マジックショー

言葉

ファミレスでの会話「二時間無制限一本勝負」これがあらゆるテーブルで行われています。言葉と言葉の格闘技、、手足を使わずにベシャリのみで勝負が続きます。言葉でどうやって勝負が起こるのか??????イメージです、、言葉とはそのままにイメージされます。言葉を使っていまここに幻想、妄想、空想、ファンタジーを作り出しているのです。そのイメージに相手は言葉のイメージで対抗します。言葉とは幻想を作り出すツールなのです。

私、自分、俺

この言葉がこの世界に存在しなかったらこの世界には「私、自分、俺」は存在しません。この言葉が生まれることで「この存在」は生まれました。ですがこれは言葉ですから幻想としてこの世界に生まれたのです。そうです、、私とは幻想です。私という言葉が作り出す幻想です。だから会話の中に私は入れるのです、あなたも、彼も、、言葉が作った幻想だから会話という幻想の世界に登場します。

じゃあ

この世界って何????結局全部幻想ってことですか??????・そうです、、名前で認識される全ては幻想です。「目の前にテーブルがある」この認識をテーブルという言葉を知らずしてできますか?????テーブルというイメージがなかったら、、、その認識は起こっていないのです。つまり我々はただ世界を眺めているのではないのです。言葉が作ったイメージをそこに当てはめながら見ています。つまり幻想を見ているのです。

この会社ヤバくね?????

同僚の一人

入社後仲良くなった同僚と毎日飲みに行きます。。「この会社絶対ヤバいよな!!!」「この会社終わってんぞ」「この会社本当にどうかしてる」、、、、、同僚は前職があって経験値が高い場合、、、、、いつの間にかその言葉を信じるようになる、、、、、そして1ヶ月後には「本当ヤバいよね」「本当イカれてるよね」「マジ終わってる」こんな言葉がリアルに私の口から出るようになるのです。

なぜ???????

その同僚の言葉がもしも存在しなかったら、、、その感情は一切湧いていない可能性があります。ですがその同僚の言葉を毎晩毎晩聴き続けることで、、、本当にその「感情」が湧いてくるようになるのです。感情とは言葉がそのままに作ります。そこに無自覚であると、、、言葉の魔力にやられていくのです。言葉とは魔法です。言葉はそのままに感情を作るのです。

先ずは認識する

このことに気づきますと「流れてくる思考」をよく確認してみてください、、、、その言葉が流れた時それを味わいます。その言葉が流れない時それを味わはないが起こります。味わうことが良い悪いという話ではありません。言葉がその認識をありのままに作るのです。

じゃあどうすりゃいいの??????

そんなこと言っても同僚や職場の人と飲みに行けば「言葉を無理やり聞かされ」ますよね!!!!どうすりゃいんですか??????その言葉を信じなければいいのです。言葉は魔法でありその言葉で同僚は魔法を使っていることに「気づく」のです。つまり「その言葉に同調しない」ことです。認識したくない言葉は「認識しない」ようにします。言葉を意味として読み取らないようにします。Tシャツのロゴみたいなものです、、書いてあっても読み取らないようにするのです。模様みたいに。

私はお金がないから惨めだ

その言葉なくして

「私はお金がないから惨めだ」これを完膚なきまでに感じるために「言葉」を使わないでそれが出来るでしょうか??????「私はお金がないから不幸だ」これを鬼のように感じるために「その言葉」を使わないでそれが出来るでしょうか????????言葉なくしてその感情を味わうことはできますか?????????できませんね。つまりその感情とは「言葉」が作り出したのです。その言葉を覚えるまでその感情を味わったことがなかったのです。

どうすりゃいいの??????

