真実を知るか、何かを信じるか

何かを信じなくてはならない理由

この人の言うことを信じる、、この教団を信じる、経験を信じる、、これは事実を知らない人が何かを信じるというパターンです。事実は信じるものではありません、、事実とは真実そのものです。では何かを信じることに意味はないのか???そんなことはありません、、その人の人生ストーリーにおいて何かを信じることが重要な時期があるだけです。ですが真実知ればそれは終わります、、信じるという個人が何かにすがるという構造が終わるのです。

真実は信じるのではなく気づくもの

私はこれが犬であることを信じる、、、そんな言葉はありませんね、、事実とは事実です、信じるものではないのです。事実を知ると今までの信念が消えていきます、、今までの思い込みが消えていきます、、、実はこの信念こそが自身のストーリーを重くしていたことにも気づきます。信念の人生に疲れてきたら事実に向き合うことです。事実はどこにも隠れずにいつでも我々の前に鎮座しています。

何かを信じるという個人のプロセス

この世にこの自分という分別された存在が居るという大前提は非常に寂しい、孤独、心細いものです、、ですから多くの方は何かに常にすがりたいのです、これは当たり前のこと、、、だからこそ無頓着に何かにスガっている人を見ると人は脅威を覚えるのです、、なぜならばこの心境が痛いほどに分かるからです。何かを信じて生きていなければ心が破滅してしまいます。ですが事実を知るとその脅威が無くなります、事実を知れば孤独も錯覚であったことに気づきます。事実は信念を木っ端微塵に燃やします。

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