犠牲が必要な幸福

東大入試

東大に絶対に絶対に入学したいんです、、だから朝から晩まで勉強しています。なぜって????それは東大がトップだからです。トップだからそこに行きたいんです、トップが絶対に絶対に一番幸福なはずだから。ではあなたが1万人の中で一人受かるために残りの9999人は落ちるわけですが、、それは問題はないのですか????そりゃそうです、、これは競争ですから当たり前のことです。

犠牲が必要な幸福

つまり受験生があなたしか居ないならば東大を受けない、、、受験生が一万人いて受かるのが一人だから東大に行きたいわけですよね??????そうです、、落ちる人間が9999人居るからそこを受けたいのです。それって9999人の落第者が絶対に必要であるということですよね?????そうですね、、そうなります。

どういう幸福なんですか?????

9999人は落ちなければいけない幸福って、、、何なんでしょうか??????9999人が頑張っても落ちないといけない幸福って何の意味があるんでしょうか???????圧倒的な人間の悔しさが必要な幸福ってそれ本当の幸福ですか??????それって悔しい人間が居て成り立っている幸福ですよね??????100%フェイクの幸福ですよね????????

でもみんな普通にそれを幸福と呼んでいますよ!!!!

みんなよりも収入が多い、みんなよりも美人のパートナー、みんなよりも知名度の良い会社、、みんなが持てないブランド、、みんなが買えない車、、、、を持つことが幸福ってみんなみんな思っています。何が悪いんですか??????人は人よりも上だ、マシだ、、、、ってそこで幸福を計るんです。

つまり幸福とは「計り」

みんなが行けない学校、みんなが入れない会社、、みんなが手に入れないパートナー、みんなが、、、幸福には「他のみんなが手に入れる何か」との比較が重要になるようです。『「みんなが欲しがる物を俺は持っている」だから俺は幸福に違いない』この思考、この思考こそが幸福を支えているのです、、、、比較の中で生まれるこの思考、、、これが、、、みんなの幸福です。

フェイク

完全に騙されています、、完全に乗せられてしまっています、、、完全完璧に催眠が効いちゃってまっせ、、完全完璧に洗脳が効いちゃってまっせ。それが幸福だと「学び」それを成し遂げたから「俺は他人よりも幸福に違いない」という思考が湧き出し、、、だからそれをそのままに「認識」するのです。ですがですがそれは本当の幸福とは何も関係がないことも分かっちゃってます、、実は実は、、それが「違和感」となって湧いてきちゃってます。

でも

「人よりもマシ、他人よりはマシ、、だから他人よりも幸福に違いない」って、、、こう学びましたよ!!!!親からも社会からも、、、、。。。違うんですか????????違うんです、、、そして違うことは知っていますよね、、どこかで。先ずはそれが違う、、このことに気づくのです。社会が提案する幸福って嘘です。それに気づくのです。社会が提案する幸福って違和感半端ないんです。先ずばそこに気づくのです、、すると次の扉が開きます。

覚悟が足りない????

実家をどうしても出れません

実家にいては好きなこともできず、、かといって実家を出ようと思ってもどうしても覚悟が足りないんです。どうしたらいいでしょうか???????覚悟という言葉は面白く「覚る、悟る」と書いて覚悟と読みます。実家をでる悟りが開いてない、、という意味です。こに言葉は真実を突いています。実家を出ようとするが「あらゆる雑念」が湧いてきて、、、行動に移せないという意味です。

あらゆる雑念

出たところで家賃はどうする?????生活費は?????洋服代は?????交際費は?????貯金はできる?????年金は??????あらゆる不安材料が洪水にように出てきます、、、この思考を「真に」受け止めれば、、実家を出れない、、となります。。。この思考を「適当に」受け流せば、、、実家を出れます。つまりこれって「思考」の正体を知っているかいないか、、、ここに尽きるのです。だから実家を出る覚悟が足りない、、という表現は的を得ています。

思考の正体

思考とはこの体を守るための防衛反応です。。。この体を危機に陥らせないために反射として起こります。全リスクが消えてなくなるまでエンドレスにこの思考は湧きますが、、、、全リスクが消えてなくなることは絶対に絶対になく、、、つまり思考を真に受ければ「動けない」以上となります。

どこまで付き合うか?????

