全部に気づく
他人の矛盾点、違和感に鋭敏に気づくのは「気付ける」からに決まっています。その場合自分の「違和感」にも強烈に気づきます。芸人は他人の「違和感」に気づき、、それを言語にして笑いを取ります。なぜ周囲はこの言葉を理解できるのでしょうか???????「違和感」を既に持っていたからです。だから言語という「補助」によって気づきを得て「笑う」のです。
自分自身
では他人の違和感に気づく芸人は自分自身から起こる自分自身への「違和感」には気づくのでしょうか?????当然気づきます、、気づきとは、、気づいてしまうことだからです。そしてそれを自虐ギャグ、自虐ネタとしてやはり笑いを取るのです。他人が「自分自身」に対して感じる「違和感」をやはり言語にして「笑い」に変えるのです。
じゃあ
「違和感」を言語に変えることができるお笑い芸人は「自分の人生」に対して違和感は感じていないのでしょか、既に。残念ながらそうではないんです、、、、漠然とした「違和感」はそれでも残ります。有名な「松○」さんは、、、その違和感を言語化できなかったから「文春砲」の方敵に合うような、、行動を回避できなかったのです。その行為をやらずにはいられないのは「ストレス」です。そのストレスはこの言語にもできない「違和感」が作ります。
どうすりゃいいの?????
違和感を感じでいなかったなんていうのは嘘です。絶対に絶対に違和感を感じていたはずです。その違和感を言語にして「スッキリ」する方法が分からなかったのです。この最後の違和感は、、友人知人からは教わることは不可能です。なぜならばこの「違和感」はないことになっているからです。まさか「自分が存在する」という感覚が違和感のラスボスとは誰も気づかないのです。先ずはそのことに気づく、、、今はまだそれが違和感の大元であることを実感できなくても、、本当はそうなんだという思考を持つことです。すると苦しみ、違和感が起こった際に、、、いずれはそこに行くのか、、、という覚悟が決まります。覚悟とは「覚る、悟る」ことです。