

立ち止まって黙考

知識として非二元のメッセージを集めていても、、、それは思考の住人私の私物語の中で消化されていきます。それでは何処まで経っても「悟り」とは物語の一部になります。そうではなく、、、非二元のメッセージに触れたならば「黙考」してみてください。感じてみてください、、、本当にそうなっているか確認ください。上記のことが上記のままに起こっていることに触れてください。

記憶の収まる場所

ない

この世界には空間というものが実はありません、ですから記憶が収まるべき場所は絶対に絶対に存在しません。ということは私という幻想を作り出す記憶は、、、どこにも存在しません、、、空からそのままに「記憶としての私」が現れ出るとしか言いようがないのです。場所がない以上、記憶が集積するデータベースがないのです。「空」のアートとして「記憶としての私」が現れ出ます、、そしてそこには一切の理由はありません。

記憶が現れるという経験

これが起こり続けています、、、「記憶=私」が現れでるという経験がだけが起こります。記憶が現れ出る「場所」というのがこの世界にはないんです、空間がないので。すると記憶を認識するという経験これだけが起こるのです。「私はこの体の住人で名前は〇〇だ」という思考がこの場所に現れるのではなく、、その思考が現れそのままに認識されるという体験、経験だけが起こるのです。

「私」の現れる場所

私というのが絶対に絶対に存在しない理由は、、ここには空間がないのです。。空間がないのにどうやってこの私が収まるのか??????無理です、絶対に無理です。だから私とは思考なんです、、思考として立ち現れてそのままに認識されます。どこにその思考は現れるのですか?????空間がないのですからどこではない、、ただ現れそのままに認識されます。