自我を明確にする

挨拶

道端で、、知人に会った際に挨拶をすると記憶から自我が現れ出し、、会話が起こります。知人を発見するのは記憶からそれが起こります。記憶を利用して知人を発見しよう!!!そんなことは絶対にありません。自然と記憶から認識が起こり、、、その相手バージョンの自我が出現し、、言葉が自然と湧くのです。相手からもこちらの自我の認識が起こり、、、自我は二人に共通認識されます(見た目上)、、そこから自我が存在することからの安堵が一時起こります。

認識して欲しい自我

サービス業では、、スタッフはこちらに必ず挨拶します。なぜか???????自我が認識されるとホッとする、、という構造があるのです。本当は自我は存在しません、自我とは幻想としてでしか現れません。だからこそ、、、他人から(見た目上)認識されると安心するのです。ですが同時に、、幻想が現実として認識されることは違和感でもあり、、これは苦しみでもあるのです。昨日は認識されたが今日はされなかった、、というこの自我の認識は毎回毎回行わなくてはなりません。なぜならば、、自我は認識されない限り存在していないことと同じだからです。

自我を保つ

今日私一日中誰とも喋っていない、、、こんな時「苦しい」はピークになります。誰にも認識してもらっていない自我は、、、存在していないことと同じです。世界中でたった一人のこの私が誰とも会話をしていないということは完全に忘れ去られているような錯覚を起こすのです。ですがこれは同時に自我のカラクリに気づくチャンスなんです。なぜ苦しいのか????なぜ??????苦しみの原因は何だ??????この体に「私」が居るという幻想を抱き、、その幻想こそがこの苦しみを作り出している、、ここに気づくのです。だからこれは人に会えば良いというその場凌ぎに逃げるのではなく、、、、そこから苦しみの根本的解決に走ります。