その言葉を覚えてしまったゆえに「その感情」を味わうことになってしまったのです。え???????じゃあその言葉捨てればいいですか????????どうやって捨てるんですか???????無理です。。。でももう覚えちゃってますけど・・・・・・。死ぬまでこの感情を味わい尽くす以外に道はないってことですよね???????そうでもないんです。

その事実に気づく

つまり言葉とは魔法のようなもので、、、組み合わせて使うことで、、それを味わえてしまうのです。「お金がないから不幸だ」この言葉を覚え使った時その瞬間その認識が起こります。そのこと、その魔法の作用に気づくことで「その言葉」の効果が消えます。言葉とは言葉が魔法ではないと思っている時作動します。ですから言葉のマジック、魔法、トリックを知ってしまった瞬間「騙されない」わけです。

マジック

マジックとはネタバレした瞬間もう「感情」が伴わないわけです。「やべ〜」はネタバレ以前ですよね????????「まじか!!!!!!」はネタバレ以前ですよね。では「言葉」のネタバレ以降は「感情もろだし」はないのです。つまり悟りとはただ言葉のマジックに気づくことなのです。

「伝える」も分離

「誰か」が「誰か」に?????

この世界には分離は100%ありません、よって「人」が「人」に「何かをする」というのは100%起こりません。分離が100%ない以上、、そのようなことは科学的に起こらないのです。見た目上、、そのようなことは起こります。概念、妄想、空想としてはそれは起こり得ます。非二元のメッセージも「誰か」が「誰か」に「教える」ということは起こらないのです。よって教える人間も教わる人間も実は居ません、見た目としてはそれは起こります。

「私」が「彼」に非二元の内容を教えた

なぜこのような事実を「私」が知っているのでしょうか??????それは「第三者」としてそれを認識しているからです。第三者以外にこの事実を認識できるのは不可能なのです、、なぜ今それを認識できているかと言えば見た目上の人間が「本当は」それだからです。ですがここでも大きな問題があります。「第三者」というこの世とは分離した存在は存在できませんから、、、、つまり第三者とは「この世」です。そうです我々は「この世」なんです。

この世

我々の本質が「この世」であるとして、、この世とはいったいどんな存在なんでしょうか。。つまり「これ」「見える世界」ということになります。ですがここで大きな問題があります。この見える世界とは「奥行き」があり「横幅」があり「縦幅」があり、、、ということになりますが、、、「奥行き」は嘘です。「奥行き」は確認できません。見た目上歩くことはできますが=奥行きがある、、とは言えません。画像がどこまでもある、、だけです。

触れる

この世とは触れる世界?????ここでも重要なポイントがあります、、この世界には分離は100%ありませんから「私」が「何か」に触れることはできません、絶対にそれはできないのです。ですから「触」」という感覚があるだけです。この画像中で「触」という感覚が起こるのみです。「触」があるからこの世界は物質世界であるというのは「思考」です。「触」があろうとなかろうとこの世界は「画像」のみです。

香る

この世とは嗅げる世界???????ここでもさらに重要なポイントがあります、、、、この世界は分離は100%ありませんから「私」が「何か」を嗅ぐというのも100%不可能です。見た目上ではそれが起こっってもです。よってこの世とは「嗅」という感覚はあっても「嗅ぐ」という行為は起こりません。「画像」の世界に「嗅」という感覚だけがあります。

結論

この世界には「見」「聞」「香」「触」「味」という感覚はありますが、、、実はそれ以外は存在しません。分離がないからです。この世界=画像=「見」でありそこに「聞」「香」「触」「味」が加わります。五感があり、思考、感情があり、、それ以上もそれ以下もありません。我々の本質はこの世でありこの世とは五感+思考+感情、、、以上です。見た目上の「私」「彼」というのはこの世界に起こる「思考」「見」にあたります。

観照者

究極には

究極にはこの世界に観照者、気づきの意織という個別分離した存在は存在しません。なぜならばこの世界には分路は100%存在しないからです。ですからこの世界に「名前がついた何か」というのは存在しないのです。大いなる存在、、気づきの意織、、、ブラフマン、、、どんな偉大な存在であっても、、、、名前がついたこの世界とは分離した存在は存在しないのです。

とはいえ

自身が自我ではないことを理解するには「自我」ではない何かであることを理解する必要があり、、そのための便宜上様々な言葉が用意されているのです。それらの言葉は「自我ではない」これを理解するための方便です。自我という分離に慣れ親しんでいるがゆえに、、そこから引き離すためには「自我ではない何か」であるというイメージを起こす必要があり、、そのためにあらゆる言葉が駆使されます。

私とは非二元である????????

