大変とは「大きな変化」

個人は大きな変化を大変と表現する

個人にとって大きな変化は大変です、パニックです、驚愕します、、、、この体を安全に生き伸ばすことに働く思考にとって大変な状況はフル稼働します、、、ですがこの大変、大きな変化は現象界が大きく動いているように見えているだけです、、現象はただ揺れ動くのみ、生命はただ起こり続けます、、、この生命の揺れ動きを個人の価値観というフィルターを通じて観察した時に大変が結構起こるのです。

大変に飽きる

私たちはいったいいつまでこの大変に真剣に向き合えばいいのでしょうか、、、大変、、、変化は常に起こり続けますから、、、大変に反応するのはもういいのではないか、、勿論これも全体からの現れです。大変なのはいつも個人です、、この大変に巻き込まれる個人が大変なのです、、、ですがこの個人は実在しませんから、、大変は個人の所有物なのです。

大変そのもの

我々は実は現象界そのもの、現象そのものですから大変そのものなのです、、、そこに巻き込まれる個人ではなく個人を巻き込んできた大変の方だったのです。では巻き込まれてきた個人は誰、、それも大変を観察する一部、大変そのものなのです。これからは大変になり切って大変そのものを経験する、、すると大変の中で完全なる至福が湧くのに気づきます。驚愕するように見える周囲の中で至福に至れます。

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