思考は全リスクを丁寧にも丁寧にもかき集めてくれますから、、そこにどこまで付き合うか?????になります。全リスクを無視する?????これは自暴自棄でしょう、、ですが全リスクを排除して動く?????これは無理ゲーです。つまり思考が作り出すリスクリストをどこまで冷静に受け入れるかになるのです。ただし重要なこと、、、、全リスクの中にどこまでを受け入れるかの判断、、、これを決めれる「判断者」は居ません。だからこれがどこまでも俯瞰が必要になります。

思考の罠に気づく

思考が上げ連ねるリスクとは、、、、動けないその時までエンドレスに続きます。。。。このことが分かりますと(悟りますと)思考が上げ連ねるリストを真に受けるのはバカバカしいということが分かります(悟ります)すると動くことは決めている、、あとは思考が上げ連ねるリスクを冷静に処理すればいいだけということが分かる(覚る)のです。

抽象度を上げるだけ

「実家を出る」これをするには思考が起こすリスクリストをどこまで受け入れるかが重要になります。そのためには「思考とは何か?????」に気づく必要があるのです。思考とは受け入れ続ける限り、、エンドレスに起こり続けるモノです。思考が思考を呼ぶのです。そのことを理解します(悟ります)

太郎くんの夢

何ですか??????

幼稚園の園長先生が卒園式で太郎くんに聞きます「太郎くんの夢はなんですか??????」「太郎くんの夢は、、いつか犬になることです!!!!」この回答に周囲は騒めきます、、、、、「え?????」「お??????」「大丈夫??????」となります、、、この時確実に起こった感覚、、それが「違和感」です。太郎くんは絶対に犬にはなれないことを知っているから全生徒、全先生、全保護者から「違和感」が起こるのです。

違和感をエグる

悟りとは、、、この違和感をエグっていくことです、、違和感が完全消去されるまでえぐることです。。。太郎くんの発言への違和感は誰しも説明がつくのです「太郎くんは絶対に犬にはなれない」、、、ですがこれが小学生、中学生、、大学生、、、になっていくと「違和感」が説明できなくなります。違和感を間違いなくどこかで感じてるが、、説明がつかない、、、これが苦しみです。

子供

子供は大人を見る時、、いつも違和感を感じています。。。。自分よりもたくさん知識を持っている大人が全く全く楽しそうじゃない、、、ただビールを飲んで野球観てクダまいているだけ。。。。え?????これ俺の将来の姿?絶対やだ、、、なんだか分からないけど絶対やだ、、、、、これをやるために毎日毎日学校行って準備するわけ???????絶対いやだ、、、、でもどうしようもない。。。。

土砂降りの雨

何も変わらない

目覚めていようと目覚めていまいが、、土砂降りの雨は土砂降りの雨です。ですがこの土砂降りの雨が「私」の外で降っているという感覚が消えています。それまでは土砂降りの雨が「私」の外で降っているという「思考」をしていたのです。ですが今はただ「それ」がある、、、という感覚です。その中心に「私」が居ないのです。もしくは「私」が居てもその「私」を感じるという「体験」であることが分かっています。「土砂降りの雨」という経験、、「私」という経験です。この二つは二つとも対象なのです。

どうしよう

どうしようが、、起こりません、、、休みなのに土砂降りの雨、、どうしよう?????が起こらないのです。今まではせっかくの休みなのに、、雨なんて振りやがって!!!!!どうしてくれんだ!!!!が起こっていた、、、ですが雨の中心に「私」が居ないのです。雨という体験と、私という体験が別にある、、「雨の中の私」というのは思考が作り出すファンタジーに過ぎないことが分かった時「雨」と「私」を繋ぐ思考が湧いてこないのです。

何を心配しているの?????

今日1日何もしていないけど、、、「私」大丈夫???????安心してください、、、「私」は今までも何もしたことはないのです。「私」とは認識された瞬間だけ起こる思考です。その現れでる思考が思考されない時、、私は一度もどこにも現れ出たことがありません。つまり日々の体験中(五感)何もかもしていないのです。じゃあ体験は誰がしているの???????体験の主語は「ゼロ」です。ないんです。体験には五感には主語が存在しません。

内と外

経験

何かを経験するにはこの体(内側)があって環境(外側)があってこの二つが二人三脚になって経験(体験)が生まれる、、、これが一般的な人間業界の考え方です。ですが真実では、、、経験だけがあります。この二つの化学反応で「経験」が生まれるのではなく、、経験だけしか実は起こっていません。経験から「逆算」し、、内側、外側がこれを作ったんだよね、、と「思考」するのが人間業界です。

たった一つのエネルギー

たった一つのエネルギーしかありません。。たった一つのエネルギーしかないので、、、「物質」という存在はこの世界には存在できません。物質が存在していると仮定すると、、その物質が収まる空間が必要になり、、その空間が収まる空間が必要になり、、その空間が収まる空間が必要になっていきます。これは分離を前提とした「考え方」です。