私とは非二元です。私とはノンデュアリティです。私とは覚醒です。。。全て文書として破綻しています。そうです、、私とは本来何ものでもないのです。ですが何ものでもない、、というのをそのまま理解することは不可能であり結果、神、大いなる存在、ワンネス、、、などの方便が使われるのです。

大損

損って何?????

損ってなんでしょうか?????個人の所有物が減ることでしょうか????本来これだけの期待した収穫が減ってしまうことでしょうか???????損をするのには絶対に絶対に必要な存在があります。それが「個人」です、、、「個人」無くして損は成立しないのです。。。その「個人」は何かを引き換えに「何か」を得ます。「何か」を得るためには何かを差し出さないといけないと「思って」います。だから身入りが少ない時「差し出し損」と思うのです。

なぜ????損だと気づいた??????

分かってしまうと笑ってしまうのですが、、、、、、「差し出し損」であることに気づくためには「私」が居て「相手」が居て、、「私」の方が取引損であることを客観的に把握しなければなりません。なぜ「私」がそのような客観視できるのでしょうか????????なぜ第三者としてその分析が可能なのでしょうか??????簡単です。「私」とは「私」ではなく第三者だからです。

徹底的に第三者やってまっせ

笑えてしまうのです。。。俺は大損こいた!!!!!この気づきは「俺」には物理的、科学的には不可能なんです。損をさせられている、という気づきは「俺」には不可能であり、、「俺」じゃないから気づいたんです。つまり「俺」は「俺」じゃなく、、、、損をしてもいないのです。だって「俺」じゃないから。「俺」という存在が不利益を被ったと気づいた第三者、、、、それが本当の「俺様」です。そっちが本当の俺様です。

だから

本当の俺様は、、第三者ゆえに「損」をさせてもらえないのです。逆に言えば「得」もさせてもらえない。。。本当に本当に部外者なんです、、圧倒的にこの世界の当事者にはなれないんです。悔しいぐらいに当事者ではありえないのです。地獄レベルに蚊帳の外です。

無自覚な連鎖

代々引き継がれていく

思い込みというのは引き継がれていきます。思い込みは縛りです。この縛りが代々引き継がれていきます。しかも完全無自覚に、、無自覚に代々引き継がれていきます。なぜその思い込みを信じているの??????それはそう教わったから。。。こうです。。。これが半端なくあります。

無自覚な思い込み

思い込みの厄介なところは「その思い込みを所有している」という自覚がありません。ですから自分自身でその思い込みを壊すというのが難しい。あれ??????俺その思い込み持ってるわ!!!!に気づくには、、、、見かけ上の他者からそれを言ってもらわないと難しいのです。そのために書籍やブログがあるのです。

体から抜く

思い込みは無自覚ゆえに人からそれを聞いても「そんなことはない」と体によって拒否されることがあります。ですから体から強制的に「思い込み」を削除する方法もあります。ヨガ、太極拳とはまさにそれです。体の奥深くに潜む無自覚なデータ(思い込み)を根こそぎ落としていきます。

「思い込み」の強制終了

試合

ボクシング、サッカー、バスケット、、、、どんなスポーツでも面白いこと「試合」と練習は全く違う、、ということです。練習中誰しも「俺はこのぐらいはやれる」と思っています。ですがいざ試合になると「全く全くダメ」イメージが、、、事実の前に打ち砕かれるのです。「一歩も走れない、一歩も動けない、一歩も、、、」事実が思い込みを消し去ったのです。愕然、呆然、、、、

じゃあなんで試合するの??????

