ただ現れる

本当は

本当は本当は、、、いま完璧な流れで現象が起きます。この現れをピカソの芸術と気づけれか否かです。実はこの目の前の現象はピカソの一億倍半端ない芸術なんですがそれを気付けるか否かは、、個人の概念次第です。朝起きてピカソが作った芸術が浮かび上がったら、、、感動しかないですよね???そこが試されるわけです。ピカソが描いた芸術と気付けるか、、、、ただの現実と思うかは「私」にかかっています。

好きにすれば

目の前の現実をピカソの芸術と捉えるか否かは個人の概念に依存します。ここに何の差別区別は存在しません。目の前の現実がピカソの芸術と気づければ人生はパラダイスです。ですがそうは問屋が卸さない。簡単ではないのです。目の前の現実をピカソの芸術と気づくには、、、全観念を落とす必要があるのです。

最高

大いなる存在が起こす現実を完璧と感じることができないという事実が不完全なわけです、、、、完璧と感じる方がナチュラルです。つまり我々は完璧の世界に今も存在しているにも関わらず完璧と感じないようにさせられているのです。この誤解錯覚を解けばいつでも至福に至るのです。ただしそこに至れる努力を行使できる個人はいません。