とはいえ

この体という物質がこの経験を作り出している、、ということは全くありませんが、、、この体と呼ばれる画像が消えて無くなってしまえば(死亡)この経験も終わります、この世界は消えてなくなります。この世界と呼ばれる物質はそもそも存在しないので、、ただこの経験が終わります。この世界とは物質でもなく、よって空間でもなく、、、よって時間でもなく、、ただ経験だけがあったのです。経験がこの世界という概念を作り出し、空間という概念を作り出し、、時間という概念を作り出していたのです。

誰も必要じゃない

人間関係

真実に目覚めると必要な人間が居なくなります。この友人、この兄弟、この親、このパートナー、このクライアント、、がどうしても必要、、、、がない。。。なぜならば、、、、既に既に満たされているからです。満たされるのに条件があるのは人間だけですよ。動物は満たされるのに必要な「何か」は一切ありません。人間だけが満たされるには家族が必要、パートナーが必要、友人が必要、クライアントが必要と「思って」います。だから「必要」だから、、なんとしてもそれを手に入れなくてはならないし、そのために努力します。

必要だと思っている

実は実は必要なモノは何もないのです。そもそもその必要なものは物質ではないのです。つまり何か必要なモノとはただのデータです、画像です。この体という画像は他の画像を手に入れても、、、画像が増えただけ、、、で?????それが幸福と何の関係があるのでしょうか??????ないんです。「ここ」にはあらゆる画像が存在します、、、この私という画像も、、、その私という画像が必要する「何か」を手に入れたところで画像が増えるのみです。

信じる

この私という画像に、、必要とされる画像が増えることで「私は幸せに違いない」という思考が起こるのです。そしてその必要とされる何かが欠如すると、、「私は不幸である」という思考が起こるのです。つまり誰かが必要とするのは「必要だ」という信念が支えているだけです。その信念を満たしたところで、、、、それを満たした「自分」が存在する限り、、「違和感」が消えることはないのです。

そのことが分かると

何も誰も必要ではない、このことが分かると誰とも取引しない、、、状態になります。相手と一切取引しない付き合いが始まります。そもそも必要としていないのですから相手から何かを得る必要がないのです。だからこちらからも何かを差し出す必要がないのです。これが真のコミュニケーションです。ただその相手が好きだから付き合う、、という嘘い偽りのないコミュニケーションが始まります。

気づく苦しみ

全部に気づく

他人の矛盾点、違和感に鋭敏に気づくのは「気付ける」からに決まっています。その場合自分の「違和感」にも強烈に気づきます。芸人は他人の「違和感」に気づき、、それを言語にして笑いを取ります。なぜ周囲はこの言葉を理解できるのでしょうか???????「違和感」を既に持っていたからです。だから言語という「補助」によって気づきを得て「笑う」のです。

自分自身

では他人の違和感に気づく芸人は自分自身から起こる自分自身への「違和感」には気づくのでしょうか?????当然気づきます、、気づきとは、、気づいてしまうことだからです。そしてそれを自虐ギャグ、自虐ネタとしてやはり笑いを取るのです。他人が「自分自身」に対して感じる「違和感」をやはり言語にして「笑い」に変えるのです。

じゃあ

「違和感」を言語に変えることができるお笑い芸人は「自分の人生」に対して違和感は感じていないのでしょか、既に。残念ながらそうではないんです、、、、漠然とした「違和感」はそれでも残ります。有名な「松○」さんは、、、その違和感を言語化できなかったから「文春砲」の方敵に合うような、、行動を回避できなかったのです。その行為をやらずにはいられないのは「ストレス」です。そのストレスはこの言語にもできない「違和感」が作ります。

どうすりゃいいの?????

違和感を感じでいなかったなんていうのは嘘です。絶対に絶対に違和感を感じていたはずです。その違和感を言語にして「スッキリ」する方法が分からなかったのです。この最後の違和感は、、友人知人からは教わることは不可能です。なぜならばこの「違和感」はないことになっているからです。まさか「自分が存在する」という感覚が違和感のラスボスとは誰も気づかないのです。先ずはそのことに気づく、、、今はまだそれが違和感の大元であることを実感できなくても、、本当はそうなんだという思考を持つことです。すると苦しみ、違和感が起こった際に、、、いずれはそこに行くのか、、、という覚悟が決まります。覚悟とは「覚る、悟る」ことです。

お笑い芸人

気づく

彼らは他のタレントが放つ言葉に矛盾を感じた場合即座にツッコミます。。。誰もが「そういえばそう」という気づきを与えます。言葉にできない、、だけどどこかで分かっていることを言語にして気づきを促すのです。「似合っていない帽子」本人は似合っていると「思って」いる。。ですが全員が心どこかで「違和感」を感じている、、、その違和感を即座に気づき「言語」にする、、、これがお笑い芸人です。