だったら試合しなきゃいんじゃん、、、、なんで試合するんですか??????気持ちよく気持ちよく、、、練習だけやってイメージに浸ればそれでいいじゃないですか!!!!!!!残念、、、そうは問屋が卸さないんです。。。それが「居心地が悪い」んです。思い込みに耽っているって実際には居心地が悪いのです。だってだって本当は分かっているんですから、、それが思い込みに過ぎないことが・・・・・

事実に揉まれる

事実に揉まれるって大変です、茫然です、崩壊です、、、、ですが、、、一方で「楽」なんです。だってだって違和感が消えるからです。イメージがイメージに過ぎずイメージが事実に勝つことは絶対にないのです。だから違和感を消去したい、、、それが試合であったり現場であったりするのです。

悟り

悟りとは全思い込みの強制終了です。人類が所有する全思い込みを強制終了させます。事実が「思い込み」を強制終了させます。『「思い込み」連合軍VS事実』です。。。。そして最終的には事実が思い込みに完全勝利します。なぜか??????事実は既に完全認識されているから、、事実の完全認識の前に、、、思い込みは倒れる運命しかありません。

イケメンの前で

女性は

「可愛らしい声になり」「仕草が女性らしくなり」「上目使いになり」「ガツガツ食べなくなり」、、、、、、、自覚はあるんです、、、100%自覚はあるんです、、、、ですがその上に「何もしていない」という思考が起こります。自覚を隠蔽するために「思考」が起こりその思考がそのままに認識されます。だから「何もしていない」が「幻想の中」で起こるのです。

キムタク

見かけ上の私が若い時期にはキムタクが全盛期で、、誰しもキムタクファッション、キムタクヘアー、キムタクアクセ、キムタクジャケット、、、、キムタクブーツを履いていまいした。本当は分かっているんです、キムタクとは顔もスタイルも全部が全部異なることは、、、ですが思考では「キムタク」になりきってるのです。幻想では「キムタクと瓜二つの俺」です。。。だから「全然似合ってないよ」と指摘を受ければ「怒り出す」、、、、「その髪型武田鉄矢???????」、、、に「怒り出す」、、、、、のです。なぜ怒るのか??????「自覚がある」からです。本当は違うことは分かっている、、、空想、妄想の中でだけ「キムタク」やってるのを。

自覚

「思い込み」これが一人歩きしていきます。「思い込み」はさらなる「思い込み」を作ります。「思い込み」を支えるためにさらなる「思い込み」が起こるのです。これを増やしていくと、、人生は「苦しみ」になっていきます。だって分かっているんですからそれが嘘であることが。。。「思い込み」を増やしていくのではなく減らしていきます。

減らす

人間は思い込みを勝手に作り上げ思い込みの中で生きていきます。この思い込みが激しければ激しいほど人生は「苦しい」のです。そのことに気づいたら「減らす」のです。事実を思い出していきます。事実の前に「思い込み」は消え去っていきます。なぜ事実の前に「思い込み」は消し去られるのか????「分かっている」からです。事実とは100%認識できるから事実なんです。

綺麗な女性の前で

男は

「声が低くなる」「自慢話をする」「大きく見せる」「学歴をちらつかせる」「家柄をちらつかせる」、、、、、、、まあまあ色々色々やるわけです。意図してそのことを話すのです、、ですが一方で「そのようなことをしていない」という思考も持っています。事実では意図的にそのような話をする、、ですが一方では「何も変わらずに話している」という思い込みを持っています。

ツッコミ

太郎さんって女性の前では「声が低くなって自慢話が増えて、姿勢が良くなって、学歴をチラつかせて、家柄もチラつかせていましたね」「え????????????ウッソ〜ん!!!!そんなことしてないけどなー」ところが太郎の心拍数は上がっていきます。なぜか??????自覚があるからです。思考ではないのです、ですが事実では自覚があるのです。

事実を覆い隠す「思い込み」

事実というのは「はっきりとした自覚」を伴います。事実=自覚です。その上に思い込みが重なっていきます、、つまり事実の上に「思い込み」が乗っかっていきます。そして「思い込み」はそのままに認識されます。事実にははっきりとした自覚があり、、思い込みもそのままに認識されます。このギャップが「違和感」です。このギャップに苦しんでいるのは誰ですか?????見かけ上の「太郎」です。だからこのツッコミは「太郎」を救うのです。