そういえばそう

「違和感」これが誰もが感じているんです、、、ですがその違和感が何か?????気づいていないのです。そこに気づく、、、その違和感が何から起こっているかに気づく、、、、それが芸人の仕事です。人はその違和感の原因に「気づいた」時、、、、思わず笑ってしまう、、、、そうそう、、そういうことだよ!!!!ってです。

悟り

悟りとは「違和感」の言語化、そしてその気づきです。お笑いも、、、、芸人が放つその言葉に誰もが理解を示すことができない!!!!!!気づきには段階があるのです。若者の笑いにオッサンはついていけない、、、何が面白いの?????となってしまう。。。つまり「違和感」にどこまで気付けるかには違いがあるのです。悟りにも段階があります。。。。なるほど!!!!が起こるには段階があるのです。今笑えること、面白がれることが、、、今の段階です。。。そして一回笑えてしまったらもう笑えない、、なぜならばもうその「違和感」は解消済だから。最後の最後の違和感「私」です。。この「私」から起こる違和感に気づきが得る時、、「笑い」が起こります。。これか!!!!これが違和感のラスボスだったか!!!!!です。

自分を忘れる??????

誰が????????

あまりに映画に夢中になっちゃって完全に我を忘れました。。。。没我になって仕事集中しました。すいませんラインに気づかず。。。。。。人はしょっちゅう我を忘れて、、、何かに埋没します。。。。我を忘れる?????????誰が我を忘れるんですか????????我を忘れている期間は誰がその仕事をしてるんですか???????自分が居ないのになぜ仕事が完成するのですか???????誰も居ない期間、、、映画を観ているのは誰ですか?????

本当の私

本当の私がたまに「私」を思い出し、、本当の私がたまに「私」を忘れて映画に夢中になります。本当の自分が「私」に気づき、、、あれやばい「私」午後までに仕事終わらせなきゃ!!!!と思考します。ですが仕事中「私」のことをすっかり忘れて仕事します。そして仕事を終わらせると「私」を思い出し、、、そういえば私友人と今日飲み会だ!!!と思い出します。ですがそれをやっているのは全部本当の私です。

ですが

だから「本当の私」が先ず居てその中に操り人形的な「私」が存在し、、、、、全部が動いています。ですがこの「本当の私」には意図はなく、、、よってこうしようああしよう、、、という主体にはなれません。。「本当の私」の中でただその動きが起こるのです。「私」を思い出すも起こり、、「私」を忘れるも起こります。どちらにしても、、、「私」は実は何もしておらず、、、たまに「思い出される存在」なだけです。だからそういう意味で居なくていいんです、何にも影響を与えることができないから。

生き辛くて生き辛くて、、、、、、

なんで???????

私本当に本当に生まれた時から生き辛いんです。なぜでしょうか??????周囲のみんなはなんかお気楽でハッピーそうで、、なんで私だけそれが出来ないんでしょうか????????簡単です、、簡単過ぎます、、、、あなたは「自我」の動きに鋭敏に気づくからです。あなたは「自我」からの思考を全把握しているからです。だからそこから現れる感情をそのままに感じているんです。「自我」の動きに気づくから、、苦しみが増産されてその結果苦しむのです。

動く動く動く

「全経験を自我が所有している」この空想を信じる動きが起こった時、、この人生を生き抜く「私」の動きは活性化します。空想上のストーリーが活発になります。何かしないと!!!何とかしなかばい、何かするべきぜよ!!!!です。ですがこれは妄想、空想、ファンタジーです。本当は経験だけがあって、、経験以外には何も何も起こってもいないのです。「経験しか起こっていない」=空間も無ければ自分も時間も完全に存在しません。この究極のシンプルな真実の中で、、妄想、空想、ファンタジーだけが好き勝手に起こります。

妄想、空想ファンタジーも経験ですよね???????

だからといって空想、妄想、ファンタジーは経験とは呼べないのですか????????呼べます、滅茶苦茶に経験でしょう、、、ですがその経験は思考が作り出した「経験」です。思考経験です。五感経験ではなく思考経験です。この思考経験は苦しいのです。五感経験は苦しくないのです。その違いにいつ気づくの?????という話です。我々は思考が作り上げた思考経験を堪能している時だけ苦しみ、、五感経験中は苦しんでいません。その証拠に、、あまりに漫画が面白くて熱中しているときに苦しめますか????????つまり自分の人生とは思考なしでは運営できないのです。